――いつの頃であったかは知りませんが、比叡のお山に一人の稚児が暮らしていたという話です。
真面目で人当たりの良い稚児は僧達にその利発さを愛でられ、日々の修業に励んでおりました。何の苦しみもないと傍目からは見えた稚児でしたが、実際には寺に来る以前、幼い時分の記憶が明瞭りしないことだけを、唯一の気掛かりとして心の内に秘めておりました。
他の稚児には遠い家族を懐かしみ、毎夜泣き暮れる者もおりました。記憶のない稚児にはそのような感傷も無縁で、しかし大切な思い出すら持たぬ自分の存在を薄っぺらく感じては、密かに嘆き悲しむのです。
己の出自を誰かに聞こうにも、俗界を離れたこの身には里心を起こさせぬ為にも教えては貰えないでしょう。
厳しい修業の合間、ほんの手違いから思いがけなくも自由になる時間が手に入った折には、朧気に霞のかかった記憶の麓から失われた大事なものを手探りしたりもしました。
そんな努力も報われず、柱の傷、庭の松の枝、顔も定かならぬ母や兄の気配など、取り留めのない断片を拾い上げるのみで、徒労の時間は終わりを告げるのが常でした。
そんな、漠然とした不幸を抱えつつも稚児は一途仏道に励み、生まれつき不可思議の術を使えたこともあって人々の尊崇を受ける、徳の高い僧侶へと長じました。
そして僧となったかつての稚児は、ある年に熊野詣でを発起しました。寺の者は或いは僧の信心を称し、或いは道中の苦難を思って悲しみましたが、僧の人柄を愛していた皆は沢山の餞別を贈り、ささやかな宴を催してその出立を見送りました。
人々の厚意を受け止めた僧は、しかし先達による親身の忠告を簡単に忘れ果てました。
初めての旅路は見るもの全て珍しさをもって僧の目を楽しませ、山野の美しさは感興を催させました。
そして異境の風景に心を奪われつつも僧は決して注意を怠らず、意識を惹く事物を探して周囲を見渡すのでした。己の故郷が見つかるのではないかという期待が、僧に旅を決意させた一因だったからです。
彼を山に捨てたのかもしれない肉親に、それでも一目逢いたかったのです。
〈続〉
どこがハガレンなんだ、と言われそうです。ダブルパロ。
自分でも平安文学にありがちな、固有名詞使わない手法で話を進めていくつもりなので。
別に鋼と思わなくても読めるように……なってるんですかね?
あ、壁紙は歌舞伎道成寺の花子さんのご衣装だとか。探せばあるもんスねー。