弄月ろうげつ
黒く塗りつぶされた空。くっきりとした輪郭で浮かぶ月。撒き散らされた星。 夏という季節は、夜までもが鮮やかだ。 自分と相手と、ささやかな酒宴を設けていた曹操は、盃を唇から離して、空を見上げた。目の前の男に始めて会ったもやはり夜だったな、と思い――ふとそんな自分に気がついて、苦笑してしまう。 残念だなあと、盃を置いてその男は嘆息する。 「主公に初めてお会いした日なんて、わたしの中では大切な記念日だっていうのに。そんな曖昧な記憶しか持っていただけていないなんて、それはとても残念です」 柄にもないことを言って、わざとらしく愁傷に吐く。主君は一人、配下は多数――勿論、代えのない者ばかりだとは思っていても、それが現実だ。それが分からない男でもない。そのくせ、自分は「その他」ではありえない事を、確信している。その事実と己の価値を自覚している。 実際には、この男と始めて対面したのは、白昼のことだった。 容赦なく落ちてくる光。眩い清暉にあふれた、突き抜けるような空。そういうものの満ちた、明るい昼日中に出会ったのだった、そう言えば。眠ってしまっていた記憶を呼び起こせば、現実は、あまりにも極端なものだった。 それなのに、何故惑うようにして、夜に出会ったのだと思ったのかは簡単なことだった。 「夜そのもののような人だ」 と、皮肉交じりに評した者の言葉が、あったからかもしれない。 そして実際、彼がそういう人間だったからだ。他の人間とは違う、印象が強く脳裏に残していったものが、あったからだろう。例え日中に光の元、眩いものに囲まれていても、自らが光彩のようにあるのとは違う。 ――郭嘉と言う人は。 晩照、水光、斜映、花明かり、雪明り、月華……。自ら燦々と光輝くものではなく、仄かに、またはさりげなく、そのくせ艶やかに光を持つもののようだ。それこそ、他人から見れば満ちてあふれる光のような才を持ってはいても、そればかりを感じさせることはなかった。だが例え、前面にでてくることはなくとも、決して光がなくなることなどない。 ひけらかすのを好まないのとは違うのだろうが。気まぐれにひけらかしては人をからかって遊んでいるようだったし。 でも、と郭嘉は続けて言う。 「わたしは、主公がおいしいお酒に誘ってくださるのであれば、会ったときの印象がどうだって、まあ忘れられてたって構わないですけどね」 それは嫌味なくらいに笑って。 夏の夜の涼を、酒に求めるならば。 こういう男と共に語るのが好ましい。 終
著/「桜月亭」御桜真「二周年御礼企画」
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……………成程……………(何かもう上手く言えない)。
「記念日」をテーマにしたオムニバス、魏編。
この国だけ夜の風景なのですねえ。アダルティ。
曹操・郭嘉主従の対話ですが、ここで顕わになるのは「桜月亭」郭嘉という人について。
彼のサイト様に生息する郭嘉の虜となった一読者として、
危険さとか得体の知れなさとか見え隠れする切なさとか、
「夜」
の一言で説明出来てしまうんだなあ、と。驚きました。
でも、やはり得体の知れないのが魅力的な男です。