SCENE2:神界
 
 
さらさらと、水の流れる音が心地よい。
涼を取るかのように流れに手を浸す様は、かつて彼の親友と訪れた人間界での語らいを彷彿とさせる。
しかし今、魂魄体である普賢真人の傍らで欠伸を噛み殺しているのは、最近になって親しくなった若い道士である。
 
「……そういえば、最近仙人界が慌ただしいみたいだね」
遠い目をして呟けば。
「ああ、そうみたいさねぇ」
天化も気楽に相槌を打つ。
「でも、どーして落ち着いてきた今頃になってバタバタしてるんさ?」
「いいじゃない、面白いし」
「まぁ、そうだけどさ……」
暇さに堪えかねた天化が煙草の袋を取り出すのを、普賢は温かく見守る。本音を言えば煙草の煙は好きではないのだが、肉体のない身にとっては煙草をくわえたところで、ポーズの域を出ない。健康に害のないことは雲中子のお墨付きである。
「雲中子がばら蒔いてた話によれば、噂が原因みたいだよ?」
意外と口の軽い仙人は、こちらに『調査』に来るたびに、誰彼構わず噂話をしていく。
「あぁ、噂って、太公望スースが結婚したとかいうアレさ?」
しかし、噂好きなのは雲中子一人に限らなかった。
「うん、望ちゃんが女になっちゃったとか、マッチョになっちゃったとか」
「人間の男に惚れて、押し掛け女房になったとかいう噂もあったさね」
ひとつ、周の諸侯の一人になって地方政治に取り組んでいる。
ひとつ、新商売を始めて瞬く間に豪商になったらしい。
果ては、武王の後宮に入ったらしいだの『王奕』時代の恋人とよりを戻したらしいだの。
次々に挙げていくのでも、既に十や二十をくだらない。
「ああ、それで……」
神界でも、新しい噂が出回る度に、真偽を求めて慌てふためく者の姿が絶えずに問題とはなっている。仙人界では、いち早くそれに対しての措置が執られることになったのだ、ということであろう。
「けど、実質的な被害者は楊ゼンさん一人っしょ?」
『太公望に新恋人がッ!』などの噂を聞く度に肝を冷やしているに違いないかつての仲間を思いやって、天化は溜息を吐く。
「ふふっ……、最近、随分と機嫌が悪いらしいね。……いい気味v」
本当に嬉しそうに、普賢は含み笑った。穏やかな笑顔から放出される禍々しさに、天化は冷や汗を流す。
最近気付いたのだが、この穏やかな仙人は楊ゼンに対してあまり良い感情を抱いていないらしい。
……その内面が外見に相応しい、穏やかなものであるとも限らないことなども、薄々察するようになった天化である。
「そ、そういえば武吉っちゃんをいじめて泣かせたらしいさねぇ」
「あれ?逆に泣かされたんじゃないの?」
噂は変質する。歴史的にも、伝言ゲームの発展がそれを実証している。
気苦労の絶えないであろう仙人界の新教主に対して、二人はそれぞれ違った種類の思いを巡らせた。
 
「………あ、そういえば」
ふいに、何か思い付いたかのように、普賢は顔を上げる。
「そのうちその教主がここに怒鳴り込んで来ると思うけど、……よろしくね?」
にっこり。
傍らの天化に、天使の微笑みを向ける。
「ま、まさか噂の出所って……」
「まさかぁ。僕がどうやって」
このヒトになら不可能はない気がする。根拠はないが。
普賢が何らかの手法を駆使してあることないこと触れて回っている姿が、眼前に浮かんだ。
「他人が欲しけりゃゴミでも惜しいってね……」
「はあ?」
「うふふふふふっ………」
謎の言葉を発したまま黙り込む普賢に、ようやく師匠の道徳真君が『命が惜しいなら普賢にだけは近付くな!!』と涙目で説教した、その理由を知った気がする天化だった。
神々の悲喜交々を知らぬかのように、水は澄んだ音を立てている。
 
 
 
 
 
 
 
 
――『教主楊ゼンはカツラーである』
 
後に、天化は唯一太公望絡みでないこの噂の発生源が案の定普賢真人であったことを知るのだが、それはまた別の話である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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カツラー=鬘を着用している人のこと。
ex)聞仲に変装した際の元始天尊。
……って(汗)。
楊ゼンってストレスが髪にくるタイプだと思……って、前にも書いた気が……。

内容としては中継ぎですね。
真相は、SCENE3にて明かされます(^^)←カツラじゃなくって(当然だ)