音の聞こえない空間に、玉鼎は居た。
周囲には瓦礫。この場所の受けた衝撃が、嫌でも解る。
ここは、崑崙山と金鰲島の接触点。……そう言うと聞こえは良いが、二つの仙人界がぶつかり、破壊された場所だった。
此方のみが敵の主砲に沈められる公算が大きかった。それを、同じ土俵での戦いにまで引きずり込んだ弟弟子の才知にも、それを可能にした愛弟子に対しても、素直に感嘆の気持ちはある。
ただ、傷跡も生々しいこの場所で、多くの仙道の命が失われたことも忘れない。
今女仙達が負傷者の救出に回っている。確定は出来ないが、犠牲者の内には玉鼎の弟子も含まれているのだろう。赤子の頃より手塩に掛けて育てた弟子に対する想いには比べよう
もないが、確かに他の弟子達に対する愛情もあった。
巨大な空洞の先には、黒々とした空間が口を開けていた。一歩足を進めれば其処は敵地であり、いつ何時その穴から敵の仙道が襲いかかって来るかもしれない。
しかし、沈痛な想いとは別に、戦いに向けて沸々と沸き上がる高揚感は、彼が天性の武人であることを示していた。
「望ちゃんはまだ?」
そんな玉鼎の様子を興味深そうに観察する風情の普賢真人は、腰を下ろしていた岩から飛び降りた。
頭上に光輪を抱いた聖人の姿は、廃墟に舞い降りた慈愛の象徴にも見える。だが、そんなものではないことは、本人が一番よく知っているようだった。
そして、彼が太公望を待っているのではないことを玉鼎は知っている。
「……お前は、私のことを勝手だと思うか」
「ううん」
自嘲するでもない玉鼎の言葉を、普賢も否定する。
「玉鼎は、ただ愛情深いだけなんだと思う。彼のためなら自己犠牲も厭わないんでしょう?」
後押しするでもなく、止めるでもない言葉。その言葉に、無言の理解を読みとった気がして、玉鼎は頭を下げた。
「誤解しないでね。僕は犠牲なしに済むのが一番だと思ってるし、その点は望ちゃんとも同じ意見だけど。ただ、物事を成し遂げるのに代償が必要なら、……玉鼎がそれになるのも一つの方法だと思っているだけ」
「私も、出来るだけ帰って来るつもりだよ」
ただ、あの子を救いたいという気持ちが何よりも強いだけで。
「解ってるよ。……それは僕も同じだから、きっと」
対象は違うけどね、普賢は岩壁に凭れ、息を吐く。
後のちへの途を繋ぐ為か。責任の務めを果たす為か。愚かな執着に身を滅ぼすだけかもしれない。
理屈などではなく。
「……それが親というものだからな」
普賢は、独白ともつかない玉鼎の科白が気に入ったらしく、押さえた笑い声を零した。
「因果なものだね。嘘でも僕を選んでくれるとは言ってくれないんだから」
「それはお互い様だろう」
昏い空洞。それから目を逸らさせるかの如く、普賢は玉鼎の前に立ちはだかる。とても小柄な彼のことだから、目を隠す覆いにすらなりはしないのだけど。
「僕らは一番を既に決めてしまっているから」
玉鼎の脳裏を、大切な人々の姿が過ぎった。それらの人には申し訳ないが。
今回還って来れたとしても、いつか自分は一番の為に命を落とす、と思う。
「だからこそ、僕たちは上手くやって来れたのかもしれないね」
長身の玉鼎を引き寄せるように、その首に繊手を伸ばす普賢。それは小悪魔めいた動作だったが、貌に浮かぶのはどこまでも聖者のような無垢な微笑みだった。
「 」
耳に唇を当て、何事か囁く。
玉鼎が苦笑を漏らしたのを楽しそうに確認すると、跳ねるようにして身を離した。
背中の布が翼のように翻る。
「じゃあね」
そのまま、別れはあっさりと。
「太公望には挨拶していかないのか」
ついでのように確認すると。
「望ちゃんは絶対帰ってくるからいいの」
僕が死なせないから。
遠くなった声が、根拠のない確信を込めて返された。
<了>