全ては雪の夜から始まった
 
 
出会いも 別れも  そして
 
 
再会さえも・・・――――
 
 
 
 
 
― A Whiterose And Redwine ―
 
 
 
 
 
 
 
男の指先が裏返されたカードの表面を辿る。人生の道程を確認するかのように。
 
 
人生とは壮大な賭け事であり、道半ばで落命するのは運に見放された敗者である。
 
生きながらにして悲運に翻弄される哀れな者は子羊さながらに彷徨う。
 
勝者もやがては力尽きて骸となる。
 
 
人生とは――人間とはそんなものだ。
 
郭嘉は心の中で呟き、溜息と共に紫煙を吐き出した。
うらぶれた酒場には相応しい、古びた匂いと寂しい沈黙に包まれて。
 
空にしたグラスはもう何杯目だろうか。自分が覚えていないのなら、知っているのは黙っていつもの酒を注いでくれる馴染みの店主だけだ。
空も凍り付きそうに冷え込む今夜、家に真っ直ぐ向かうはずが気がつけば此処に行き着いていた。
何杯も、何杯も同じ酒を飲んだ。
どんなに内蔵を酒に浸しても心は満たされぬままに虚ろで、何処かを彷徨っていた。
 
賭けに負けたわけでも、他人に弄ばれているわけでもないのに。
 
彼は酒気が無ければ色素の存在さえ疑いたくなる程顔色が悪かった。
細身の身体を着崩した黒いスーツに包み、小さな銀の装飾品を身に付けている。
何かを暗示しているようなエジプト十字のペンダントとピアスが病的な美貌と相まって異様な調和を生み出していた。
店主はそんな彼から無言の催促を受け、手前に出されたグラスをガーネットのように鮮やかな色彩の赤ワインで満たす。
郭嘉は再び酒を喉に流し込んだ。
 
 
 
入り口の扉に備え付けてある鈴が乾いた音色を奏でた。二人目の客とは、こんな雪の夜には珍しい。
 
 
 
その客は郭嘉の隣のカウンター席を選んだ。男か女かも分からないが、芳しい香りが郭嘉の鼻を擽る。
 
この香り―――まさか・・・
 
「クリーム・シェリーを」
 
春の日差しのようにやわらかく、鈴音のように澄んだ優しい声。
 
「今夜のツキはどうですか?奉孝・・・」
 
紛れもなく自分に向けられた言葉に、郭嘉はカードを引いてから答える。
 
引かれたカードはスペードのAだった。
 
「・・・上々ですよ、文若さん。」
 
郭嘉は初めて声の主に顔を向けた。懐かしい花のかんばせが眼前にある。
郭嘉とは対照的な純白のスーツを着込んだその姿は白薔薇そのものだった。
 
「私を覚えていてくれたようですね。」
 
「当然です。俺は一度聞いた人間の声は忘れない・・・美人は特にね。」
 
美人、と言うところに力を込めると彼・荀イクは苦笑した。そんな何気ない仕草さえ神が創造した芸術に見えてしまうところは、出会った頃と全く変わらない。
想い人が突然現れて郭嘉は夢見心地だった。
今まで止まっていた自分の時間が、荀イクの出現によって息を吹き返したように思える。
 
ずっと待っていた。荀イクを―――未だ色褪せない記憶の中で微笑むマドンナを。
 
「変わりませんね。そういう所。」
 
「貴方こそ・・・全然変わってない。」
 
二人は笑い合った。それも束の間だったが。
 
「・・いつか・・来てくれると思ってました・・」
 
郭嘉はグラスを握りしめたまま、荀イクの目を見つめた。カウンターの向こうで店主が控えめにグラスを拭っている。
薄明かりの中、荀イクの瞳の奥でランタンの灯火が揺れていた。
 
「誰か、死んだんでしょう?」
 
荀イクが一瞬息を呑むのが分かる。彼はつと目線を逸らし、妙にあっさりとした口調で言った。
 
「・・・ええ。戯志才が。」
 
戯志才は二人と同郷の頴川出身で曹操に重宝されていた男だ。その彼が急死した今、多忙な荀イクがわざわざ足を運んで郭嘉に会いに来る理由は一つしかない。
 
「後任、ですか。」
 
郭嘉は紫煙をくゆらせ、低い声で呟いた。彼には手に取るように荀イクの思惑が分かった。それ故、話を切り出される前に先回りするのは容易い事だ。
荀イクはなみなみとシェリー酒が入ったグラスに少しだけ口をつけると軽く微笑む。
 
「察しがいいのも相変わらずですね。」
 
郭嘉は新しい煙草に火をつけようとしたが、石が切れていた。それを見た荀イクは懐から自分のライターを取り出し、郭嘉に放ってやった。荀イクが喫煙する事に郭嘉は内心驚く。以前はそんな人ではなかった。時が彼を変えたのだろうか。
 
火のついた煙草を咥えながら、郭嘉は鍵を握る人物の名前を出した。
 
「貴方の主の曹操・・・見所のある男だそうで」
 
「・・志才以外であの方に認められる働きが出来るのは貴方しかいません。力を・・・貸してくれませんか。」
 
郭嘉は自尊心をくすぐられたが、まだ行くと決めたわけではない。
荀イクたっての頼みなら曹操に面会してもいいかとは思ったが。
それに、久々に会ったというのに他の男に気を取られている想い人の様子を見ると悔しくも歯痒くもあったので、返事を先延ばしにしてやるくらいの気持ちはあった。
 
苛立ちを紛らわすようにカードを引くとハートのキングが出た。
郭嘉はそれを荀イクに見せながら薄く笑う。
 
「・・いいでしょう。貴方が惚れる程の男だ・・・会いに行きますよ。」
 
「奉孝・・・」
 
「ただし、仕事を引き受けるのは俺が認めたらの話です。貴方に、そして俺に相応しいリーダーかどうか、ね。」
 
そう言うと郭嘉はハートのキングを指で弾いた。カードは荀イクの白い手の上に落ちた。
荀イクは挑戦的な郭嘉の視線を受け止めると、不意に彼の手から煙草を奪った。
一瞬後、紫煙をゆっくりと吐き出す荀イクを郭嘉は信じられない思いで見た。
 
 
「そんな勝ち気な台詞を言えるのも今の内です。よく考えて下さい・・私をここまで変えるお方ですよ?」
 
荀イクの微笑みは白薔薇の、茎に鋭い棘を持つ茨の微笑みだった。以前の彼にはない冷たい艶やかさに郭嘉の熱情が逆撫でされる。それは鳥肌が立つほどの興奮を呼び起こした。
 
「ふっ・・・是が非でも会いたくなりましたよ。あの清らかだったマドンナを、こんな魔性にした曹操とやらに」
 
郭嘉は荀イクを抱き寄せ、つややかな紅い唇を奪った。
動くこともできないハートのキングがそれを見守る中、郭嘉の耳のエジプト十字は背徳の光に美しく輝いていた・・・―――
 
 
〜 Fin 〜
 
 
 
 
 
 
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※梓コメント

い、いっ、頂いちゃいましたよ郭荀!!!!うおおお、こんな日が訪れるとはーーーっっ!!
しかも現代パラレル。現行の不知火さまの設定とは多少異同もあるそうですが、三国志を電化製品会社の興亡に置き換えたシリーズの一環であられるとか。
(株)曹エレクトロ二クスの社長秘書・荀が急死したマーケティング顧問・戯志才の後継に据える為に情報工学のエキスパートである郭嘉を迎えに来た、というシーンだそうです。

不知火さまへのお返事にも書きましたが、現代モノであるからこそ使える色っぽいアイテムの数々に管理人は眩暈がしっ放しでした。

官能的でどこか暗示的な、小物と会話。
人死にの話をするモノクロームの人物と風景の中、唯一鮮やかな色彩を見せているのがワインの紅だけ。あからさまに不吉で、想像するだけで痺れます。

不知火さまには快くサイト掲載をお許し頂いて、有り難いことです。
だって、こんな素晴らしい作品秘蔵…するのも気持ちイイですけど(苦笑)、広く世間様に見て頂かなくては郭荀界、ひいては裏三国界全体にとっての損失です!
……まぁその場がうら寂れた辺境サイトだというのが、一番の失策な気もしますが……(汗)。

不知火さま、今回は有り難うございました。
また掲示板などで御相手して頂ければ嬉しいです。そして郭荀を是非世界のメジャーカップリングに…!!