(zhou yu) | |||
●ホントプロフィール 字 公瑾 通称 周郎、美周郎(演義) 生没年 西暦175(熹平四)年〜210(建安十五)年 本貫地 揚州 廬江郡 舒県 官位等 中護軍 ●ウソプロフィール 身長/体重 179cm/64kg 血液型/星座 乙女座/AB型 |
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●ウソ性格 | 孫策の最も信頼する片腕であると同時に、唯一無二の親友でもある。立場的には部下というより盟友、共同統治者に近い。 一軍を率いる将としての才の他に知略にも秀でており、別働隊を指揮させても、孫策の側近くでサポートさせても有能な、使い勝手の良い部下である。加えて個人的な武芸もかなりのレベル。 また三公輩出の名家の出身であることから、在地の豪族の抑えや中央へのパイプともなり得、孫呉政権の箔付けにもなっている。 孫策死後は宿老として孫権をサポート。軍のほぼ全権を担っていた。 孫策とはお互い朋輩気分が抜けないが、いつでも主家に取って代われる立場であるからこそ態度には気を付け、一歩下がることを心懸けている。が、孫策相手には成功していない模様。公的な理由の他にも孫策と距離を置きたい理由があるようだが、袁術に招聘された数年間に対する鬱屈も、その理由の一つに挙げられる。 名家の一員として漢王朝へ仕えるのではなく、孫策個人の力になりたいという個人的な望みが、行動理念の全て。かなりの野心家だがその志向するところが自身ではなく、孫策による天下統一と新王朝建設の実現に一途に向けられている。 孫策死後は孫権にその夢を託すが、完全に君臣の別を割り切った態度は、多少の薄情さを含む。孫権には結局心許していない。 クールビューティーな外見の所為で誤解されやすいが、本質的にはお坊ちゃん育ちのいい人。取り澄ました態度があまり親しくない者の反感を買いやすい。一度打ち解けた相手に対しては、意外と愛想が良い。 特に孫策の前では冷静な自分を心懸けているが、天下人を目指す孫策に相応しい人間であろうという意識が働いた結果の自制で、本来の性格としては激情的な芸術家タイプである。が、幼馴染みの孫策には結構バレバレ。 管弦が趣味で、絶対音感の持ち主。 神経質で細かいことが気になる割には、低血圧で寝起きが悪い間は隙が多い。 |
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●ウソ容姿 | 公称、三国一の美人さん。一分の隙もなく整ったややキツめの顔立ちから、どことなく酷薄そうな印象を受ける。一見して怜悧な文官風。 特に女性的な訳でもなく(上の下手絵は無視すべし)、小柄な訳でもないのに、どこか周囲の野郎どもとは浮いて見える。育ちが良すぎる所為であろうか。 立ち姿に独特の雰囲気があり、仕草の品の良さと相俟って妙な色気を醸し出して軍中の目の毒となっている。 クセのない黒髪で、長めの鬢を横に垂らしている。 肌は江南の人間の割に白く、日に焼けると赤くなるので密かに苦労しているらしい。手は、剣を扱うので意外としっかりしている。 服装は周りから目立たないように地味な色目のものを着ているが、材質は良いものを使っている。 |
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●ウソ恋愛 | 孫策以外全く目に入っていない状態。傍目からは孫策が構ってくるのを鬱陶しがっているように見えるが、実際は周瑜の方がメロメロである。 それだけに孫策死後は屋台骨がなくなって公私共にぐらぐら。他に靡く気は全くない筈が、一方では孫策の不在に弱っているので、ブラコン入った孫権に迫られたり、ちょっと孫策に似ている甘寧にときめいてみたり、孔明と行きずり不倫してみたり、色々と不測の事態が起こりまくり。それで余計に自己嫌悪。 あまりにも孫策のことばかり考えている所為で、ある意味可愛さ余って憎さ百倍にもなってたりもする。 魯粛のことは頼りにしているが、恋愛感情かと言われればやや違うかんじ。 小喬に対しては恋愛ではなく、家族愛、同志愛に近い感情。しかし後ろめたさもあって家族をこよなく大切にしている。 ☆推奨カップリング 孫策×周瑜 周瑜×小喬 甘寧←?周瑜 孫権→周瑜 太史慈→周瑜 魯粛→周瑜 孔明×周瑜 統→?周瑜 袁術→周瑜 |
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●ウソ人生(含ネタバレ) | 揚州を代表する、三公輩出の名族である周氏の分家に生まれる。 党錮の禁によって中央の官界から地元に基盤を移し、地元の武力集団と縁故を結ぼうと画策した本家の要請で屋敷の一角に間借りさせていた孫一家と親交を持ち、同年の長子孫策と断金の交わりを結ぶ。 孫堅死後は家同士の付き合いはなくなるが個人的な親交は続き、袁術傘下での孫策の挙兵にあたっては、真っ先に私兵を率いて駆けつけて孫策に喜ばれた。 孫策と共に劉ヨウ[謠−言+系]を滅ぼした後、袁術の意を受けた本家の呼び出しを受け、一旦は孫策と別れて袁術の元へ。寿春に留め置かれるが、地方転属を願い出て脱出。袁術配下でありながら帰る機会を待っていたが、袁術が帝位を僭称し孫策が独立した後は、周氏が袁術を見捨て曹操派に回ったこともあって、やっと孫策の元に帰還出来た。 孫策の元では特別待遇を受け、片腕として尽力。二喬を娶って義兄弟となる。 200年に孫策が死んだ後は後継の孫権に臣下の礼をもって仕える。 外交の責任者として、また軍事のトップとして敬われ、赤壁の戦では呉水軍を率いて曹操に勝利。曹仁と荊州北部を巡って争い、次いで蜀に出兵しようとしている矢先に病死。暗殺説有り。 |