気分転換がしたかっただけで、カーテンの陰に隠れる位置に立ったのは決して故意からではなかった。だが庭のライラックに寄りかかり気味にこちらを見上げる人影を見咎めた途端、オーストリアはそこから一歩も動けなくなる。
捨てられた子供のような、そんな途方に暮れた顔をしないで欲しい。いつものように意味もなく威張った顔をして、近所迷惑だとか何とか人の神経を逆撫でするような言葉を喚き散らしながら押し入ってくる騒々しさが彼には似合っているのに。
ほんの時折、プロイセンは彼らしくもない臆病風に吹かれることがあるらしい。
中断したピアノがこのまま聴こえなければ、彼は不思議に思って屋敷の中に入ってくるだろうか。それとも気紛れに演奏をやめてしまったと判断して帰ってしまうのだろうか。どちらの結果を望んでいるのか解らないまま、ガラス越しに相手の様子を観察した。
窓を開ければライラックの香りが夜の静寂と共に流れ込んでくるのだろう。黒の外套は暗がりに半ば以上溶け込み、血の気の失せた顔だけが窓から差す灯りに照らされ白っぽく浮かび上がる様は非現実的で、どこか亡霊じみている。
一体何のつもりだろうと、呆れているのは本心からだ。夜に歌うナイチンゲールに文句を言う人間がいないのと同じで、祖国の弾く小夜曲を迷惑に感じるオーストリア人は国内のどこにも存在しない。気にせず己の音楽に没頭すればいいと判っているのに動けないのは、目を離した隙に何かを諦めたプロイセンがいなくなってしまうことを恐れているからだ。窓を開けて引き留める勇気もない癖に。
……本当は隠れる意味などなく。オーストリアがそこで見ていることはとっくに承知の上で、知らぬ振りをされているのだろう。大勢の兵士が入り乱れて戦う戦場でも着飾ったお歴々が仮面で顔を隠して微笑む舞踏会でも、動物じみた勘を働かせたあの男は必ずオーストリアの前にふらりと姿を現し、傲岸不遜を絵に描いた態度でニヤニヤと下品に笑ってみせるのが常だったから。
朝日の下では、こんなものは夜が気紛れに見せた幻だと笑い飛ばして、すぐに忘れてしまう程度のことに違いない。
まだ中天にある月は当分の間沈みそうにないので、惑わされたままの二人は息を潜めて相手の出方を窺っている。