SCENE3:人間界
 
 
 
「釣れますか?」
巨岩の上。
ふいに背後からかけられた言葉にも驚くことはなく、振り返った自称『太公望』は相変わらず悪趣味な出で立ちの道士を見遣った。
道化めいた風貌には、表情の見えない笑みが浮かんでいる。その傍らには相棒の霊獣が呆れたように佇んでいた。『また申公豹の気紛れが始まった』とでも考えているのだろう。
「……まあまあかのう」
気のない素振りで、顔を正面に戻すと同時に釣り竿を持ち直した。水に沈んで見えない先端には、真っ直ぐな針が付いている。
「ああ、安心してください。今回の用事はケリをつけたいという話じゃありませんから」
首を傾げると、髪の先で縛ったようになっている団子状の部分が、撓んで揺れる。
「あなたとの勝負は非常に魅力的ですが、この先がつまらなくなってしまうのでは本末転倒ですからね?」
「……ふぅん」
同意を求めるような仕草にも、太公望は気のないポーズを崩さない。
「一番の楽しみは、最後の最後に取っておくものです」
「…………」
「ですが、たまにはあなたの顔を見たくなりましてね」
「…………」
「あなたには及びませんが、こうして長い間ブラブラしているのも、退屈なものなのですよ」
「……暇つぶしに使われたのでは、あやつらも堪ったものではないがのう」
かつて自分が言った言葉を揶揄されて、改めて、太公望は申公豹に向き直った。飄々とした面もちながら、その眼光は鋭い。
「おや、知ってたんですねぇ」
「ほらぁ、だからやめようって言ったのに、申公豹ってば」
やや芝居がかった仕草で、申公豹は両手を挙げた。黒点虎は困ったように口を出す。
「あなたは黙りなさい、黒点虎。何も取って食われはしませんよ」
「当たり前だ」
何を想像したのか、厭そうに太公望は顔を顰める。その様は、かつてのアホ道士と変わりない。
カタリ。本腰を入れる気になったのか、竹の釣り竿を降ろす。石にあたると竹は軽い音を立てた。
「あることないこと噂をばらまいて、何が楽しいのだ、ナニが」
「色々と楽しいですよ。どんな噂でも皆、必ず一度は信じ込むのですよね」
「……大体!なんでわしに関する噂ばかりなのだ!!どうせなら自分のにせい!!!」
先刻まで無視していたのが嘘のように、詰め寄る。恐れ気もなく、襟元を掴むとがくがくと揺さぶった。よっぽど腹に据えかねていたらしい。
「仙人界・神界で、今一番話題性があるのがあなたの動向ですから」
無体を働かれているにも関わらず、笑顔を絶やさず受け答えする。どこに逆鱗があるのやら、掴めない男ではある。
「にしても悪ノリしすぎだわっ!!」
叫ぶと、太公望は申公豹を突き飛ばすように手を離し、代わりに自分の頭を抱えこむ。
「うぬぅ……どいつもこいつもあっさり信じ込みおって……」
愚痴ともつかないことを呟くのに、
「当然ですよ」
フフフフフ……。申公豹は不気味な笑みを浮かべた。
「嘘を本当だと思い込ませるには、その中に真実の言葉を1つ混ぜ込めばいい。事実を何割か混ぜてこそ信憑性も出るのですよ。
……例えばあなたと燃燈道人が過去に付き合っていたとか」
「―――っ」
ぴたり。大袈裟に苦悩の演技をしていた太公望が、動きを止める。
「楊ゼンも虚心ではいられないでしょう」
「……悪趣味だな」
苦虫を噛み潰したような表情で、太公望は吐き捨てた。
「そうですね、あなたも何かネタ出してくれません?」
「何でわしが」
「これ以上本当のことをバラされたくないのでしたら」
にこやかな脅迫に、渋々といった風に太公望は折れる。
「その一。今度の十五夜に母星からの宇宙船がわしを迎えにくる、と事情を把握しきっていない下級の仙道ターゲットに。
その二。普賢がわしを匿っておると楊ゼン周辺に」
嫌がっている割にはすらすらと口にする。
「ほぅ……、さすがに、人の心を手玉に取るのに関してはプロですね」
申公豹は嬉しげに相槌を打った。今までの噂が好奇心を刺激するゴシップの域を出ていなかったのに対し、太公望の提示したものは、積極的な動きを誘発する要素を含んでいる。滅んで存在しない筈の星からの迎えを阻止しようとする運動が起きる可能性、楊ゼンが神界に怒鳴り込んで行く可能性……。
「新教主、とうとう胃に穴が開くかもしれませんねぇ」
「面白がっとるだろ」
「ええ、暇つぶしにはもってこいですよ」
黒点虎の呆れた視線を気にした様子もなく、申公豹はすっくと立つ。
「本当の理由は?」
追いかけるように上げられた視線が、見下ろすそれとぶつかった。
「そうやすやすとあなたが忘れ去られるのは面白くありませんからねぇ」
表情のない顔で、しかし面白がっている。
「私が噂をばらまくのを黙認しているということは、あなたも彼らに忘れられたくないのでしょう?否定しても駄目ですよ」
「……さぁのう」
「噂が蔓延している間は、皆あなたのことを忘れないでしょう。ですが、基本的に関わりのない存在となったあなたのことをいつまでも覚えておく程、世間は暇にしてはいませんよ」
冷たい、とも取れる言葉を、笑みを含んだ表情で太公望は聞いている。
「現に人間界ではあなたの記憶は薄れつつあるでしょう?ここにあなたが存在しているにも関わらず。最後の一人があなたの記憶を忘れた時から、あなたは歴史ではなく伝説の存在になる」
「……わしが伝説のヒーローとやらになる手伝いをしている、と言うつもりか」
「そこまで自惚れるつもりもありませんよ」
珍しく謙遜じみたことを口にしつつ、浮かんでいるのは我が意を得たり、という誇らしげな笑み。
「あなたの計画にとっても都合が良いでしょう?」
「だから何の話だ」
「具体的には知りませんが、……まぁ何となく察しはつきますよ」
誇らしげに続ける申公豹に、既に興味は失ったとばかりに太公望は竿を取り直した。くるりと身体の向きを変え、水面に視線を走らせる。
「……ああもう一つネタを思い付きました」
ぽん、と手袋越しに手を叩く音がする。
「人間界で共に暮らすうち、私とあなたの間に愛が芽生えた、というのはどうでしょう」
「誰も信じぬわ」
一瞥もせずに答える。
と、背後から手が伸びると後ろに引き倒された。
天を向く太公望の顔を覗き込むようにしている申公豹は、相変わらずにこにこと微笑っている。肩に置かれた手は地面に彼を縫い止める働きをしたまま、頭の傍ら、膝をついた。
「なんなら、事実にしてみます?」
冗談か本気か。お互い相手の出方を窺うように、合わせた視線を逸らさない。
しばらく無言で見つめ合い。
「…………困る」
やがて、ぽつりと零れたのは一言。
それに会心の笑みを浮かべると、ぱっと、申公豹は肩に置かれた手を離した。間髪入れずに太公望は上体を起こす。
「おやおや、振られてしまいましたねぇ」
言いつつ、申公豹の表情は嬉しそうである。ある情報を知って、それが何を意味するのか好奇心を刺激されているような、そんな面持ち。
かの妲己に負けない程の愉快犯である彼は、また傍観者故の分析魔でもあった。
「さ、行きますよ黒点虎」
「結局何しに来たのさ申公豹」
相棒の上に跨ると、何事もなかったかのように前を向いている太公望に声を掛ける。
「ではまた。結果を楽しみにしていてくださいね」
驚いたことに、振り返った太公望は初めて柔らかな微笑みを見せた。
「ああ、楽しみにしとるよ」
内心驚いている黒点虎は、しかし主に言われるまま宙に浮き上がった。
そして、彼方へと飛び去っていったのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
「………なんだ、バレておったのだのう」
 
霊獣と道士の姿が黒点となって消失した、暫く後。
その方角を見遣って太公望が唇を尖らせた。
 
 
――それもまた別の話である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
〈完〉
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リクエスト内容の発表の時間です。もしくは懺悔の時間……(-_-;;

出て欲しいキャラとして、申公豹、燃道さんをお願いします。
スースはスースでも構いませんが王えきさんでも構いません。
シリアスギャグどちらでも構いませんデス;;
そしてスースにはあずささまテイストの格好良くてなおかつモテモテな台風の目で居てもらいたいのでした(笑)

掲示板にカキコして頂いた文の抜粋ですが……。
お任せ、とのお言葉にかなり甘えさせて頂きました(^^;
お話を聞いて、
「後日談で申太!!」と燃えたのですが(笑)。
申公豹と燃燈さんを同じ場面で書けなかったのが、己の力量不足でした……(T_T) ほぼ同時刻の三様の会話、ということで。
そして……これはギャグなんでしょうか??(訊くなっつーに)
自分の後日談シリーズの中に入れてしまった所為で、消化し切れていない部分が残ってしまったりもしていますが(太公望の『計画』とか…)、その辺りもご容赦頂ければ……(項垂れ〜)。
色々とアラも目立ちますが、「所詮あずさ」を呪文に寛大に許してくださいませ……m(_ _)m

タイトルは、「人の噂も七十五日」の諺から。そのまんま。
最初は“師叔=台風の目”ということで「嵐を呼ぶ男」にしようかとも思ったのですが(笑)。石原は………ねぇ?(笑)
自粛致しました(^^;


それでは、ふうゆ様。5757リクエストを有り難うございました!!お待たせして済みません……。
7171リクエストもお待ちしておりますvv