裏マフィアランドの管理人としてのキャリアが十年を越える青のアルコバレーノだが、そもそもの前歴はイタリア海軍奇襲部隊所属、階級章のない野戦服に未だ身を包む生粋の鬼教官である。
退役後も何かと軍との縁は切れず、帰国ついでの暇潰しを兼ね。久方ぶりの古巣で新兵の訓練に励んでいたコロネロの元を、その日は有り難くもない客人が一人訪っていた。
「……ったく、いつ来ても汗くせーな」
「だったら来んなコラ」
疲労困憊の青二才ども(といっても皆コロネロより年上であるが)を先に帰し、汗で水を被ったようになっているプラチナブロンドの髪をタオルでがしがし擦る。ひよっ子の相手など肩慣らし程度の運動量にもならないが、確かに屋内の訓練場は空気が籠もる分だけ外より蒸し暑い。
開けっぱなしのシャッター脇に寄り掛かっているリボーンも相変わらずの黒スーツ姿だが、今日に限ってはネクタイをだらしなく緩めシャツのボタンを二つ三つ外している。
「大体これ一つで話が済むモンを、わざわざ取っ組み合って殺そうって気が知れん。俺の美学には合わねーな」
「軍隊格闘を馬鹿にすんじゃねえコラ、お前の美学なんぞ知ったことじゃねえぜ」
手の内の拳銃を弄びながら心底うんざりした表情でリボーンはぼやき、失礼な言にコロネロは歯を剥いて反発する。腐れ縁ならではの挨拶代わりだが、しかしこの薄情者が態々海軍施設まで訪ねてくるのは珍しい。
「用がないならとっとと胸糞悪いツラ引っ提げて帰れ、コラ」
傭兵と殺し屋としての商談なら、馴染みのバールか先日のようにコロネロがボンゴレまで出向いて行っている。何時になくへらへらと饒舌なリボーンの態度からして、大方碌でもない話だろうとの読みは間違いなく正しい。
「ダチの世間話くらい付き合えよ、女にもモテねーぞ」
「うっせー、余計なお世話だぜコラ」
「いやいや親切で言ってんだぜ?俺達くらいの実力・名声ともなると安っぽい誘惑も多いからな。テメエみたいなガキ、寝所に裸の女がスタンバっててもどーしていーか判んねえだろ、フン?」
「………………それがどーした」
同い年のくせにと反論したくとも、アルコバレーノの知性を存分に生かし女性関係でも異常に早熟だったリボーンと違い、男臭い軍隊生活一筋のコロネロは確かにそちらの方面には疎い。今までは実年齢の低さもあって具体的な窮地に立たされたことはなかったが……。
「ん?」
おいコラ待て。そーゆーお前はどうなんだ。
お得意の読心術でもないだろうが、眉を顰めたコロネロの内心を正確に読み取り、リボーンはニヤニヤと馬鹿にしたような……いや確実に馬鹿にしている、こいつはそーゆー奴だ。
「腐れジジイも余程俺って手駒を手放したくないらしくてな。チェルベッロの、双子のどっちかは判んなかったが」
「……チッ、最低だぜ!」
「何とでも」
反応に困るコロネロの潔癖さを観察するように、リボーンは暫し目を細め。ひょっとして自分を揶揄うだけの為に此処まで足を運んだんじゃないかとの予想を裏付けるように、何の前触れもなく凭れていたコンクリートの壁から身を起こした。。
そのまま行っちまえ、ほっと安堵の息を吐いたタイミングを見計らっていたのなら性悪にも程がある。既に踵を返しスーツの背を見せていた場違い野郎は。
「今の話をツナへの手紙にしたためた。今から投函してくるぞ」
「なっ、なんだとコラ!待てテメエ、リボーン!?」
取り出した白い封筒を見せびらかすかのようにヒラヒラ振ってみせる。
去り際のとんでもない捨て台詞に当然コロネロは仰天した。自分だけが馬鹿にされるのはギリギリ我慢出来ても、それは流石に見過ごせない。
「おい、どーゆーつもりだ!?コラ!!」
その場にタオルを叩き付けたコロネロの憤慨と狼狽を嘲笑いながら、リボーンは足を止めない。振り返りもせず、しかしコロネロが後を追い掛けてくるのを疑いもせずに挑発めいた言を接ぐ。
「テメエの場合と一緒だぞ。アレも一応はボンゴレの血族だからな」
「嘘つけコラァァっ!!」
頭から湯気を立てそうな怒気に、いや鬼教官と名高いコロネロが意外と出さない大声自体に驚いたのか、偶然通りかかった兵士達は顔色を変えて元来た道を引き返す。有名な青のアルコバレーノの顔を知らない者はこの基地にいない。
「変な男に引っ掛からないよう注意しとけっつー体験談兼忠告だぞ。親切な師匠心じゃねーか」
屈強の男達が震え上がる怒声にも、向けられた当人だけは馬耳東風ではあったが。
「男を手玉に取れるよーな器量があるとも思えねえ。ダメツナだからな。身を持ち崩されちゃ元家庭教師の沽券にも関わる」
「リボーン……、本気で言ってんのか?」
妙にすいすいと知らぬ筈の基地内を闊歩している黒衣のヒットマンを追いながら、コロネロは頭の隅で基地の地図が外部に流出してる可能性を考える。
由々しき事態と思いながらも、どうせ今の所属はマフィアの世界だ。己の思考の大半を占めているのは先日見たばかりの女性。過去の記憶と微かに交錯する花のような笑顔。
「……ツナは、きっとあいつはお前のことが」
そして彼女の視線の先。
「それ以上口にしたらそのドタマぶち抜くぞ」
笑い混じりが一転、低く言い捨てた声音にはコロネロの怒りすら比でない殺気が込められている。思わず気圧されたコロネロを初めて振り返り、リボーンは死神に相応しい冷たさの、どこか荒んだ印象の微笑を浮かべた。
「俺のすることに口出しすんな。……虫酸が走る」
そのまま返事も聞かず、体術を馬鹿にしていた人間とは思えない身のこなしで基地の外塀をよじ登る。その時点で口論しながら敷地の外れまで来ていたことに気付いたコロネロは徹頭徹尾、完全にリボーンの手の内に載せられていた。
「まっ待て!コラ!」
慌てて後を追い灰色のコンクリ壁を乗り越えようとしたコロネロの目に入ったのは、例の封書を悠々と敷地外の民間用ポストに投函している悪魔の姿。
「何してんだ―――っっ!!?」
腹の底から絶叫したコロネロは次の瞬間、塀の内側へと転がり落ちた。
*****
――その晩。
塀を再度乗り越えてきた悪友に捕まる前にその場から退散したリボーンは、人払いした自室で一本の電話を掛けていた。
「ああそうだ。差出人が俺名義になってる封書が届いたら処分しとけ。絶対にツナの目には触れさせるんじゃねーぞ」
「事情?この俺を信用出来ねーのか、ビアンキ」
「あー判った判った、――そうだな。オペラのチケットを用意する。ツナと二人で観てこいよ。今なら椿姫やってる筈だぞ」
「じゃあな、任せたぞ」
通話を終えた専用回線の受話器を眺め、静かに安堵の溜息を洩らす。
リボーンの愛人の一人であるビアンキは、他の日本で集めた側近達と同じようにツナの元に留まって、同性の気安さで今では身の回りの世話を一手に引き受けている。
愛人との逢瀬を名目に、彼女からの伝達で離れていた九年間もツナの動向は常に把握し続けていた。
「……仕掛けは上々」
呟きながら、しかしリボーンの表情は晴れない。