どっちもどっちな二人がどうなったかというと。
 
 
「うぅ〜〜っ…」
「陽のある内に済ませておられれば良かったのですけどね」
自業自得って言葉、ご存じでしょうか?
悪気はなくとも、日頃から慇懃無礼な態度ばかり取っていれば悪意を持って発言が受け取られるのも仕方ないだろう。勝ち誇った、と見える笑みを浮かべる副官に対して、太公望は恨めしげな視線を送った。
といっても、大して苦労の多い仕事ではない。
人間界に降りてきたばかりの天才道士の、ある意味人間界への順応性を確認する為に、太公望は多岐に渡る自らの業務の一部を、そっくりそのまま楊ゼンに肩代わりさせている。……自分の負担を減らして遊びたい訳ではない、という主張は不幸にして誰にも信じられていない。
従って、現在太公望が行っている作業と言えば、一旦は楊ゼンの纏めた懸案の確認といったところであるのだが。
容赦なく朱筆を走らせながら、しかし訂正すべき箇所の少なさに内心舌を巻く太公望である。呑み込みが早い上に、太公望の思考のクセまで忠実にコピーしている。
「ああ、そうですね、この方がロスが少ない……」
楊ゼンと言えば、訂正の入った書簡を繙き、頻りに感心している。太公望に意地悪がしたい訳ではなく、一日も早く上司のやり方を覚えようという飽くなき探求心の賜物であるのだが、その結果煙たがられていることに今ひとつ配慮が及んでいない辺り、詰めが甘いと言う他ない。
「流石ですね、師叔……」
「それはいーが、こんな短期間の内に周公旦化せんでも……」
「ハリセンでも作っておきましょうか?」
苦笑混じりに尋ねれば、うそ寒そうに肩を竦める。不真面目な様子と、真剣である時の境が掴めない、こんな所も変化の達人たる楊ゼンをして判断に迷わせ、また惹き付けて已まない部分でもある。
 
燈火に照らされた、造りの幼さに不似合いな程厳しい軍師の顔を呆けたように凝視――早く言えば見蕩れつつ、楊ゼンは密かに胸を撫で下ろしている。
私室にまで仕事を持ち込むことによって、平常通りの空気を作り出すことにした、計画は完璧。
昼間まではその空気にうんざりしていたことも忘れている。
突発事項に弱い天才道士は、出来れば両想いになりたいとは思っていた。しかし、心の準備が、とか咄嗟に思ってしまう辺り弱気が窺える。
完璧な計画の元完璧にプロデュースされた空間、ドラマのワンシーンのような告白劇が行われるべきだというその持論により、彼はこの一晩を何とかやり過ごすことを決意していた。この機に乗じて、などという柔軟な思考は持ち合わせていない。
ある意味彼は誠実なのであった。
 
しかし、そんな事情など考慮していないのは一方の当事者。
「つまらぬつまらーぬ」
真面目に仕事だけはこなしつつ、唇を尖らせる。サボった分のツケを支払わされるのも業腹だが、こんな筈では、との無念さが不機嫌の原因である。
こんな長期戦になると解っていたら、先に風呂に入るんじゃなかった。「ちょっとシャワーを浴びに……」などという発言がもたらした筈の効果を思い、臍を噛みたくなる。
今、使えばどうだろう。二度手間になるが仕方ない。……駄目だ、「逃げる気ですか!?」などと首根っこを掴まれるのがオチだ。待てよ、そこで傷付いたフリをして泣き落としを使って……。
――臨機応変が持ち味の策士は、平たく言うと全く諦めていない。しぶとき執念。
「ほら、もう少しですから」
思い人の痛々しい姿に、思わず猫撫で声になってしまう副官の純情をどう解したものか、目を光らせる。獲物を捕らえる肉食獣の瞳だ。
「楊ゼン……」
つい、とその光を覆い隠すように、太公望は下を向く。
「やらねばならんことは解っておる。しかし、わしはおぬしを信用しておるのだ」
ばっと、顔を上げる。
「師叔……」
狼狽えるバカが一人、と思ったか否か。
「おぬしを疑うような、こんな作業はつらいよ……」
早く切り上げたい一心。何とか力業で場の雰囲気を変えようという魂胆が見え隠れしている。
もう想いを遂げるには既成事実を作って盾にするしかないと思い定めている太公望も、かなり一途で必死だった。
しかしさらりと流してしまいたい楊ゼンも死に物狂いである。
見つめ合ってるのだか睨み合ってるのだか。
 
「………………今日の所はこのくらいにしておきましょうか……」
副官が、敗北した。
「よし、寝るとするか」
手を腰に当て、仁王立ちする強い上司の姿は、悪いが色っぽくもアイドルでもない。
「幸い、おぬしの寝台は大きめだからのう。並んで寝ても、転がり落ちるようなことはあるまいて」
「え゛っっ……」
楊ゼン、素直になれば美味しいピンチ。
 
こうして、非建設的な駆け引きは、太公望優勢でファイナルラウンドに持ち込まれた。
 
 
 
 
 
 
 
大きいとはいっても、王侯貴族並とまではいかない。
一つ寝返りを打てば身動きも取れなくなってしまうような状態を自覚して、楊ゼンは身を強張らせた。
つくづく、燭台の灯りを吹き消したのが悔やまれる。生まれつきもあって夜目は利くが、しかし暗闇の中、幽かな気配に妄想が刺激されるのはあまり良い状態ではない。
背を向けた背中越しに、身じろぎの幽かな衣擦れの音がして、楊ゼンは緊張する。
その背中を眺めつつ、太公望がほくそ笑んでいたのには気付いていない。ここまで持ち込めばもうこっちのものだ、との策士の認識はそう見当外れでもなかった。
「楊ゼン?……もう眠ったのか?」
そうでないことは百も承知で、太公望は背中に問い掛けた。その声が予想以上に心細げだったことに自分でも驚く。
驚いたのは太公望だけでなく。思わず返事をしそびれる程に動揺した楊ゼンは、もうこのまま狸寝入りを決行することにする。
この手で押すか。
楊ゼンの意図を察知した太公望も、それを逆手にとる策に出た。
「寝よったか……」
わざと、安心したような声音を出す。罪悪感を感じた楊ゼンこそ哀れ。
唇の端を上げると思いの外邪悪な笑みになる太公望は、心なしか楊ゼンへと身を寄せた。動揺が表に出ないようにする楊ゼンは演技力を試されている。
衾から手を出した太公望は、掌をそっと、広い背中に当てた。
「……温かい……」
頬を、寄せる。
僅かに声音が震えたのは演技ではなかった。このまま時が止まってもいいかもしれない。
 
しかし、このままでは楊ゼンは困る。
一瞬の内に体温が沸騰しそうになった楊ゼンは目をぎゅっと閉じた。拳も握りたいが、動いては狸寝入りがバレる。
体が熱っぽい。内から湧き上がるような衝動を感じる。それを抑えるのには苦痛すら感じた。
このままそれを解放したら……結果は解り切っている。
違う、僕はそんな非理性的な人間じゃない、そう、人間なんだから動物的な衝動に身を任すべきではない。
僕は人間だ……!
歯を食いしばる様に、あと一押しと太公望はラストスパートに入った。
「楊ゼン……」
体を、更に密着させる。すすっと、手が背中を滑り前へと伸ばされた。
 
「…〜〜〜っっっ!!!!!」
どくんと、楊ゼンの心臓は跳ねた。
 
 
「!触らないでください!!!!!」
憎しみすら覚えて振り解く。
「あ」
勢い良く引き離された小柄な体は、その勢いのまま寝台から転がり落ちた。
「……あ」
温もりが離れ、やや正気を取り戻した楊ゼンが身を起こす。恐る恐る振り返れば、寝台の上に人は居ない。
絡まったままの衾が、ぱさりと、名残のように滑り落ちた。
 
しん、……と、気まずい沈黙が流れた。
 
き、嫌われた、完璧に嫌われた……!!!
ほぼ同時に、二人は心中のみで絶叫する。
「あ、あの、師叔……?」
「…………知らん」
呼び掛けられても、拒まれた気まずさと羞恥で真っ赤な顔を見せられないだけだったのだが。
一人で変に意識した挙げ句突き飛ばしてしまったという認識の楊ゼンには伝わらない。
「頭を冷やしてきます……!!!」
こちらも真っ赤なまま、楊ゼンも寝台から転がるように降りると、ばたばたと部屋を横切る。扉の前で、
「失礼しました……」
律儀に頭を下げると、部屋を立ち去った。
 
「……泣きたいのはこっちだっつーの……」
出ていった男が涙声だったことに思いを馳せつつ、落ちた時の体勢のまま、太公望は想い人の匂いのする衾を握り締めた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
空の青さが恨めしい。
惨憺たる一夜が明け。昨日とは打って変わって、窓から目が離せないのは楊ゼンの方であった。
溜息を吐く気配にぴくりと反応しつつ、太公望は書簡から目を離さない。
今だ消えない気まずさの為だったのだが、解らない楊ゼンは益々嫌われたと溜息を深くするのみである。
 
図らずも太公望の予言通り、自分が野宿するハメに陥ってしまった楊ゼンが羽虫に変化してこっそりと自室に戻った時。
残されていたのは、全てに目が通されていると解る書簡の山だけだった。
あれから起きて、もう一度仕事をしていたのだろう。それにも関わらず冷静な眼差しを感じる朱筆跡を見て、楊ゼンが書簡を抱き締めたのはつい数時間前のことである。
しかし、失態を謝罪しようにも、目すら合わせてくれない。
……ここで謝られたら、太公望としては余計惨めになるのだが。
 
最早八方塞がりの状況に変化をもたらしてくれたのは。
「お師匠様っ!!お部屋の修理が終わりました――っ!!」
今日も元気な天然道士である。
「おお武吉。ご苦労であったのう!」
今日初めて聞いた想い人の明るい声に、楊ゼンも顔を戻した。
「おはよう、武吉くん」
「あっ、おはようございます楊ゼンさん!昨日はお師匠様を泊めてくださって有り難うございました!!」
爽やかな笑顔で礼を述べられて、思わず頬が引き攣る楊ゼンの方を見ないようにして。
「ぬ、……どうしておぬしがそれを知っとる?」
心底不可解、といった太公望の低い声。楊ゼンもまじまじと武吉を凝視した。
「はい!女官の方が教えてくれました!なんでも朝お師匠様が楊ゼンさんの部屋から出ていくところをご覧になったとかで、なんか噂になってました!!」
はきはきと武吉は答え。
「それで、皆さんが言ってたんですけど、楊ゼンさんとお師匠様ができてるって何ですかっ?お二人とも、何か出来るんですか?」
「!!!!!!」
顔から火を噴く、とはこのことである。しかも純真に尋ねる武吉が相手なだけに。
「な、な、な、」
「……その話はまた今度、でいいかな?」
「はいっ!お願いします!!」
やや早く体勢を持ち直した楊ゼンが話の深入りを避けるのに、深く疑いもせず武吉は笑顔を見せる。満足に声も出ない太公望は、その無邪気な笑顔に罪悪感を刺激されて眩暈を起こしかけた。
「では、お仕事頑張ってください!!」
どこまでも明るい武吉が立ち去った後は、余計に気まずい沈黙が流れる。
「……人の目って、侮れませんねー…」
「う、うむ………」
ぽつぽつ、とぎこちなく会話が交わされ。
「すまんな……、おぬしの相手も、気を悪くしておるだろう……」
「は!?なんですかそれ……?」
言いつつ、楊ゼンは昨日の失言を思い出した。
「っ!そんな人いませんから!昨日のは嘘です、誰とも付き合ってません!」
誤解を解かねば、と必死で言い募る楊ゼンをぽかんと眺めていた太公望も、確かに誤魔化しでないらしいと判断して頷いた。
意外に気にしていたらしい自分に笑いが零れる。
その気の抜けたような笑みに、楊ゼンも胸が騒めいた。昨夜の衝動によく似ていて、そして少し違う。
眉尻を下げた、安心した表情。昨夜の、柔らかい手の感触。
拳に、力が籠もる。
「……あの、師叔」
 
楊ゼンは、ようやく覚悟を決めた。
 
「エスケープしません?野原に行ったりとか……」
訥々と喋る楊ゼンに、てっきり嫌われたと思い込んでいた太公望は目を丸くし、顔を上げ、色男らしくなく真っ赤に照れた顔を見て。
破顔した。
「そうだのう……、野宿の刑が執行されとらんのが旦にバレれば大目玉だしのう」
しかも噂の所為で確実にバレるだろう。
「一緒に避難しましょうか」
「そうだのう!」
嬉々として机の上を片付け出す太公望の手を、手袋越しに楊ゼンは握り締めた。
 
 
「後で、言いたいことがあるんです」
 
 
 
楊ゼンの妄想……、いや夢想が、現実となる。
 
かもしれない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
〈完〉


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たぶん、現実にはならないと思います(断言)。

お題は、『楊太で、お互い片思い』。
外れていない筈なのに、「違う、絶対違う……!」な出来になってしまっております。何が違ってしまったのでしょうか(^^;
楊ゼンさんが積極的だと3秒でカタがつきそうなので、師叔の方に頑張って貰った結果……太楊くさいですか?ひょっとして(死)。必要以上に王子を乙女にしてしまった自覚はあります……。
そして、すれ違いのまま終わらせようかと思いつつ、やはり師叔が不憫なのに耐えられなかったという(笑)。

タイトルは、映画タイトルから。観てませんが(汗)。
実は「はるいち」のタイトルをこれにしようと思っていたのですが、書いてる時にネタ帳を紛失していて(後で出てきた)。どういうタイトル付ける気だったかさっぱり覚えてなくて、急遽ひねり出したのがあの訳ワカメなタイトルだったりします。
パクリタイトルだし、いいか、と思ってましたが。微妙に勿体ながった結果、今回のに使用することに致しました(^^;
自分の書くもの通して矛盾がないように狙ってましたが、「はるいち」とは明らかに今回の内容矛盾するので、どちらかが偽物です(笑)。
私としては、「はるいち」の方が偽かな、とも思いますが(理由:気に入ってないから)。


みなぐち様、こんなつまらないものしか出来なくてすみませんでした……(-_-;; 
まあこんなヘボサイトのキリリクだし、と、犬に噛まれた記憶として忘れてください……。これに懲りず、暇つぶし用サイトにして頂ければ嬉しいです(Σお忙しい方に向かって図々しい!)。
愛も笑いも、まだまだ勉強不足でした(苦笑)。