試論、とはなんぞや。



1.前フリ


太公望を偏愛するあまり、彼の人の出身部族たる羌族にも最近愛を注いでいます。人呼んで(誰も呼んでないよ)羌族ファン。羌族に対して想いを馳せる度、うっとり(笑)。

……師叔も悪いんですよ、あんなに自分の民族大好きなんてですから(苦笑)。←言いがかり。 しかし、随所随所に太公望の羌好きは見え隠れしていると思うのですがどうでしょう。

しかし、あまりにも無知です、私。

古代中国史に関しても素人知識程度しか持ってないし、現代の少数民族である羌族の人達の生態も全然知らない。

遊牧民であることからの連想から、イメージ的にはモンゴル民族がかった映像が浮かんでくるのですが、それにしてもモンゴルに関してすら、漠然とした憧れがあるだけで無知です……。

最近では、少々知ってるものとして古代ユダヤ民族との類似、なんかも気にしてますね。あちらさんもルーツは遊牧の羊飼いで、ヤハウェも元々山岳神だったようですし。

学校でちらりと聞いてからどうも気にしてるんですが、旧約聖書の「士師記」5章。


これは、戦争を前にして、戦いに赴かなかった部族がいるという話なんですが。イスラエルは、元々12の部族の連合体で、それなりに対等で平等だったらしいです。元々牧畜の民は財産の蓄積・所有がし難いので身分の階層化が起こり難いらしいですが。取り敢えず、全体の指導者として士師(Judge)なる人はいたのですが、かなり各部族の自由裁量が大きかったらしいです。

実際羌の人々の集団としての組織がどうなっていたのか(もしくはなかったのか)知りませんが、このユダヤ的関係はフジリュー封神を読んだ時の印象に似ている、と思っています。

呂望ちゃんの父上が羌族の統領、つまり王にも等しいですよね。しかし人狩りに遭った時、対象は一つの村でしかなくて、偶々それが呂望ちゃん達の村だった、くらいの描き方をされていたような。一村、精々数百人が限度でしょう。見たところ、数十人、集落レベル。数万の軍勢を指揮してた訳でもないのであっさり滅ぼされたんでしょうし、隣村(これも羌族みたいですが)も助けに駆け付けた訳でもなかった。

だとしたら、統領というのは村長程度の小さい役職でしかないのか。それこそ何百人も「統領」は居たのか。これも否ですね。

邑姜は、羌族の統領として牧野に5万の兵を引き連れて来ました。それだけの動員力があるということで。それに、「私たちは羌族の血統の血を受け継ぐ最後の二人…」とかも言ってるので、やはり統領とは羌族全体の統領なのでしょう。たかだか村長の息子にしては、かなり呂望――太公望の育ちが良さそうだとか支配者意識の裏返しの責任感が感じられるとかもありますし。

つまり。統領≒士師なのかな?と。民族、というか村の単位は幾つもあって普段は殆ど没交渉なんだけれども、戦などのいざという時には全体を取り纏める統領の指揮下に団結するような、そういう構造をフジリューは漠然とでも設定してたのかな?といった印象です。

実は、「士師記」5章に出てくる士師の人。デボラといういう女性なんですね。戦場まで行っちゃう。こういうところも邑姜ちゃんを彷彿とさせて、笑みが漏れます。



……と、まあ「羌族について語りたいぞーっ!」と思っても、興味の焦点がバラバラ。フジリュー封神設定想像を語るかと思えば、古代氏族としての羌族、神話の話から最早オリジナルのファンタジー設定に近いものまで纏めようがありません。しかも知識はないので憶測で喋るし(笑)。

しかも結局私にとっての宇宙の中心は、あくまでも太公望師叔なので(笑)、どの話題でもその周辺をぐるぐるしていることでしょう。

そんなんで良ければ、ちまちまとでも語っていきたいと思いますです、はい(^^) 結局自分が楽しいんだな、文字にして纏めるというのが。



2.山岳信仰
3.神話を語る 
以下、もうちょっと増える、かな?