……南向きのリビング、ソファの影に隠れるように座り込んで二人の少年がカルタ取りに熱中している。
幾分年下の側が厳しい顔付きで読み札を掲げ、年長の少年は途方に暮れたように肩を落とす。フローリングの床に広げられた絵札に描かれているのは、大和絵風に彩色された男女の姿。小倉百人一首。
そんな少年二人をやや離れた場所から見守る女性達がいる。
「ほんと、リボーンちゃん達が来てからツっ君も毎日楽しそう」
有難うね、母親は傍らに立つ美しい女へと微笑みかける。それに小さく首を振って応え、ビアンキは少年達から目を離さずにいる。
彼女の愛するリボーンは教え子の不出来さを前に一見不機嫌そうな面持ちだが、しかし実際大して怒っていないのがこの位置からでも見て取れた。
「せをはやみ…、」
「あ、これは分かる!」
年嵩の少年――ツナが嬉々として絵札の一枚を取り上げてみせた。
遠くない将来、ビアンキ達は母親の手元からこの少年を奪い去り、血塗られた世界へと引きずり込まなくてはならない。
「ビアンキちゃん、これからも二人をお願いね」
そんなビアンキの感傷を読心したかのようなタイミングで、小さく奈々が囁いた。
「わかったわ、ママン」
やいのやいのと口論交じりにじゃれ合う少年達を春の柔らかな陽光が包み、やがて開け放した窓からひらりと一枚、薄紅の雪が舞い込んできた。
*****
二人乗りの手漕ぎボート。無理矢理船頭役を押し付けた悪友が突然櫂を操る手を止めた。
促すつもりで殺気混じりに睨んでやれば、普段なら野生動物並に反応してくる軍人体質のコロネロがらしくもなく、呆けたようにぽかんと斜め上方を見つめ固まっている。
いよいよぶっ壊れたかと肩を竦めつつ、好奇心に駆られたリボーンは上体を反らして振り仰いだ。――後悔した。
天地逆さまの風景、庭園の小川に架けられた小さな太鼓橋を渡る娘がいる。
白いレースで埋もれるようなアンティークドレスが、小柄で華奢な肢体を包んでいる。この国の人間よりやや色味のついた象牙色の肌、全体に彫りの浅い目鼻立ちは東洋系の血を感じさせ、件の人種にありがちなことに彼女もまた正確な年齢を推定しにくい。
癖のある亜麻色の髪を少年のように短く揃え、一見してドレスと不似合いながらも独特の調和を保っている。大きな榛色の瞳と、小振りでふっくらとした桜色の唇があどけない童女のような風情を醸し出しながら、しかしその印象を裏切るのもまた瞳の色。深い情愛と僅かな傷心を滲ませた瞳の複雑な陰影が、見た目以上にその実年齢が高いことを匂わせている。
愛らしくはあるが、目を見張るような美女ではない。にも関わらず、一度その姿を捉えたが最後目を離せなくなる、不思議な吸引力に似た魅力のある娘だった。
娘の前後には、同年代と思しきこれもアジア系の青年が三人控えている。すぐ傍らに立つ銀灰色の髪色をした青年が娘へと差し掛けているのはドレスと揃いの白い日傘で、無骨な手にその繊細なレースの塊は酷く不似合いだった。
三人はこの業界では没個性と称して良い、リボーンと似たような黒スーツに身を包んでいて、囲まれた娘の白が浮き立って強調された。それも婚礼衣装の白でなく、何処か死装束の不吉さを孕んだ白。
完全に見惚れきっているコロネロが手を動かさずとも、流れのままにボートはゆっくりと動き続けていた。
川下りの二人に橋上の一行も気付き、それぞれの表情で見下ろしてくる。
「よ、久しぶり!」
欄干から身を乗り出し、何の含みもなく笑顔で声を掛けて来るのは山本武。主に日傘を差し掛けたまま、何処か憮然と表情を探しあぐねた困惑顔が獄寺隼人。一人他の面々とは距離を置いて、唇の端だけで揶揄混じりに微笑んでみせたのが雲雀恭弥。
そして、リボーンを目にした娘はふわりと破顔した。
目を合わせるつもりは毛頭なかった筈なのに、頭の芯が痺れたように何も考えられなくなる。ただ阿呆のように柔らかな微笑みを目に焼き付ける。日溜まりのような色彩。笑顔。――ツナ。
見上げる姿が徐々に近付き、首が痛くなっても眺め続け、
「……リボーン」
しかし唐突に暗転。吐息のような呼び掛けが幻聴だったのか確かめる間もなく舟は橋の下を潜り、次に光が目に入った時。
既に一行は橋を渡り終えていた。
ツナだけが顔をこちらに向け、肩越しに小さく手を振った。時間が迫っていたのだろう、そのまま促されて広い庭園を突っ切る小道へと足を向ける。小柄な娘の歩幅に合わせてゆっくりと行列は進み、その度に亜麻色の髪と日傘のレースがふわりふわりと風に揺れた。
「……………………おいコラ、リボーン」
その後ろ姿から無理矢理視線を外せば。
随分と長い間自失していたらしいコロネロが、ようやく我に返って悪友を睨み付けている。珍しく顔を真っ赤にしている所為で、幾ら凄まれても迫力は皆無だったが。
「あァ?」
「あの令嬢、お前の知り合いかよコラ」
目の前の悪友は生憎とリボーンにとって同族かつ幼馴染みのような位置付けにあった筈だが、しかしここまで馬鹿な男だったろうかと首を傾げたくなる。相対的に自分の価値まで下がるようで勘弁して貰いたい。
「元教え子だ。お前にも会わせたことがあるぞ」
「何だとコラ?」
苦虫を噛み潰した顔で吐き捨てるリボーンに瞬間眉を跳ね上げたが、しかし船底のライフルに手を伸ばす前に記憶の底から思い当たる節を掬い上げたらしい。それはそれで不可解な謎に直面して、コロネロは喉の奥から低く唸りを上げる。
「………………ひょっとして沢田綱吉か」
あいつは男じゃなかったのか?コロネロが疑問に思うのも当然で、当時十三だったリボーンの教え子は男として育てられ、ツナ自身も少年として振る舞っていた。
「性別を偽ってたのか?どーゆーことだコラ」
「無関係なテメェが首突っ込むことじゃねーぞ。俺にしたってたかが三年程度教えてただけの相手だ。今更何の関係もねェ」
長い付き合いでリボーンの性格を熟知している相手は、不承不承ながらも追求を諦めたらしい。どっかりと足を組んで、気を取り直したか再び櫂を手に持ち直した。その目線が幾分かぼんやりしていることに気付き、リボーンは顔を背けて舌打ちする。
何もかもが不愉快だった。
*****
「そういえば昼間、ツナヨシと顔を合わせたと聞いたよ」
如何にも話のついでを装い、リボーンの雇い主が水を向けてきたのは晩餐の席でだった。
「……単に通りすがっただけだ。声も掛けてねえぞ」
「それはそれは、随分と冷たい家庭教師だ」
何が怪訝しいのか、くつくつと笑う老人をリボーンは睨め付ける。
「契約終了した時点で赤の他人だ」
昼間コロネロに対したのと変わらぬ抗弁を呟けば、矢張り納得したのかそれ以上追求して来ない。
會てリボーンに沢田綱吉の家庭教師を依頼し、また独断で契約を打ち切った当人であるところの老人、ボンゴレ九代目は何食わぬ顔で汚れた口元を拭っている。
大々的な晩餐会を開いても遜色ない長大なテーブルに、料理は二人分しか並べられていない。この業界で最も凄腕の兇手であるリボーンはこのマフィア界最大のドンから息子同然に可愛がられているという触れ込みだが、実際は神の采配を謳われる老人の眼力に由来した、慰撫を兼ねたポーズに過ぎないとリボーン当人が誰よりも正しく承知している。
「それにしてもツナヨシには困らされる。今月も相変わらずボンゴレは継がない、だからといって嫁には行かないの一点張りだ。もうじき23だというのに、一体どういうつもりやら」
現在はツナ本人が正式に辞退していることもあり、公的な十代目候補は九代目の実子であるザンザス一人となっている。といってもボンゴレ別邸の一つに住まう彼女は数少ない血族の一人であるには違いなく、月に一度は九代目の住む本部に挨拶へと出向くのが義務となっていた。
本部に居を構えるリボーンは意識して今まで顔を合わせないよう心がけていた。……今日擦れ違ったのは完全なる失態だった。
「ならば側近の中に好いた男でもいるのかと訊いても黙りを通す。一見おっとりとして見えても、ボンゴレに反抗的なのは家光の血かな?それともお前の教育かね、リボーン」
「俺に責任押っつけんじゃねえ。三年やそこらで元から性格変えられるか」
何年も昔、遠い島国で家庭教師をしていた時から、自分の教え子が少年の振りをした少女であるとリボーンは知っていた。我が子を次期ボンゴレに擁立しようとした父親に男と育てられていると承知していて口を閉ざし、生まれた病院の側から事実が漏れてツナが両親の許から引き離されるまで、結託して隠し通していた。
その当時から五つ年上の少女が誰に想いを寄せているのかを知っていて、未だに老人の眼から隠し通している。
「そんなにあの馬鹿娘が我儘放題してんなら、絶対に断れねえ縁談でも押し付けてやったらどうだ?」
気のない素振りを繕って声に出せば、予想以上に白けた響きになった。酷薄なリボーンの態度に満足したようにボンゴレ九代目は頷き、血のように深紅のワインを一息に呑み干した。
「そうだな、その線で考えるか」
鷹揚な笑みだけを見ていれば、厳つい肩書きに反しまるで好々爺のような印象を与える老人である。
「儂にとってはお前も彼女も実の子供のようなものだからな。幸せになって貰いたいのだよ」
自分の年齢考えろ厚かましいぞ糞ジジイ。内心だけで吐き捨てる。
*****
その夜、美しい蝶を握り潰す夢を見た。
紙よりも儚いその感触が、目覚めた後も手に残っている気がした。
原作小説読まないまま春の雪DVDで観て、これリボツナっぽい……!!
興奮のまま印象に残ったシーン端からリボツナ脳内変換してたら、リボ世界と照応させすぎて春の雪の方が抹消されました(死)。
もはや単なるツナ女体化パラレルに……。あ、年齢いじってます。
早く本題に入りたいが故に端折っちゃったんですが、ボートを降りた主人公がお嬢一行(当然獄寺達でなく、実際は尼君と女中さんでした)に合流するシーン。「もし俺がどっか遠くに行っちゃったらリボーンはどうする?」「……どうもしねえよ馬鹿」の遣り取りにはちょっと未練が残ります。また思い立ったら追加するかも。