典常の愛 至上の恋


※以下、北方謙三の小説である『三国志』(角川春樹事務所)についての
ネタとも感想ともつかない考察です。
多量のネタバレが含まれていますので未読の方、
また作品を愚弄されることが許せない方は
ご注意下さいませ。



T.愛、それは。

北方三国志のテーマ…、それは曹操・荀夫妻の愛と葛藤の物語です、私にとっては。←剃刀要りません。
だって北方版の主役は明らかに曹操(視点も一番多いし←蜀は劉備と張飛が2人で分担してたからかも?)。そして主公と最も絡んでいたのが荀(キッパリ)。これは定説です、今決めた(死)。
すごく揺れ動いてますからね、曹操の生きている間。信頼が全面にあるんですけど。計略を講じ、無言で確認し。時に笑い合い、時に探り合い、時にぶつかり合い、時に労り合う。
帝に対する概念を巡って、この小説中の2人は根本で全く相容れない存在なのだけど、そのことを話題にしていようと決して陰湿なかんじではない。何かが、通ってるのです。
文庫版の別冊である『三国志読本』(以後『読本』と略。これには色々言いたいこともあるが…)には2人の関係をして、

「曹操と荀は、友情でもなく、志でもない何かによって繋がっていた」

と規定してます。「何か」ってナニよ?……恋情です(爆弾発言)。
いえねえ、同人乙女達の言うカップリングって、そういうことでしょう?
何かあるんだけどよくわからない、規定の言葉では上手く説明出来ない感情の揺らぎを、乙女達は仮に恋愛感情と規定していると思うのですが。
誰も本気でホモだなんて信じてませんよ(多分)。こういう時、便利じゃないですか。事実存在する何かを認知したいトキ。
……しかしこういう関係って大河ロマン系で多い気が……。私の楊太もそもそもはこれですね、「何か」。
文官ならもう荀一人だけといった面持ちですが、他にも曹操が身近に感じてるヒトは居るのですよ、夏侯惇とか許チョとか、武官になら。ですが、彼らは包容力の男どもというか(笑)、曹操は接していると安定するなり落ち着くなりするのですよ。激しく感情を揺らす相手ではない。
北方版は形式的には一応三人称ですけど、場面に応じて中心に据える人物を替えています。魏では曹操オンリー、その死後はほぼ司馬懿オンリーですね(ちょっと曹丕ありましたが)。他の国では2、3人で分担してますけど。
一回視点が移ると、かなりその人物に寄り添った形で物語を見ると思うのです。曹操視点のみで見るから、荀への眼差しがよく判る。
目に付くのは、荀の白髪が増えたー、とかシワが増えたーーとか、そんな描写が妙に多いこと(死)。他の奴らは容貌描写なしか、同じ説明を繰り返すだけなんですよ。程cは皺老人とか(ヒデエ)。それがことある毎に、気付く。
7つも年下の美人(推定)をここまで老けさせてどう責任取るつもりだこのオヤジ、とか言いたくなりますが(苦笑)、全ては自分が無理をさせてる所為だとの自覚はあるんですよね。
曹操はよく荀が自分を見てると心中で述懐していますが、曹操も荀をじっと見てるのです。
普通この2人の関係は、曹操←荀的なベクトルが強く顕現すると思うのですが、それで言えばこの小説は随分特異……というか、元々荀視点の小説などかつて一度も出版されていないの(だろう)に、どうしてこんなに定着してるんだか不明ですのう(汗)。
世間様的にはひょっとしたら違うのかもしれませんが、少なくとも私的には違和感があったような。
その違和感の中でも、特に吃驚したのは郭嘉の死。期待していた臣なんですけど、心からは悲しいと思えず「死ねば、ただの役立たず」だの、寧ろご立腹気味(ワガママめ…)。これは結局相手を人格でなく能力で見てきたということの表れですね。なんか元々郭嘉登場の時から「荀が連れてきた」みたいな言い方で、微妙に胡散臭がってそうですが(関係ないけど時々郭嘉が武将扱いされてて笑ったさ…)。
その葬式で、荀が泣いてるのを見て、「俺の時はあんなに泣いてくんないかも…」とかロンリーな主公。ってゆーか、それは嫉妬?拗ねてる?(笑)
なんとなく荀を巡って曹操が郭嘉にライバル感情を抱くというのはあまりないパターンなので、良かったですね令君!…じゃなくて(汗)、深読みポイント高い箇所です。
から曹操への感情は、曹操側からの推測以上のことは今イチ判らないのですが、私でも解るような一部のスネ箇所や疑心暗鬼箇所を除けば、概ね正しいと思います。こちらは同じ丞相でも、こちらは人材を見る目は天下一品ですから(イヤミか/笑)。伊達に人材コレクターじゃないし(…)。
強い好意を持っていて、だからといってべったりと阿(おもね)るのではなく、突き放すようにして観察するスタンス。他の臣下と違って、後継者についても無関心で、曹操のことだけを一心に見ている。いつか来る別離を確信しながら、目を逸らしつつ。
が曹操以外に無関心なのって、曹操死後に自分が生きてないと思ってるから、かもしれませんね……。
ですがこの人、曹操自身が思ってるよりも曹操のこと大好きですよ! 笑ったり、軽口を叩いたり。仕草が、とても可愛いのです。そして平伏するのはムカついてる時(笑)。この辺の意地っ張りさも可愛い。
実のところ、別離への恐怖は曹操の方が強いのでしょうが。2人が主従という形式を取っている以上、道を違える=曹操からの処断という形にしかならないからです。
としてはケジメの付ける時期は相手に委ねるしかないのですから、別離そのものは嫌でもその辺は気楽ですが。
曹操側は、自分で決断しなければならないからこそ、その時期を延ばそう延ばそうとする。
いつかは決定的に対立するかもしれないが今はその時でない、まだまだ先のことだ、と内心で言い聞かせまくってる主公が、健気で可愛いです(苦笑)。
結局、主公が自分で決断することはなかったのですが。……と、以下、(2)に続く!!(笑)


あ、この文のタイトルは勿論、加藤知子の『天上の愛 地上の恋』(花ゆめコミックス)のパクリですが。
典常とは、「のっとるべき不変の道。常に守るべき道」(広辞苑ヨリ)。(この小説の)荀さんの場合は帝への忠誠ですね。帝の権威を中心に据えた政治を行うことが、彼にとっての譲れない理念な訳ですが。
それに対立する概念として、曹操への忠誠があるのです。誰よりも曹操に天下を取らせたいとの望みを持っている、それが故の苦悩。
=アルフレートと考えると(考えるな)、神=献帝で、ルドルフ様=曹操ですか(笑)。バーベンブルグは……孔融だったりして(大笑)。あっはっは。





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