※御本家未登場の捏造国家が登場します。ご注意。



 
 
 
 ――それから二日後の七月十二日。ウィーンより南、オーストリア第二の人口を持つ都市グラーツに一人の青年が降り立った。
 長い脚を草臥れたジーンズに通し、Tシャツの上にサマージャケットを羽織った軽装は、無造作に跳ねる黒髪や二十歳前後の外見年齢と相俟って夏期休暇を満喫する大学生のような印象を彼に与えている。とはいえ市内の大学に通う有象無象の若者達にその姿が埋没してしまわないのは、180cmを優に越える長身に加えギリシャ彫刻を思わせる常人離れして整った面立ちの所為だろう。表情や挙措にはのんびりとした柔和さが漂っているが、美しく――時に鋭く輝くコバルトブルーの瞳をまじまじと観察すれば、青年の激情家たる一面を見抜く慧眼の者も或いは存在するかもしれない。
 都市の玄関口たる中央駅の、その正面。見晴らしの良い広場に佇むその青年の姿は、大きな荷物を抱えた旅行者や路面電車の駅を目指して広場を横切る地元民、特に若い女学生達にとっては気になる存在らしく、足を止め数秒……或いは十数秒の時間を無駄に費やす人間が先程から後を絶たない。常なら微笑もしくは目配せの一つも返したであろう青年は、しかしそわそわと人待ち顔のまま腕時計と駅の出入口との間で目線を往復させるばかりで、己に捧げられた彼女達の熱い眼差しには気付きもしていない風である。
 青年――クロアチアは人を待っていた。通行人達は与り知らぬことだが、彼の正体は常人ならぬ“国”という特殊な生き物であり、本来ならば地続きの大陸を移動するのに鉄道の利用は必須ではない。しかし待ち合わせの相手は同じく国でありながら、方向感覚に甚だしく難がある。過去に同居していたこともあるクロアチアは相手が自国を訪れる際は必ず迎えに行くよう心掛けていて、今回は両国間を繋ぐ国際特急列車の発着するグラーツで落ち合うことになっていた。
 この都市とて件の人の屋敷内には違いないのだが、先程から駅の正面口へと頻りに目を向けているのは彼が常人のように首都からここまで鉄道を利用してやってくると予想しているからだった。正直あの方向感覚ではウィーン南駅に無事辿り着けることすら奇跡的だと常々思っているのだが、政府の公用車か何かで駅まで送って貰っているのかもしれない。尋ねたことは一度もないが。
「オーストリアさん……」
 心配なのは、腕時計の針が約束した時刻を15分ほど過ぎた数字を示していることだった。自分ならともかく、近隣の国々の中では割合きっちりとした性格で、待ち合わせ時間に遅れることも相手が遅れることも良しとしない人だというのに珍しい。道に迷って列車に乗り遅れたのなら構わないが、もし何らかの事件に巻き込まれていたとしても携帯電話を持たないクロアチアには連絡の取りようがない。
 あと10分待って、それでも来ないようなら駅構内の公衆電話から彼の家と自国政府に電話を入れてみよう。今後の方針を決めたクロアチアが己の不安感を宥めたまさにそのタイミングで、
「遅れてすいません」
待ち焦がれたその人の声が耳に届いた。
「いいえ!お久しぶりで……」
 オーストリアの声が想定していたのとは逆方向から掛けられたとしても、喜びと安堵の前には些細なことでしかない。クロアチアは勢い良く振り返り。
「す……、…………」
 次の瞬間には、その考えを改めることにした。
「お待ちになりました?どこかの誰かさんが妨害ばかりしてくるもので……」
「ふざけんなテメーが道に迷いまくったからだろこのクソメガネ」
「あの、オーストリアさん。……誰ですかソイツ?」
 つい挨拶も忘れ、クロアチアは眼前の不可思議を問い質した。どういう訳だか、駅前に現れたオーストリアは一人ではなかった。
「そんな奴、アニメに出てましたっけ?」
「おい」
「ああ、覚えていなくても仕方ありませんね。台詞があったのは実質二…三話でしたか?明らかにエストニアよりも重要度の低いキャラクターですよ」
「はあ道理で……」
「おい!何メタな話してんだよ!20世紀なんだからアニメどころか本家すらまだ存在してねーだろ!?」
 自分こそメタ次元なことを言いながらプロイセンが割り込んでくる。――そう、プロイセンだ。
 無論クロアチアはその顔を見忘れたことなどない。幾度となく刃を交え…たことはないが、オーストリア継承戦争でも七年戦争でも、クロアチアはオーストリア軍歩兵部隊の一角を担っていたのだ(正確に言うとハンガリー軍の一部のような身分だったが、それは忘れることにする)。
 あの時のにっくき敵、旧主や自分を苦しめた生ける暴風雨のような男が、苦虫を噛み潰したような顔付きでオーストリアの隣に佇んでいる。意味が解らない。
「ったく、馬鹿坊っちゃんの子守りは疲れるぜ。お前も昔は苦労しただろ?」
「え、あ………」
 大ぶりな革の旅行トランクを地面に下ろすと、プロイセンはやれやれといった風情で肩を回した。クラシカルと言えば聞こえが良いが随分と古びた、しかし頑丈なそのトランクがかなり重いことをクロアチアは知っている。
 軽量化の技術もない時代の、底に車輪も付いていないトランクを一人で運んできただろうプロイセンを前にして咄嗟に感じたのは、オーストリアさんの荷物持ちは俺の役目だったのに……というよく解らない対抗心だった。いやいや冗談じゃない、自主独立を何よりも重んずる己にあるまじき感情である。当時は手ぶらで悠々と歩くオーストリアとハンガリーの背中を見ながら屈辱を噛み締めていたじゃないか。しっかりしろ俺。
 小さく首を振るクロアチアをきょとんと眺め、次いでプロイセンを顧みて「誰が馬鹿坊っちゃんですか、このお馬鹿」と反論するオーストリアだけは、あの頃と何一つ変わっていない気がする。
「そうそう、このお馬鹿な暇人のことですが」
「誰が馬鹿だよ、この馬鹿」
「お黙りなさい。――あなたの家に伺うことをお話ししたら、自分も行きたいと言い出して勝手についてきてしまいまして」
「それは……」
 冗談じゃない。オーストリアと二人きりで過ごせるのはほぼ10年ぶりだというのに、何故こんな余計なオマケを連れて歩かねばならないのだ。
 クロアチアが難色を示していることに気付いているのかいないのか、オーストリアは「今から追い返すのも煩わしいですし、急な話ですみませんがこの人も寄せてくれませんか」と続けた。
「なっ、頼むぜ!」
 その横でプロイセンがニカッと破顔する。笑えば意外に人懐こそうな表情となるのだが、猛獣に笑いかけられて和む人間より危険を感じる人間の方が世の中にはずっと多い。
「なんなら坊っちゃんと同じ部屋でもいいんだぜ」
「いえ、客間なら二部屋用意出来るので……」
 馴れ馴れしい素振りは表面だけで、確実に喧嘩を売られている。クロアチアは相手を凝と睨み付けた。
 プロイセンの魂胆は目に見えている。オーストリアとクロアチアの仲睦まじさに嫉妬したこの亡国は、図々しくも全身全霊を以て二人の邪魔をするつもりでいるのだ。気付かないのはオーストリアくらいのものだろう。
「……わかりました、オーストリアさん」
 逡巡する気持ちも大いにあったが、結局クロアチアは頷いた。
 さらりとした口調の頼みは下手をすると一方的な命令のように聞こえかねないものだったが、少なくない年月を共に暮らしたクロアチアにはオーストリアが息を潜め、かなりの不安感を抱いてこちらの回答を待っているのが伝わってきた。不様な振る舞いを嫌う人であるからクロアチアが断ればあっさりと引き下がるだろう。が、プロイセンが騒ぎ立てた場合、話が拗れるのを面倒がって自分も帰ると言い出す可能性が高い。何を措いても自分と過ごすことをオーストリアが優先すると思えるほどの自信がクロアチアにはなかった。
「ありがとうございます」
 クロアチアの予想通り、承諾を得たオーストリアは安堵を示すかのように目を細め、僅かに肩の力を抜いたように見えた。
 仕方がない。生まれ変わったクロアチアの勇姿と美貌を見て貰えるだけで、今年の夏は満足しようじゃないか。これからだって、友好国であるこの人を我が家に招く機会は何度でも巡ってくるのであるし。
「んじゃさっさと行こうぜ。次の便は何時だ?」
 快活な……見ようによっては勝ち誇った風な笑みを浮かべ、プロイセンは旅行トランクを再び持ち上げた。荷物はその一つきりのようである。
 ――ん?
 今頃になって気付いたが、最初から一つのトランクに二人分の着替えを詰めていたらしい。クロアチアは目の前の銀髪男に対して明確な殺意を抱いた。
 
 
 
 
 
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※余談つーか補足

・元々オーストリア南部はスロベニアやクロアチアなんかのバルカン元召使組と縁が深いからなのか(WW2戦後ユーゴに取られそうになったくらいだし…)、グラーツはクロアチアのドゥブロヴニク及びプーラと姉妹都市提携してるらしいです。中央駅は2002年に現代的なデザインに改装されたので、1999年時点の外観は解んなかった/(^O^)\
あ、近世クロアチアに展開していたハプス帝国の対トルコ軍事部門は、グラーツにあった官庁が管轄していたらしいですね。

・クロアチアさんの身長が185cmなのは、ヘタリア亜細亜キャラの中でヨンスだけ背が高いのと同じ現象ということで……。19世紀のスロベニア人が同時期のオーストリア人より高身長だったらしいので、南スラブ人は昔から総じてのっぽさんなんでしょうけど。