※本格的な顔出しはまだですが、御本家未登場の捏造国家が登場します。ご注意。
プロイセンは、自分の聞き違いを疑った。同じドイツ語を話すとはいえ、ベルリンとウィーンでは発音も異なるし南部独特の言い回しもある。
目の前には恋人手作りのトプフェンパラチンケンの載った皿が、……そういえば告白の返事を貰えていない気もするのだがこの数年否定もされないし、午前中からプロイセンが自宅に押し掛けても少々文句を言うだけで昼食を用意し、三時にはこうして作りたてのパラチンケンを出してくれる恋人である。
さて、現在自分達は何の話をしていたのだったか。窓辺からは夏の匂いのする日差しが室内の薄暗がりをそっと押しやり、そうだ、プロイセンは恋人が厨房から戻って来るまではうとうとと微睡みかけていたのだった。完全に寝入ってしまえなかったのは、厨房から断続的に聞こえる破壊音及び爆発音が入眠の妨げとなっていたからだが。
運ばれてきた黄金色の菓子に礼を述べるより先にその騒音への苦情を申し立てれば、相手も昼日中から他人の家でゴロゴロしているプロイセンの生活態度をここぞとばかりに詰り、あったかいのが全部悪い、そういえばすっかり夏の気候になった、某大予言曰くの恐怖の大王とやらがそろそろ降りてくる頃合いかなどと、甘い言葉の代わりに下らない雑談ばかり交わしていて。
「……何だって?」
その手の雑談の一種とでも言わんばかりに、恋人はさらりとした口調で信じられないことを告げたのだ。
「まだ寝惚けてるんですか?ああ、働いていない所為で早々にボケが来たんですね?」
「うっせえ一本道でも迷えるテメエよりマシだっつの!一生家に引き籠もって出てくんな!!」
「だから私は出かける用事があると言っているでしょうが」
口喧嘩していても優雅な挙措だけは忘れないオーストリアは、またその余裕ぶった態度がプロイセンの神経を逆撫ですることを知っているのかいないのか、付き合いきれないとでも言いた気に肩を竦めてみせた。
「来週からクロアチアの家にお邪魔してきます。二週間はこの家を不在にしますので、当分訪ねてこないで下さいよ」
「はああああああああああああ!!?」
苦節おおよそ800年。目下交際中の恋人からウアラウプ期間に丸々放っとかされる宣告を受けたプロイセンは絶叫した。欧米人のバカンス熱なめんな。
「ちょ……待てよ坊っちゃん」
「何か?」
混乱するプロイセンを尻目に、オーストリアは一向に悪怯れた様子もなくトプフェンパラチンケンにフォークを入れている。オーストリアが作った物なら冷めても充分美味しいが、どちらかといえば出来たての温かいものを好むプロイセンも慌てて右に倣った。下手に切り刻むと肝心のフィリングが皮からこぼれ出てしまうので、手で持ち上げてそのまま齧り付くことにする。行儀が悪いと言いたげにオーストリアは鋭く睨んできたが、辛うじて見逃せる範囲内であったのか口に出して注意はしてこない。
「でもよお前、何でいきなりクロアチア?」
パラチンケンを頬張る合間にも、口の隙間から疑問がほろほろと転がり出るのは不可抗力というものだ。襟首わし掴んで詰問しないだけこれでも自重している。意外な名前という以前の問題で、今までそんな国があったことすらプロイセンの脳裏からは忘れられていた……と言うと方々から非難が殺到しそうだが。えーと、ハンガリーの南の、確かあの辺の……?
最初の一巻きを食べ終わり、表面に塗してあった粉砂糖が指に付着したのをついでに舐め取っていると、返答よりも先に「お下品ですよ!」と尖った声が寄越されイラっときた。抱き締めたくなるより殴りたくなる衝動を覚える回数の方が余程多い相手である。
「以前からウアラウプの季節にはよく訪ねているのですよ。こちらより物価が安いですし」
反射的にこのケチケチ坊っちゃんめ!と悪態を吐きたくなったが、それを口にした時点でまともな話し合いが出来なくなるのは目に見えている。こいつの行動パターンは読めているのだ。売られた喧嘩を買い互いに散々罵り合った後は、頭を冷やす為に距離を置くだとかの口実を設けてオーストリアは何もかもを有耶無耶にしたままこれ幸いと旅立ってしまうだろう。プロイセンを置き去りにして。
「……でもよ、俺がこっち来るようになってから一度もそんな話なかっただろ?」
プロイセンが、目の前で優雅に珈琲を啜っているいけ好かない坊っちゃんと所謂交際を始めてから、一度もクロアチアの話など聞かなかったし、その家を訪れていた様子もなかった。夏の間は毎年、それこそウアラウプの旅行と銘打って恋人の家に長期滞在していたから間違いない。
有給休暇も何も、無職のあなたは毎日が夏休みでしょうとオーストリアには説教され、弟分にすら「年中あいつの家に入り浸って……いや何でもない」と言い淀まれるが、プロイセンが旅行と言っているのだから旅行なのだ。
確かにドイツ人はマヨルカ島やイタリアへ旅するのが大好きだが、それに匹敵するくらいオーストリア旅行も国民に大人気なのである。あのごつくてムキムキで年中イタリアちゃんの世話を焼いている弟分も、ザルツブルクを訪れたベルリンの学者がオーストリアの伯爵令嬢と恋に落ちるケストナーの小説をこっそり隠し持っていることをプロイセンは知っている。エロ本を借りようとベッドの下を漁っていて偶然それを発見した時は、エロ描写もないのに何でベッドの下に…と呆れたものだが。
八月は坊っちゃんと一緒にザルツブルク音楽祭行ってきたぜ!と自慢した時は物凄く羨ましそうな顔をされたが、現地では完全に放ったらかしにされ、メイド服を着た坊っちゃんの姿を拝めたなんてイベントも無論なかったので、実際のところ羨望に値する要素は何一つない。我が弟は現実が小説ほど甘美でないことをよく理解していないのだと思われる。
プロイセンは「クロアチアって誰だっけ?本家サイトにそんな奴いねーよな?」とはっきり口にした訳ではない。であるのに心の声が聞こえでもしたのか、恋人を一瞥するオーストリアの目付きは間違いなく馬鹿にする時のそれである。……やっぱりコイツ殴りてえ。
「あなた、近年の東欧動乱に無関心だったんですか?自分も当事者なのに?」
「うっせ、当事者だからこそ我が身のことで手一杯っつー視点はないのかよ」
「はいはい」
オーストリア人の舌が砂糖で出来ているという風説はある一面で正しく、ある一面では間違っている。今も生クリームを山盛りにした激甘珈琲を顔色一つ変えず啜りながら、合間に紡ぎ出される言葉といえば恋人に対する気遣いの一つも見当たらない無糖っぷりである。
「あなた方がロシアと手を切った影響もあって、彼の長年温めてきた独立願望が俄かに燃え上がりましてね。それまで住んでいた家を出て行こうとして家長のセルビアと何年も大喧嘩していたんですよ」
「セルビア……って、ああ、あの辺の奴か」
「あなた、ひょっとして今まで判ってなかったんですか?」
心を読まれていたという疑惑は自意識過剰による勘違いであったらしい。うっかり余計なことを自白してしまった。
「95年には兄弟喧嘩も決着したと聞いてお見舞いに行こうとしたんですが、怪我が治るまでは会いたくないと言われてしまっては無理を通す訳にもいかなくて……」
「ふぅん」
今更といえば今更だが、話を聞くうちに段々と思い出してきた。眼鏡貴族が一度目の大戦で凋落するまで、こいつの家で働いていた連中の一人だった筈である。確かハンガリーに上から目線で四六時中パシられていた、モブキャラのくせに妙にツラの良い野郎だったような……ん?
「な、なあ坊っちゃん……」
「去年の12月に日本の家で開かれたユネスコ会議で顔の大怪我も完治したと正式に認められたそうで、今年の夏は是非来て欲しいとあちらから連絡があったんですよ」
猛烈に嫌な予感のするプロイセンの様子に気付くことなく、鈍い恋人は「ふふっ」と思い出し笑いを溢した。
「見栄っ張りというか……『オーストリアさんには美しい俺しか見せたくないんです』って。可愛いですよね」
「………………!!!!!?」
顔の良い男は全員敵だ。いや、ヒトの恋人に堂々と色目を使う奴は男も女も敵でしかない。頭を抱えつつプロイセンは誓った。
何が問題かも解っていない表情のオーストリアは、おっとりとした仕草でパラチンケンを食べながら「どうしました?」などと首を傾げている。悪気がないからといって、何もかもを許容出来ると思ったら大間違いだぜ、このクソ坊っちゃん。
畜生ぜってー邪魔してやる。
怪我人だか病み上がりだか知らねーが、この俺様に喧嘩を売ったことを必ず後悔させてやるぜ!!
→続
※余談つーか補足
・ウアラウプ(独):フランス語ではバカンス。噂では最大50日くらい取れるらしいですが、ドイツ人はまとめて二週間+後々有給として少しずつ消化するのが一般的。
・トプフェンパラチンケン:オーストリアのホットケーキ。具を入れて巻いてる形状を見ると、寧ろこれクレープじゃね?という気もします。
・ドイツがベッドの下に隠している本:『一杯の珈琲から』は独墺国境萌えラブコメ小説。まさに両国の国境が消滅した1938年に発表されるも、作者のケストナーがユダヤ系だったことからドイツ国内では発禁食らった曰く付き。ヒロインの伯爵令嬢がメイドに扮してご奉仕してくれる「これなんてエロゲ?」展開は作中にありますが、勿論エロ小説ではありません。
・顔の怪我:第22回世界遺産委員会(京都会議)1998年12月、ドゥブロヴニク
危機遺産リストから除外。プリトヴィツェの危機遺産解除は確か97年だった筈。