黒より明るく 白より暗く
対となるものはより鮮やかに…
色彩の中の自分
その日は朝から曇り空で、萌えた緑が鉛色の空と鮮やかな対比をなしていた。重い空の下、二人は馬を走らせていた。
「何もこんな日に来なくても良かろう。雨でも降り出したらどうする?」
「いえ…。この空の色が好きなのです。もうすぐですから」
夏侯惇も本気で止めるつもりはなく、黙って荀イクの先導に続いた。
「ほら、凄いでしょう?」
嬉しそうに言って馬を止めた荀イクの視線の先には、桜の大樹があった。馬を降りて手近にあった木に繋ぎ、満開の樹に歩み寄る。夏侯惇も小さく感嘆の声を上げ、馬を降りて彼に続いた。
「つい最近、偶然に見つけたのですよ。こんな大きな樹、目立たないはずがないのに。それでも広い空の下では霞んでしまって、蕾がこの色になるまで気が付かなかった」
樹に触れ、言葉を続ける。
「あの空の色に比べるとどんな色でも鮮やかでしょう?白と黒、最も異なる色が混ざって出来た色だから…」
荀イクは樹に寄り添い、目を細めて空を見上げた。桜色の隙間から鉛色の空。
「蒼い空は、私には眩し過ぎるから…」
夏侯惇は大樹の前で立ち止まり、そんな荀イクを見ていた。
──ざぁ…
雨でも降り出すのだろうか、風が出てきた。帰ろうと言いかけ、夏侯惇は言葉を飲み込む。あまりに美しく、故に儚い夢のようなその光景…。
風に舞い散る桜の中、荀イクはゆっくりと夏侯惇の方を振り返る。そして視線が交わるとふわりと微笑んだ。
夏侯惇は荀イクに歩み寄り、包み込むように抱き締める。美しくも脆い、今この目の前の花を守るかのように…。
「元譲殿…。貴方は蒼です。深く深く、全てを呑み込み包み込んで、そして…」
皆まで言わせず、夏侯惇は荀イクの唇を塞いだ。全てを受け止め、包み込むかのように、深く深く…。
長く、深い口付けの後、夏侯惇は荀イクを抱き締めたまま空を見上げ、つとめて明るく語りかけた。
「私もあの色は大好きだ。もっとも異なる白と黒が造り出した色だから。そして、どんな色でも引き立てることが出来るから。そう、あの色を生み出した、白と黒さえも…」
潤んだ双鉾を見つめ優しく囁く。
「貴方が眩しいと仰った、蒼さえも…」
風が一際強くなり、二人の周りを桜色の霞で覆う。
そこだけが、誰も知ることのない、一つの空間…。
「何もこんな日に出掛けることなかったんじゃないですか?」
ずぶ濡れになって帰ってきた二人は、出会い頭郭嘉にそう言われた。
「晴れた日の方が気分もいいでしょうに」
「いや、こういう曇った日にこそ、普段見えないものが見えてくるものだ!」
「ふ〜ん…(曇どころか雨に降られてビショ濡れですよ…)」
濡れ鼠になりながら豪快に言い放つ夏侯惇に、郭嘉はそれ以上の反論はしなかった。彼の横で、荀イクが微笑んでいたから。
「ほら、早く着替えないと風邪ひきますよ!」
郭嘉が二人を追い立てるように言う。そして暫くの間、去って行く二人の姿を見送っていた。
「大丈夫ですよ、文若殿。みんな、あなたのことが大好きですから…」
終
| |