一応普墺がくっちゃべってるだけの話ですが、主な会話の内容が上司についての噂話なので、史実キャラ(及び性格捏造)に抵抗のある方はご注意。



 
 
 
 ウィーン郊外、といっても市門とは目と鼻の先にある大邸宅の前で馬を降りた。胡散臭そうな顔付きで誰何してきた門衛に人間としての偽名を名乗れば、意外にもあっさりと重い門扉が客人に対して開かれる。事前に話が通っていたのかもしれないが、それにしても門衛の対応には緊張感が欠けているとしか思えないと警備体制を内心危ぶみつつ、プロイセンは何度目かの訪問になるその屋敷へと足を踏み入れた。
 フランス式の幾何学的な造作の庭園はなだらかに傾斜する丘陵を成していて、錬鉄製の大門を一歩潜れば、青空を背にした高台の上宮が聳え立つような威圧感を伴ってすぐに視認出来る。敷地内に入ってすぐ目に入る場所にある大きな噴水は今日のところは水を止められていて、しんと静まり返った水面に建物の影を鏡のように映し出している。道の両側に植えられた栗の木に導かれるように坂を登れば、頂上のベルベデーレ上宮に辿り着くという設計になっていた。泡立ち状の白いスタッコ壁、銅板の屋根と蒼穹との美しいコントラスト。三階建ての中央部分と左右に張り出した両翼とを持つ豪華な建物は、威厳と優美さの調和を湛えてそこにある。
 坂を上りきったプロイセンは、そこに至って思わぬ躓きに遇った。庭園の世話役、或いは建物の随所で多くの使用人が立ち働いているであろう敷地内は今日に限って静まり返っており、つまり馬を預かってくれる使用人が現状見当たらない。仕方なく大理石の馬の後脚に手綱を括り付けて、その場を後にすることにした。ぼんやり立ち尽くしているより建物内に踏み入って人を見付け、馬を厩舎に連れていくよう言い付けた方が話は早い。案内もなしに他人の屋敷に踏み込むのは非礼な振舞いかもしれないが、客人を出迎える体勢の整っていない先方がまずは礼を失している。仕方のない措置だろう。
 正面の短い階段を上ってプロイセンは二階中央の広間に入ったが、生憎とそこも無人だった。単なる勘で踵を西に向け、東洋風の花模様のタぺストリーが掛けられた部屋、次いで深紅色の天鵞絨で四壁を覆った部屋を通り抜ける。豪奢な調度に囲まれた無人の部屋は、夢のような華やかであるからこそ、異境に迷い込んだような錯覚と不安感を何とはなしに抱かせる。
 そこまでのエリアなら以前の招待で通されたことがあったのだが、プロイセンは自棄に近い気分になっていた。こうなったら誰かに見咎められるまで、縦横無尽に敵地を探索してやる。
 今まで見たことのない奥の絵画展示室や、他の小さな部屋を次々に通り抜け、最後には西端に位置する白い石膏壁の部屋に辿り着く。そこで、やっと人の姿に出会うことが出来た。
 漆塗りの器物、金箔を散りばめた陶器などに囲まれた東洋趣味の部屋で自らも調度品の一つであるような雰囲気を漂わせ、長椅子にしどけなく身を任せていた青年の姿を目にしたプロイセンは、思わず息を呑んだ。
 常のようにきっちりと整えられた髪と襟元を華やかに彩るクラヴァットは相変わらず品行方正を地でいくものだったが、ヴェストを纏わない白いシュミーズと赤銅色のキュロットだけの軽装は人目のある場で会うよりずっと寛いだ印象で、いつもより露となった身体のラインについ目が奪われる。腰を少し捻った姿勢で上体を背凭れに預け、長椅子の上に投げ出された白絹の靴下に覆われた脚はすらりと美しいラインを描いている。
 この宮の所有者は美意識の高い人間だった。それぞれが高価であろう陶磁器や家具の全てがただ唯一の目的をもって集められたのだろうと、芸術関係に疎いプロイセンにも一目で判る。この生活感のない宮殿それ自体が、ある一人を彩り、その容色を引き立たせる為の大掛かりな舞台装置として機能していた。調和に満ちた風景は、まるで絵画のような静謐さを体現している。
「……よぉ」
 我に返ったプロイセンが声を出すと、漸く来客の存在を意識に上らせたオーストリアはおや、という風に眉を上げて、感情の籠らないふわふわした口調で「先年の戦ではご苦労様でした」と社交辞令を告げた。プロイセンを前にして緊張を解いた態度でいるのは珍しいが今までも皆無だった訳ではなく、顔色は戦中より良いくらいで別段打ち拉がれた様子はない。
 訪問先の同族が身も世もなく悲嘆に暮れていたらどう悔やみの言葉を述べようかとこれでも考えあぐねていたのだが、平静でいられてもそれはそれで掛ける言葉に困る。まあ我が身に置き換えたとしても、仲の良い将軍が死んでもそれは寂しいと思うが、何日も嘆き悲しんだりなど一々していられない。そうするには、人間の生きる時間はあまりにも短すぎる。
 結局、「残念だったな」という通り一遍の台詞しか脳裏には浮かばなかった。
「そうですね。突然のことでしたし……」
「じいさん、本当に死んじまったんだな」
 何とはなしに部屋の四隅に視線を巡らし、面識のある…あったと言うべき小柄な老人を思い浮かべたプロイセンも、やけにしみじみとした気分になった。先程から感じるこの屋敷のひとけのなさ、がらんとした空気も、主を亡くした家に特有の寂寞なのだろう。老人自身はこの上宮を己が住居とはしていなかったので、死者の気配を感じ取るというのも奇妙な話なのだが。
「盛大で良いお葬式でしたよ。陛下達もお忍びで参列してくださいましたし」
 オーストリアはうっとりとした眼差しを宙に向けた。盛大なお式とやらを思い出しているのだろう。冠婚葬祭に矢鱈と命を懸けているかの国のことだ。それが何らかの慰めになっているのかもしれない。
 壁際には金糸混じりの生地を座面に使った、東洋調の黒枠の椅子が何脚も並んでいたが、プロイセンは部屋の中央に据えられた長椅子のすぐ前まで歩み寄り、立ったままオーストリアを見下ろす位置を選んだ。腕組みして自分を見下ろすプロイセンをちらと上目遣いで一瞬観察し、すぐにオーストリアは興味を失ったとでも言うように再び視線を逸らす。強いて席を勧めようとしないのは互いへの理解の賜物か、単に気を遣われていないだけか。
「うちの王子がお前によろしくってさ。葬儀に駆け付けられなくて悔しがってた。弔問に俺を代理で寄越したのも渋々だったんだぜ。『良いお葬式』だったって伝えといてやるよ」
「それは有難うございます、後で墓所にも案内しましょう。フリードリヒ殿下はお元気ですか?」
「面白いくらいガックリきてる。2月には初恋のお姫さんがとうとう結婚しちまったーって落ち込んでた上に、憧れのオイゲンじいさんまで死んじまって超鬱モード。あいつ繊細で扱いに困るんだよ」
「あら、殿下にも可愛い奥方がおられるのでは?」
「まぁなー……」
 プロイセンは頭を掻き、結果的に老人との思い出の品となった嗅ぎ煙草入れを握り締めて鬱々としていた二十代の青年を思い浮かべた。正直に結婚三年目にして既に夫婦仲が冷えきっていると他国に向かって吹聴したくはない。妻のエリザベートには夫に歩み寄るつもりが充分にあるのだが、「儂はいつ孫の顔が見られるのだ」という上司の愚痴をプロイセンが聞き続けなければいけないのは、ひとえにフリッツの偏狭のみが原因である。プロイセン自身責任を感じる部分がなくもないので、新郎に対して文句を言ったことはないが。
 あの次代の上司をプロイセンは割と高く評価している。芸術家肌で感受性が強く、それが不屈の精神力や合理性と矛盾しない稀有な例を体現している。といってもそのフリッツ青年と険悪な仲の、豪放な軍人でありながら繊細な小心者でもある彼の父親のことも、プロイセンは決して嫌ってはいない。自国民、特に上司の一族には無条件で愛着を抱いてしまう。国たるものの本能のようなものだ。
 プロイセンの歯切れの悪さをどう感じたのか、長椅子の上で姿勢を変えたオーストリアは宥めるような微笑を浮かべた。
「殿下へ何か形見分けでも出来たら良かったのですけど。公の遺産は全てイタリアの姪御さんが相続することになっていまして、私が自由に動かせるものは何もないのです」
「は?なんだよそれ。遺書が発見されなかったから、正体不明の妹と姪が全財産相続するって噂はマジなわけ?ダチとか愛人とか部下の連中とか怒ってんだろ」
「妹さんは既に亡くなっていたらしいのです。だから姪御さんお一人です」
 プロイセンの疑問には、前者のみに回答が与えられた。いくら現在は友好国であるとはいえ、オーストリアにもプロイセンと同じく、触れられたくない国内事情があるのだろう。
「この屋敷も私の居るべき場所ではなくなってしまいました。今日もここへは私物を持ち帰る為に伺っていたのです。人に命じて荷造りさせようにも、使用人の大半に暇が出されてしまったのでなかなか手が足りなくて」
 淡々と言って肩を竦めたオーストリアによって、この部屋に入るまで誰にも出会わなかった理由が図らずも判明した。そういえばプロイセンの馬は重い鞍を背に乗せたまま、水や飼い葉も与えられないままでいるのだろうか。可哀想に。
「……お前はそれでいいのかよ。大体、この国に建ってるブツはハナからお前の持ち物みてーなもんだろ」
「このベルベデーレは上司の一族が購入するという話も出ています。ですが、上司の物になっても即ち私の物ということにはなりません」
 その話では所有者の代替わりを機に問答無用で追い出されるとでもいう風ではないか、国ともあろうものが情けない。オーストリアの言い分は、正直に言ってプロイセンには実感出来ない。自分達のような国の化身は自国内であれば、どんな場所に立ち入ろうとも咎められることはないし、大概の場合は積極的に歓待されさえする。それは国土が国の身体そのものであるからだ。
 言わずもがなのことを確認したプロイセンに、オーストリアは「いいえ」と告げた。国土の一部だからと、そんな漠然とした理由で今までここに滞在していたのではない、もっと個人的な契約だと、青年は唇を三日月形に持ち上げた。作り物じみた美貌をますます人工的な印象にするその表情は、手に入れた宝石を自慢する頭の軽い女のそれとも似通っている。
「公が私へ望んだから、私はベルベデーレにいたのです。公亡き今は、この建物に意味などありません」
 公は同じ敷地内にある、丘の麓の下宮を自らの生活の場としていた。莫大な財を投じ、より豪奢なベルベデーレ上宮を建てたのは国の勢威を示す為、つまり彼の仕える国へ捧げた自らの忠義を視覚化する為だったと聞いたことがある。
 戦場にあっては欧州全土にその名を響かせた稀代の名将は、平時においては美意識に優れた文化の保護者として有名だった。生涯妻も子も持たなかった公は家族に注ぐべき愛情の代償のように、仕える国の現身である白磁の肌と紫水晶の瞳を持つ青年の美しさを愛で礼讚することを己が誇りの拠り所とした。王宮ならぬ個人の一邸宅こそがオーストリア文化の中心地と内外から見なされていた所以である。
 生前のオイゲン公の権勢は格別なものだった。一家臣であるはずの外国人貴族が一国の最高権力者であるかのように誰もが認識していたのだから尋常ではない。皇帝側近らによるクーデターが起きた際も公が結局宮廷から排除されずに終わったのは、国の象徴であるオーストリアがベルベデーレ上宮に住み続け、言外の支持を与えていたからである。国そのものの意向は、皇帝のそれよりも場面によっては大きく作用するものらしかった。
 
「生前ウジェーヌは、自らをフランス人ではなくイタリア人であると言いました。そして私だけを生涯かけて愛すると。私はその言葉を信じました。だから幸せです」
 プロイセンの好きにはなれない、底が浅いとしか思えない笑みを浮かべたままのオーストリアは、その主張とは真逆にオイゲン公の名を甘ったるいフランス風の発音で呼んだ。フランスで生まれ、フランス王に疎まれ軍隊に入ることの出来なかった公は生涯故国フランスを憎んでいたらしい。そのコンプレックスがオーストリアを愛する原動力になったのは間違いなく、プロイセンに言わせればそんなものは捻じ曲がった代償行為だ。オーストリアも気付いていなかった筈がない。
「……馬鹿じゃねーの」
 プロイセンが目障りに思う暇もなく、ただの人間である男はあっという間に年老い死んでしまったが、そうでなくても嫉妬などは抱かなかったに違いない。彼ら主従の蜜月など、互いの瑕から目を逸らす為に愛情の真似事を与え合うままごとのようなものだった。
 その証拠に、寵臣を亡くしたオーストリアには嘆きが薄く、他国の王子ほどにも老人の死を引きずっていない。
 先程からプロイセンを薄ら寒くしている、屋敷内に漂う空虚感の理由にもここにきて合点がいった。怠惰な門衛、足りない人手。ゆっくりと視覚化されつつある世界の崩壊はこの箱庭を作り上げた者の死が契機であることは間違いないが、豪華なしつらえ自体に変化はないのに屋敷が空っぽに見えるのは、実質的な所有者だったオーストリアが最早この場所に心を残していないからだ。確かに、オーストリアの言う通りベルベデーレは誰にとっても意味のない場所となりつつあるのだろう。
 フランスほどあからさまではないが、プロイセンの目から見たオーストリアも軟弱で、どうしようもなく軽い。触ること自体はとても簡単に思えるのに、ふわふわと輪郭が定まらず、すぐに手をすり抜けていってしまう。プロイセンの知る限り、オーストリアの心にしっかりと爪痕を残せた存在など二、三の例外しかいない。
 
 
 
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※1736年4月21日、プリンツ・オイゲン・フォン・サヴォア73歳で病没。死因は肺炎ですが、ポーランド継承戦争の頃には、既に一時間前のことを覚えてられないくらいボケが進行していたらしいです。
前半はオイゲン公のターンでしたが、後半はフリッツ親父(ぴちぴちの20代)のターンになる予定。


▼ちなみに、300字以内でわかった気になるオイゲン公略歴↓

・父はイタリア名門貴族の傍系、母はフランス王の愛人(なので御落胤説あり)。幼い頃に父が亡くなっており、母には育児放棄され気味。
・フランスを出奔した後はイタリアに住む親戚から生活費を援助してもらって薄給時代を食い繋ぐ。けど、オーストリアさんの為ならその親戚と戦場で敵対しても平気。
・大トルコ戦争で頭角を表し、スペイン継承戦争で欧州全土に名声を轟かす墺軍史上屈指の名将。後年には政治も牛耳るけど経済オンチ。
・超の付くレベルで嫌仏・親英。でも日常会話はフランス語で、ドイツ語の読み書きは苦手。
・フランスにいた頃、ホモ罪で告発されている(マジ話)。