(zhang miao)
●ホントプロフィール
 字    孟卓
本貫地  州 東平郡 寿張県
官位等  陳留太守
生没年  ?
(袁紹より年上らしい)〜195(興平二)年

●ウソプロフィール
血液型  A型


曹操・袁紹の旧友だが、反董卓連合の際に袁紹と仲違い。が、曹操は逆に張を庇ったりしてる友情の厚さだった。第一次陶謙討伐の際は、家族に「わしが帰ってこなかったら孟卓を頼れ」とか言ってる程。
しかし通りすがりの呂布と仲良くした所為で袁紹との仲がますます悪化(違う意味のようだ…)。曹操が袁紹側に回らないかと疑心暗鬼に陥り、陳宮や実弟張超の勧めもあって呂布と手を組み、曹操に背いた。この辺は予定調和っぽいので、寧ろ同格の曹操の部下扱いされてるのにムカついた張も乗り気だったと見える。
とはいえ、反董卓連合の時も州の乱の時も張超の勧めで腰を上げてるのを見ると、密かに弟の言いなり。
呂布が州奪還された後は自分も攻められ、張超を残して袁術に救援を求めに行く途中で部下によって殺害。張超も拠っていた雍丘を曹操に攻め落とされ、張一族は悉く処刑された。
……この反乱で一番貧乏くじを引いた人物ではなかろうか。
ただ、旧友の反乱は、曹操の心に傷を残してそう。後年における奴の疑心暗鬼っぷりは、この痛手によるものかもしれない。

反乱自体に袁術の干渉があるかもしれない。張が袁術を頼ろうとしていたし、陳宮は後年も一貫して親袁術派で、呂布陣営で裏切り者疑惑持たれてピンチになったりしてるし。
当サイトに置ける張側の動機としては、曹操より目下になった不満以外に、嫉妬をさせてみようかと。
衛茲が曹操に寝返ってたんじゃないかという問い質しようのない疑惑が、陳宮が曹操を捨てて自分の処に寝返ると見える現象を魅力的に見せてしまったと。しかし陳宮が呂布ラブで、張なんぞ当て馬程度にしか考えてない真実を知る前に死亡。……なんか嫌な人生だな(汗)。

☆推奨カップリング(いずれも症状は軽微)
            張衛茲                 張陳宮


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  (wei ci)
●ホントプロフィール
 字    子許
本貫地  州 陳留郡 襄邑県
生没年  ?〜190(初平元)年

●ウソプロフィール
血液型  B型



魏で司空・司徒などを歴任した衛臻の父と言った方が有名かもしれない(いや、息子もマイナーか…)。演義では「衛弘」になってる。
露出が少なく印象に残らないが、曹操の人生に一つの転機をもたらした
ファムファタール的な存在。
若い頃は節義によって鳴らした俊才。三公の招聘にも応じずひっそり暮らしていたが、189年陳留太守となった張の傘下に入る。やがて、洛陽脱出して親友張の元に逃げ込んでいた曹操と邂逅。個人的に董卓暗殺を目論んでいた曹操にダメ出しをし、反董卓連合の結成を提言、共に計画を練った。目からウロコの曹操、広角的な視野を持つ共同経営者型参謀の有難味を知る。
衛茲自身は、連合中一人突進した曹操が徐栄にボコボコにされた榮陽の戦で戦死してしまうのだが、彼に代わる大型戦略軍師を求める曹操の動きは“我が子房”の参陣によって結実する、ということで。
傍目からは初期の荀って陳宮の予備なのだが、曹操的にはポスト衛茲的な期待はなかったろうか。陳宮としてはその辺の事情を知っているが、荀は全然知らない、という設定。なのに衛茲の息子の衛臻と荀が結構親しくなったりするから、世の中って不思議だ。

☆推奨カップリング
            張→衛茲                 曹操?衛茲


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