捏造年表というかネタ覚え書きというか。
……西洋史オンチによる独断と偏見。Wiki+α(菊池良生・江村洋・中野京子とかの入門書)程度の知識しか持ってません。墺総受けというか、なんとなく普墺前提っぽい?
→→→ついでに別ページで主要キャラの生まれ年推測もしてみた◆
・イタリアにかまかけて国内ほったらかしの神聖ローマ(1138〜1254ホーエンシュタウフェン朝)。
・それを怒るスイス。
・それ観察してスイスこえーと思ってるプーはスイスに連れ回されてるかわいこちゃんにどきーん!
・口調きついスイスを見てかわいこちゃんが虐待されてると思い込むプー。
・実際に虐待してたのはハンガリーでした。
・神聖ローマの家に預けに行くことを思い付く(1273〜)。こいつはいじめられなくなるし、神聖ローマもイタリア通いが落ち着くんじゃね?俺ってあったまいー!(ここだけ普=ホーエンツォレルン家=ニュルンベルク城伯で勝手に解釈)
・バルトで暴れてたプーがある日ドイツ国内に戻ると、そこには以前より満身創痍のかわいこちゃんが!
・神聖ローマはほったらかしにしてた!その間に嫉妬した連中にいじめられてた!スイスとも絶縁してた!(1291〜)
・後悔するプー。かわいこちゃんを独力で守れるくらい強くなることを誓うのだった…!
・でも幼少貴族はそれからすぐに枕営業覚えて自力で這い上がるよ!
・以上、御本家のふしぎなお兄様の続きを勝手に捏造してみた編でした。
976〜
・神聖ローマ帝国東の国境線、キリスト教世界を異教徒から守るために作られたオストマルク辺境伯領。
・マジャールによる侵攻で壊滅した、かつて存在した複数の辺境伯同盟(799〜9c末)の領域を統合する形で成立。幼くして死んだ兄姉達の志を引き継いだ的な?
・但し、ボヘミア(10c末)やハンガリー(1000)がキリスト教に改宗することでキリスト教守護者としての存在意義を失う。
・しかも弱い。隣国バイエルン・ハンガリー・ボヘミアとの争いを繰り返すが概ね劣勢。
・上司がハンガリーとの戦争中に戦死し、後継者がいなくなったどさくさ紛れにボヘミアに飲み込まれそうになる(1246〜)。
・そこで颯爽と助けてくれた神聖ローマに胸キュン。しばらく一緒に暮らすが、他の家族からの嫉妬によるイジメを受け、すぐに追い出される。
・仕方なく故郷のスイスに帰ろうとしたら、スイスお兄様に拒否されてこの地も追い出される。結局ウィーンに居着くことに。
・再び軍事的に弱体化。当時の上司の意向によって、徹底的に枕営業を覚えさせられる。
・余談ながら、こんくらいの時期に英仏百年戦争(1337〜1457)。
・再び神聖ローマに拾われ(1449〜)、東方といわず国全体…神聖ローマを守るのが己の使命だと思い定める。
・年上で国力も上なブルゴーニュを後ろ盾として利用するつもりで婚約するが(1473/9〜11くらい)、強気の相手に却って吸収合併されそうな雰囲気だったので一計を案じ、スイスお兄様に仲直りをチラつかせつつ結婚したくないと泣きつく。
・で、兄心を思い出したスイスがフランスに雇われて奮闘(1474〜1477ブルゴーニュ戦争)、ブルゴーニュの上司が戦死して弱体化したところで、何食わぬ顔しておもむろにブルゴーニュへ嫁入りする墺(1477/8/19)。騙されたスイスとの遺恨が更に深まる。
・結局ブルゴーニュとは4年くらいで離婚。離婚相手から召使いベネルクス三兄弟を横取りしたまま、次いでスペインと結婚する(1496)。東西からのフランス包囲網を敷いて仏兄ちゃんを真っ青にする。
・ハンガリーを籠絡(1522〜)、味方に付けて東方のトルコに対する防波堤に使う。1526年ハンガリー家の上司が戦死し(モハーチの戦)、召使い達共々墺さん家のメイドに。1541年以降は男装やめる。
・イタリアを連れて帰ったら神聖ローマが喜ぶと思う貴族、それを実行(1521〜1544イタリア戦争)。
・この辺が貴族の人生の絶頂期。
・小さな恋のメロディを微笑ましがりつつ、何故この方は小さいままなのだろうと悩む貴族。
・お前が幸せなら構わないが、なんか納得出来ん…と思ってた神聖ローマは、イタリアに夢中になって貴族への関心が再び薄らぐ。
・実際スペインとの結婚生活が幸せで、本来の目的を見失いかける貴族。
・上司の分割相続でハプス夫婦イヤイヤ別居(1556)。
・イギリス・オランダに制海権取られて(1588アルマダ会戦)別の場所で挽回したい親分の焦りが、貴族への干渉を呼ぶ。
・親分としては、実質的に内政も外交もやってるのは貴族なのに、何故神聖ローマに義理立てしているのか理解出来ない。
・神聖ローマを無視してドイツ全部をお前の国にして、ハプス夫婦でヨーロッパ全部を支配しようという親分の誘いに、夫への愛情と別居生活の寂しさから揺らぐ貴族。
・また二人で暮らせるようになるなら……。初めて優先順位が親分>神羅に。
・三十年戦争(1618〜1648)。元同居人達を踏み潰しまくったりスーさんと戦ったり味方のバイエルンにエロいことされたり敵のフランスに強制猥褻される。スペイン親分は甲斐性なしだから何の役にも立たないよ!
・負ける。神聖ローマが瀕死の重態を負って意識不明に。自分の所為だと(戦争原因としても精神的に神羅を裏切ってたという意味でも)己を責める貴族。
・続く西仏戦争(〜1659)でもフランスに負け、借金漬けでフランスに頭が上がらなくなる親分。
・一方、この頃の仏英は割合仲良し。スコットランド兄さんがどうしてもって頼むから嫌々つるんでやってるんだ!上司の顔を立てる為に仕方なくなんだからな、ばかぁ!みたいな。
・1665-1667第二次英蘭戦争(商売敵の潰し合い)。イギリスがブレダの和約によりニューアムステルダムを入手。イギリスと子メリカの出会い。
・西仏戦争の勝利で調子に乗ったフランスが当時スペインの部下だったベルギーに向かって俺の嫁宣言するが、あんな奴に妹を任せられるかとキレた兄オランダが妨害(南ネーデルラント継承戦争1667〜1668)。
・オランダは仇敵イギリスやスペイン、オーストリアとまで手を組み、対フランス同盟を結成。
・英が対仏同盟入ったのは貿易上の競争相手であるフランスの台頭を嫌う議会の要求。親仏の王は不満だったので、1670年ドーヴァー秘密条約。金と引き替えに対オランダ戦でフランスへ味方すると約束。
・南ネーデルラント継承戦争根に持ってた仏がオランダに攻め込むが、無事に撃退(1672〜1678)。同時に1672-74年寝返った英が蘭に攻め込み、第三次英蘭戦争。
・オランダ侵略戦争の不利を挽回する為、フランスから資金援助を受けたスウェーデンが嫌々ながらドイツ国内に侵攻するが、きっちり軍備増強していたプロイセン(ブランデンブルク)に敗北、逆にポンメルン取られそうになる(スウェーデン・ブランデンブルク戦争1675〜1679)。この頃からスーさんの絶頂期に影が差し始めると同時に、プーの神聖ローマ家内での地位が高まる。
・子メリカにすっかり夢中になった英は、子メリカにちょっかい出すフランスが段々うざくなってくる。仏と戦う為の味方募集中だったオランダと和解し、親仏上司を追い出す為にオラニエ公ウィレム(ウィリアム3世)を新しい上司として引き入れる(1688名誉革命)。
・1689年ウィリアマイト戦争。ジェームズ2世+フランス+アイルランド+スコットランドVSウィレム+イングランド+オランダみたいな。
・仏英・米英的視点で見ると、英の急激な心変わりは結構仏にとってショックな気がする……。珍しく交際上手くいってただけに。
・ウィリアマイト戦争は、欧州全体で見れば大同盟戦争(ファルツ継承戦争)の一局地戦。フランス(+トルコ)VSアウクスブルク同盟(1686〜墺・独諸侯・スペイン・オランダ・スウェーデン)。名誉革命後は英も同盟に参加。
・仏VS英は英勝利。1692年の海戦も英勝利。しかし大陸側は仏優勢。ベルギー、サヴォイア(1693)、スペイン北東部にまで侵攻。1697レイスウェイク条約で手打ちに。
・北米ではウィリアム王戦争の名前で、仏英が子米の兄の座を巡って殴り合う。ここから第二次百年戦争勃発。
・大同盟戦争でフランスが好き勝手に暴れてたのは、墺がトルコと交戦中で弱体化してた隙に…という事情が原因。
・貴族はハンガリーに家出されそうになった挙句、仏の支援を受けたトルコに無理やり迫られる(1683〜)。ポー・イタちゃん・ろっさまに加えドイツ諸邦に助けてもらい、国内の亀裂が少しだけ修復。逆にトルコをヨーロッパから押し返す(大トルコ戦争。〜1699カルロヴィッツ条約)。
・翌年(1700)親分が離婚を切り出す→貴族が抵抗。スペイン継承戦争(1701〜1713)。
・兵を出す報奨としてプーに王位を与えて、プリンツ・オイゲンに怒られる(1701/1/18)。
・貴族をスペインと離婚させたくて仕方ないバイエルンがフランス側に付いて、激怒した貴族にフルボッコにされる。
・戦争としては勝ったけど、離婚撤回は出来ず。にも関わらず頑として認めない貴族(1714ラシュタット条約)。腹癒せに、旦那名義になってた夫婦の持ち物ごっそり持っていく。
・親分が、没落していく一方の自分の借金スパイラルに嫁さんを巻き込むまいと離婚を切り出したと、貴族欠席してたスペイン継承戦争の講和会議(1713ユトレヒト条約)で話してたことは伏せておく卑劣なプー。
・俺はあいつの重荷にはなりたくなかったんや。最後まで勇ましくあいつを助ける王子様でいたかった。
・その気持ちわかんなくもねぇぜ。
・プーは大北方戦争に介入してますます国力を付ける(1700〜1721。プーの参戦は1715〜、実はガチンコでは殴り合ってない)。
・四ヶ国同盟戦争(1717〜1720)でロマーノの親権を争う修羅場を演じたほとぼりも冷めないうちに、将来的な再婚を条件に親分が貴族との同盟を打診。一緒に制海権がっちり握ってるイギリス・オランダをボコろうという親分の提案に、貴族はフランツル大好きなテレジア様の意向も無視してついふらふらと頷いてしまう(ウィーン同盟1725/4)。
・スペイン・オーストリアの動きを警戒してフランス・イギリス・プロイセンがヘレンハウゼン同盟を結ぶが(1725/9)、オーストリア・ロシア間で提携が結ばれたのに続き(1726夏)、プーがオーストリア側に寝返る(1726/11ヴスターハウゼンの密約)。あいつが前の男を忘れられなくても、俺の気持ちは変えられないんだ…的な。
・しかしそんな健気プーを見ていたスペインが突如イギリス・フランス・オランダとセヴィリア条約を結んで和議(1729/11)。再婚の約束も含め、オーストリアとの全条約を白紙撤回して放り出す。元夫の再びの裏切りにオーストリア呆然。
・ロシアは状況を静観。オーストリアの同盟国はプロイセン一国だけになる。坊ちゃんが頼りに出来るのは俺だけ…と内心では重ね重ね嬉しいプー。
・国際的に孤立してた墺は1731年にようやくイギリスとの関係を修復(1731/3ウィーン条約)。大国の王子(この場合はスペイン?)とテレジア様が結婚しないことを条件に、女子相続を認める国事詔書を承認。後日、オランダ・スペインも承認。
・ロシアとプーがポーランドの上司選びにちょっかい出してポーランド継承戦争勃発(1733〜1735)。貴族自身はポーランドん家に一歩も足を踏み入れてないにも関わらず、これを口実にしてフランスがロートリンゲンに侵攻、北イタリアでも戦端が開かれ、スペインがロマーノ奪い返しに出撃。貴族を袋叩きにする。イギリスとオランダは中立。
・多方面作戦を取らされいっぱいいっぱいの貴族を見たプーが、俺んちの総力を上げて坊ちゃんを助ける!と勇むが、肝心の貴族に他のドイツ諸侯と同程度の兵を出してくれるだけで良いと断られる。
・ようやく対等の立場になって坊ちゃんのことを守れるようになれたと思ってたのに、まだ俺のことを単なる部下としか思ってなかったのかよ……!!ハートブレイクなプー、今までの献身的に尽くす態度を大転換、暴力に訴えてでも俺の存在をあいつの心に刻み付けてやる!と強硬路線に出ることを決意。
・フランスは撃退出来たものの、スペインの猛攻撃にはされるがままの貴族、戦後処理で自分ちに連れ帰ってたロマーノをスペインに返すことになる(1738/11/18ウィーン条約)。
・……これ西ロマ前提にするとめっちゃ貴族が可哀想なんですが。この時点では貴族、親分にまだ未練持ってるように見えなくもないし。
・早速オーストリア継承戦争でフランスと手を組み、貴族の大事なところ奪ってくプー(1740〜1748)。
・でもシュレジェンって今はポーランド領だよなー。現代設定のプーが責められる謂われは全然ないよな。「知るかよ、ポーランドにでも言えよ!」的な。
・そもそもシュレジェン公国は「大事な人」じゃないのか?しかしWW1後の貴族が不況によるダメージだけでなく身体的ダメージも食らってたということは、所領に収めた地域は別キャラとして存在しつつも、支配者の肉体にも連動してくるのか。ややこしいな……。
・貴族をボコったほとぼりも醒めないうちに、七年戦争で自分がフルボッコされるプー(1756〜1763)。
・フランスとオーストリアが友達に…!?ありえねぇぇー!!……なんか、やることなすこと逆効果……。
・本心はともかく、仏はお付き合いする相手にはきっと優しい(態度だけは)。
・しかしこの時期の上司がブルボン系スペイン王家と二重結婚してる辺り、貴族の本音は親分との復縁にあったのかもしれない。
・基本的にイギリスはちびメリカのことしか視界に入ってないから欧州のことは結構どうでもいいよ!
・しかし独立される(1775〜1783アメリカ独立戦争)。フランス・スペインどころかオランダにまで裏切られる英。
・独立戦争の余波でフランスにも革命が(1789〜)。だって独立戦争の援助でお金沢山使ったのに、アメリカがあんまり貿易取引額増やしてくんなかったんだもん。
・黒お兄さん降臨。まずはマリーさん血祭りに上げ(1793)、ナポと一緒にヨーロッパ中攻め込んでいって神聖ローマ死亡(1806)。
・ちょっと心を許した矢先にエライ目に遭わされ傷心の貴族の肩を、(自分も負けて帰ってきた)プーがそっと抱く。
・ライン同盟に参加しなかったのっで、単に普墺の国力がドイツ国内では群抜いてただけの話なんでしょうけど、この二国だけが神聖ローマを弔った…というシチュにはトキメキを抑えられない。
・しかしマリーさん殺したばっかなのに貴族んちの姫を新しい上司に無理矢理差し出させる(1810/4/1)とかね。もうね。
・ナポが負けたので貴族んちでウィーン会議(1814〜1815)。ちゃっかり新政権建てて潜り込んでるフランスお兄さん。
・ウィーン体制下で、欧州各国の協調が図られる。しばしの平和な時代。
・ドイツ連邦結成(1815)。今のドイツの誕生?連邦議長は貴族ん家。
・1806年のライン同盟で神聖ローマが死んで、連邦発足が1815年…実際はあんまり時間が経ってないんですねぇ。いわゆる長期入院。
・しかし会議の席上で神聖ローマが死んだことを仏から聞かされたイタリアが、密かに貴族への反発心を抱くようになる。
・自分がライン同盟でトドメ刺したくせによく言ったもんだ、というか貴族に対する敗戦国の地味な嫌がらせ?でも『ドイツ』として第二の人生を送ってるから『神聖ローマ』はもう存在しない、という意味の言葉をイタちゃんが勘違いして受け止めたという可能性もある。それなら不幸な事故……いやまあ、ずっと帰りを待ってた初恋の子に自分のことすっかり忘れられたとしたら、生きてようが死んでようがショック受けるには違いないけど。
・貴族がプーのこと好きになるとしたら、ここら辺のドイツ子育て時代しか思い当たらない……。比較的ほのぼのした状況下で擬似夫婦っぽいことしてるうちに、うっかり愛情が芽生えた的な。
・しかし心機一転家族だけでやり直したいのに、ハンガリー達と別れようとしない貴族にドイツ国内(とプー)の不満が高まる。
・一応この時期のオーストリア外交はプロイセン・ロシアとの神聖同盟(1815/9/26〜)が基調。ここに仏英を加えた五国同盟(1818〜)は各国の利害の対立や二月革命・三月革命(1848)やらのゴタゴタのうちに崩壊。
・トルコに対する東欧・バルカン諸国の独立運動を露が支援したことで、土露間でクリミア戦争勃発(1854〜1856)。仏英、後にサルディーニャ(伊)とスーさん(嫁をろっさまの家から連れ戻したい…)が落ち目のトルコ側に味方し、戦争規模拡大。
・貴族的には中立の立場で、戦争前に何度か講和を打診するも失敗。開戦当初は露寄りで仏英の進軍を邪魔したりしていたが、仏英から自分達に味方するよう圧力をかけられる。
・貴族と上司一同は迷った挙句、仏英の意向に沿う形でロシアに最後通牒を発し、ろっさまもやむなく仏英と和解。
・ろっさま的にはハンガリーさん家の独立運動を鎮圧するのを手伝った時の恩義を感じてる(筈の)貴族が絶対自分に味方すると信じていたので、この裏切り行為に激怒。神聖同盟破砕。
・貴族への恨みから後に、フランスによるイタリア独立運動への協力を支持したり、ろっさまに対し好意的中立を貫いたプーへの好意を強め、ドイツの親権問題でプーの味方をしたりと、とにかく反墺活動を繰り広げるようになる。
・しかもパリ講和条約(1856)の席がイタちゃん家の上司による貴族の悪口言いまくる場と化し、貴族踏んだり蹴ったり。
・クリミア戦争で仏英への恩を売ったイタリアが、1858年7月に仏に対して軍事援助を約束させる(プロンビエールの密約)。
・仏の支援を受けて、イタリアが貴族から離反、独立(1859〜)。でも全土を取り返す前にイタちゃんの了解を得ずに仏が貴族と勝手に和平結んじゃう(ヴィッラフランカの休戦1859/7/11)。フランス兄ちゃん、老獪すぐる……。
・信用ならない上にことあるごとにセクハラ(領地要求)してくるフランス兄ちゃんは味方として望ましくないと悟ったので、イタちゃんの次なるターゲットはプーへ。
・1848年のフランクフルト国民議会の時点ではプーの心は貴族と離れる方向にはなかったが、その後の国民の意向や鉄血宰相どのの思惑に上司が言いくるめられたこともあって自分の心も揺らぎ、60年代に入るとドイツの親権独り占めを本格的に検討するようになる。
・そしてプーと貴族とでデンマーク相手に喧嘩(1864)。……というのは罠だった。
・普墺戦争(1866)でプーが貴族の手からドイツの親権無理矢理持っていく。でもって北ドイツ連邦を作って別居開始。
・普墺戦争に付随して行われたリッサ海戦(1866/7/20)では貴族ん家にボロ負けしたけど、同盟国のプーが勝ったので未回収のイタリアを持って帰ったイタリア。
・美しく青きドナウを聴いて心を慰めます……。
・敗戦後、貴族ん家では元々ザクセンに仕えていた反プロイセン主義の人が外務大臣になるが、貴族がフランスと同盟するのを嫌がりまくったので反プー政策頓挫。プー側もハンガリーと連絡を取って仏への接近を反対。
・仕方ないのでドイツのことは諦めて、妥協でハンガリーと結婚する貴族(1867)。
・なんか、普墺ともにお互い嫌え合えずに妙な未練が残ってるかんじなんだよなぁ……。
・プー側も賠償金ちょこっとしか求めないし領土割譲もないし、これ以上嫌われないように必死なかんじ。
・でもって夫の未練を察した正妻ハンガリーがヤンデレ化する。プーへの未練はどうしようも出来ないと解ってるから、というか傷心の貴族の心の隙につけ込んだ自覚があるからこそ、せめて正妻の座にしがみつく。ましてや、チェコや他の連中がオーストリアさんに指一本でも触れるなんて許せるもんですか!!
・普仏戦争でプーが名実共にドイツ代表に。ドイツ帝国建国(1871)。貴族やリヒテンのハブが完全に確定。
・取り敢えず、個人的にはドイツ帝国成立後もほぼプーが国の実権握ってて、ドイツも兄の手伝いをしながら徐々に国政学んでいくかんじだと思うんだ(`・ω・´)で、WW1直前は発言力半々、ワイマール共和国になってからは完全にドイツ一人で国の代表を担うようになるとか。
・普仏戦争でもろっさまはプーのこと支援しつつ、墺国境に軍を展開。ふふん、捨てられた君なんかじゃなくて、彼の味方はこの僕だけなんだよ…的な?なんという三角関係。
・露と墺が仲悪くて一番気まずいのはプーなので、ドイツが両者を仲介する形で1873年三帝同盟締結(対フランス目的)。
・しかし貴族側もろっさまへの反発心を強めていたので、露土戦争(1877〜1878)でろっさまがバルカンに勢力拡張させることにいちゃもんつけまくる。ので中立を自認してるプーが仲裁に引きずり出される(ベルリン会議1878)。三角関係ひゅーひゅー。
・でも中立と言いつつプーが本当に好きなのは貴族の方なので、かなり貴族に甘い結論を出す。勿論メンツ丸潰れのろっさま超不快。三帝同盟が崩壊し、独と露の関係も悪化。
・しかしこの時タナボタ的に召使いにしたあの子が原因で後年あんな事態になるとは……トロい貴族だけでなくプーすら予想していないのでした……。振られたろっさまの呪い?
・1879年、独墺同盟(対ロシア防御同盟)。1881年に三帝同盟(三帝協商)も復活するけど、多分に名目的なもの。
・仏に対抗する為には二国だけでは不安なので、ろっさまに代わる同盟国を探した結果、プー的には普墺戦争で貸しのあるイタリアに白羽の矢を立てる。1882年、独・墺・伊の間に三国同盟締結。でも伊的には墺さん家から出てったばっかりな上に、神聖ローマの死に関する諸々の感情を引きずってるので、正直なんだかなぁといった気持ち。
・でもって三国同盟結んでた筈のドイツとイタリアが御本家ではWW1の時に初めて出会った風だったので、やっぱりこの時点ではプーが外交取り仕切ってたのかな、という傍証になる気もする。
・貴族は1881年にセルビアと、1883年にルーマニアとも協定を結んで、東欧への発言力を強める。
・ブルガリアがトルコ領東ルメリ自治州の編入を求めて1885年、反対するセルビアと交戦。貴族ん家が調停に入り更に東欧での名声を高めるが、トルコだけでなくろっさまも不快の念を抱き、露墺間の感情がますます悪化。更に、1886年ブルガリアの上司が親独の墺軍人に変わったのでろっさま完全に怒る。
・1887年ブルガリア第二の危機に、貴族はイギリスと一緒にブルガリアを支持してろっさまのへそを曲げ、期限切れの迫る三帝協商が更新されない事態に。困ったビスマルクは同年、単独で露と再保障条約を結ぶ。
・墺は対仏・対露目的でイギリス・イタリアと地中海同盟および三国協定を締結(1887)。仲介にビスマルクが当たっているのでプー的にも了解済み。
・1890年、ビスマルク辞任。後任の人達がイギリスと仲良くしたいと考えたこともあって、ロシアとの条約関係を絶つ。
・プー的には1878年辺りからろっさまよりも貴族を選ぶという心情はずっと変わってない訳ですが、これ以後、独露関係は見せかけ上も崩壊。
・1912〜1913年のバルカン戦争ではロシアとオーストリアは敵の敵は味方とばかりにそれぞれ別陣営に支援を行い、こういう構図がWW1にも引き継がれてるかんじ……。
・ちょっとここだけ時を遡った話。以下にっさま関係の話もちょっと交えてみる。開国したばかりの日本がイギリスさん素敵ばっかり言うので(1871〜1873岩倉使節団)、上っ面だけは紳士ぶっててもヨーロッパの奴らは他国を食い物にすることしか考えてない最低の奴らだぜ?とプーが日の憧れに水を差す。
・1890年に決定的にプーに振られた露が未練を捨てて仏に接近。対独同盟を結ぶ(1894)。
・の筈が、実際には仏露同盟は対イギリス的な意味で作用。
・日露戦争開戦。ロシアを気にくわない日英同盟(1902〜)VS仏露の殴り合いっぽくなる(1904〜1905)。
・しかし仏英は水面下で仲直りの機会を伺っていたので、アメリカに上手いこと言って日露講和の仲介をしてもらう。
・ソビエト革命(1905〜)でろっさまの国力が低下した…と見られるようになり、英も本格的に対独包囲網に参加してみる気になる(1907)。
・バルカンの火薬庫が爆発。第一次世界大戦(1914〜1918)。
・最近あちこちから睨まれてたドイツは今開戦したら自分フルボッコにされるのが目に見えてたので焦るが、復讐に燃える貴族を止めきれなくて一緒に参戦。と聞いたけど、別のソースでは「どうしましょう…」と電話で相談した貴族にそれじゃあ開戦だな俺も一緒に戦うから、と請け合ったという話も……。一体どっちだ。あ、ノリノリで開戦したのは兄の方?
・当初独墺寄り中立だったイタちゃんが、英の口車(お得意の情報操作)に乗って寝返る(1915/4)。
・独墺敗戦。借金まみれになる(1919ヴェルサイユ条約)。
・ハンガリーやらチェコやら一切合切出ていかれて弱りに弱り、一時期は車椅子生活を送る貴族。
・ドイツん家に転がり込んで飢え死にだけは免れようと考え、ドイツも受け入れる気満々だったが戦勝国側、特にフランスに反対される(1919/9/10サン・ジェルマン条約)。
・札束で頬叩かれて、金をやるからドイツとは一緒になるな、とか娼婦みたいな扱いを受けて屈辱に震える貴族(1922ジュネーブ議定書)。
・しかもイタちゃんが元々イタリアじゃない南チロル強奪した挙句、ドイツじゃなくて俺のものになってよと迫ってくる。
・でもハンガリーやスロベニアとの国境問題は貴族に有利なように介入する、愛憎混じり合ったイタちゃん。
・せめてお財布だけでもドイツと一緒に…と考えドイツの了承を取り付けるが(1931/3関税同盟計画発覚)、それも気に入らなかった仏に国内最大手銀行潰される。パニック(5/8)。
・さすがに見かねたイギリスが割って入って、貴族に渡す生活費の額を増やすことで一旦決着する(9/3)。
・国連の見解的には、関税同盟ってサン・ジェルマン条約的には問題ないけどジュネーブ議定書には抵触するんだってさ。
・フランスの狙いはチェコ・ルーマニア・セルビア(ユーゴ)の小協商国に墺と洪を加えた関税協定を作って中東欧に一大お兄さんハーレムを創出しよう(そしてドイツを仲間外れにしよう)というところにあったが、仏以外の全ての国に嫌がられて(洪は伊と仲良くしたい、墺さんは独と仲良くしたい、三羽烏は墺洪嫌い)タルデュール案は1932年9月廃案に。
・かつては子供のように思っていたイタリアに口説かれることを当初嫌がっていた貴族も、潔い気質に加え段々とフランスよりはマシな気がしてきたので、1933〜1934年頃には嫁扱いされても文句を言わず身を任せるようになる(ローマ議定書とか)。
・WW1には日英同盟中の日本も「イギリスさんを助ける為」の名目で参戦、地中海で協商国の船の護衛とかして感謝される。
・途中参戦したアメリカは激しく嫉妬。ヴェルサイユ条約の席上で頻りに日本にイチャモン付けてくる。英仏は米に盾突かない程度に日本のことを庇うが、にっさまの心に深い米への恨みが残される。
・日米関係の悪化を受け板挟みの英、弟は可愛いし戦時中の借金で頭が上がらないしで、最終的にはそれまでの同盟国日本を捨ててアメリカを選ぶ(1923日英同盟解消)。
・フラれた日本が暗黒化。鬼畜米英許すまじ。
・日本でも特に頭の変な軍隊が上司の命令も聞かず暴走し、1931年例の場所で事変。仏英中心の調査団がそれなりに日本にも配慮した報告書を出すが、暗黒化していた日本はそれを受け入れず、1933年国際連盟脱退。
・生活苦に耐えかねたドイツ国内でも変な団体結成。あれよあれよという間に上司になる(1933)。
・変な上司の命令でオーストリア合邦(1938/3/12)。貴族としては変な団体は嫌いだけどドイツのことは好きなので抵抗せず。
・しかし変な団体の所為で苦労することに……。
・伊は俺の嫁になにすんのさドイツ!ドイツの変態!と罵るが、エチオピア戦争(1935)で英に睨まれて以来他に友達のいなかった伊は、墺への色気より独への友情を選択。
・独伊でスペイン親分の家をひっちゃかめっちゃかにかき回すよ!(スペイン内戦1936〜1939)
・ドイツ宅のプーがポーランド俺ん家にしたいと言うのでポーランド進攻(1939/9/1)。
・英に振られた日本が心中で英への未練に葛藤しつつも腹癒せに三国同盟を結ぶ(1940)。
・第二次世界大戦(1939〜1945)。
・みんなで会議やって一応足並み揃えてる連合と違ってフリーダムすぎる枢軸。
・勝手にアフリカ行く伊のフォローしたり(1940〜)、勝手にアメリカに宣戦布告する日に付き合って自分も宣戦布告したり(1941〜)、一番苦労してるのは間違いなく独。
・南イタリアが早々に米英に占領され、ロマーノ兄ちゃんだけ寝返って枢軸に宣戦布告(1943)。
・あと、スペインが非公式に東部戦線に送っていた義勇軍(でも中身はプロの軍人)を1943年に撤退させている。
・1944年になると東部戦線の状況がいよいよ悪化、ルーマニアとブルガリアにも寝返られる。
・ソ連軍の猛攻を食い止めきった強すぎるフィンランドも、侵攻を諦めたロシアと停戦する為1944年駐留ドイツ軍に(比較的穏便に)帰って貰う。
・なんかボロボロになって敗戦(1945)。伊4/25、墺4/27、独5/8、日8/15。
・貴族は独との同居を永遠に禁止される。
・プーやハンガリーはろっさまの子分に。
・イタちゃんは米がマフィアを優遇した所為でマフィアまみれの国に。
・日は米のお財布に。
・あと、これは勝手な妄想なんですが、戦後のプーってシベリア抑留されてやしないだろうか的な。
・連合国の外相会議で、48年12月31日までにドイツ兵捕虜を本国送還することが決定されてて、1949年東西分裂。
・プーの弟に対する愛を否定させない為には(って、どっちにしろ兄弟とも連合の言いなりですけど)、あくまでもプーはSEDの成立とは無関係でいて欲しいというか、何の情報もないまま帰国した途端、あれよあれよという間に東独の主体として祭り上げられちゃう的な。
・しかし墺さん家のレンナーは老獪すぐる……。
・……でも今は何だかんだで幸せ?
・一番最初のオストマルクと同程度の国土面積に戻って、二度と他国との結婚を許されぬ永世中立国になる貴族。
・とはいえ結婚政策で成り上がってるのは前半だけで、後半になると身売りしてるっぽい痛々しさが付きまとってる気もする……完全に一人になったその先に静かな幸せを見付けてくれるといいのになぁ。
・でもドイツ兄弟への未練は、特に東西合併後、貴族の胸を震わせるのです……。
・合邦したのがナチじゃなくてワイマール共和国だったら、貴族はもっと幸せになれたんだろうかと思ったりもする今日この頃。
※ついでにネタ元…参考にした本の一覧。
▼手持ち
菊池良生『戦うハプスブルク家 : 近代の序章としての三十年戦争』講談社現代新書
, 1995年
菊池良生『神聖ローマ帝国』講談社現代新書 , 2003年
菊池良生『傭兵の二千年史』講談社現代新書 , 2002年
江村洋『ハプスブルク家』講談社現代新書 , 1990年
江村洋『ハプスブルク家の女たち』講談社現代新書 , 1993年
小宮正安『ハプスブルク家の宮殿』講談社現代新書 , 2004年
中野京子『名画で読み解く ハプスブルク家12の物語』光文社新書 , 2008年
菊池良生『ハプスブルク家の人々』新人物文庫 , 2009年
菊池良生『ハプスブルク家の光芒』新人物文庫 , 2009年
塚本哲也『マリー・ルイーゼ』上・下 文春文庫 , 2009年
別冊歴史読本『THEハプスブルク王家 : 華麗なる王朝の700年史』新人物往来社 , 2009年
別冊歴史読本『ハプスブルク恋物語 : 700年王朝に秘められた愛憎劇』新人物往来社 , 2006年
別冊家庭画報『ハプスブルク家 : 美の遺産を旅する』世界文化社 , 2009年
坂井栄八郎『ドイツ・オーストリア』山川出版社 , 1999年
久保田正志『ハプスブルク家かく戦えり』錦正社 , 2005年
上野健太郎『カルロス五世の旅』JTB , 2000年
デレック・マッケイ『プリンツ・オイゲン・フォン・サヴォア』文理閣 , 2010年
吉田成志『七年戦争』上・下 文芸社 , 2009年
河野純一『ハプスブルク三都物語』中公新書 , 2009年
田部井朋見『ウィーンのカフェハウス』東京書籍 , 2007年
河野淳『ハプスブルクとオスマン帝国』講談社選書メチエ , 2010年
ジョルジュ・カステラン,ガブリエラ・ヴィダン『クロアチア』白水社文庫クセジュ
, 2000年
児嶋由枝『血脈の世界史』青春出版社 , 2005年 ←これはしょーもなかった…
▼展覧会図録
『THE ハプスブルク』2009-2010年
『やすらぎのオーストリア : カフェとたばこにみるウィーンの文化史』2009年
『華麗なるオーストリア大宮殿展』2009-2010年
▼ナナメ読み(図書館で借り読みした程度)
エーリヒ・ツェルナー『オーストリア史』彩流社 , 2000年
バーバラ・シェラヴィッチ『近代オーストリアの歴史と文化』山川出版社 , 1994年
矢田俊隆, 田口晃『オーストリア・スイス現代史』山川出版社 , 1984年
池内紀監修『オーストリア』新潮社 , 1995年
ペーター・パンツァー,ユリア・クレイサ『ウィーンの日本』サイマル出版会 ,
1990年
ゲルハルト・ロート『ウィーンの内部への旅 : 死に憑かれた都』彩流社 , 2000年
矢田俊隆『ハンガリー・チェコスロヴァキア現代史』山川出版社 , 1978年
パムレーニ・エルヴィン『ハンガリー史』恒文社 , 1990年
羽場久美子, 小森田秋夫, 田中素香編『ヨーロッパの東方拡大』岩波書店 , 2006年
馬場優『オーストリア=ハンガリーとバルカン戦争 : 第一次世界大戦への道』法政大学出版局
, 2006年
ジェームズ・ジョル『第一次世界大戦の起原』みすず書房 , 1997年
林健太郎, 堀米庸三編『世界の戦史』6,7,9 人物往来社 , 1965-1967年
▼更にナナメ読み(本屋でチラッと確認した程度)
ジクリト=マリア グレーシング『ハプスブルク愛の物語 : 悲しみの迷宮』東洋書林
, 1999年
友清理士『スペイン継承戦争』彩流社 , 2007年
ヴェルナー・ベルクマン, ライナー・エルプ, アルベルト・リヒトブラウ『「負の遺産」との取り組み
: オーストリア・東西ドイツの戦後比較』三元社 , 1999年
井野瀬久美惠『大英帝国という経験』講談社 , 2007年
2009/8/19より不定期更新
最終加筆:2010/08/08