「いつかお前はぶっ殺す……!!」
「聞こえねーなぁ」
仕事と偽り呼び出したコロネロを伴い、リボーンはマッシモ劇場へと出向いている。
普段と変わらぬ薄汚れた迷彩服姿のコロネロは、夜会服の紳士淑女の群れの中で恐ろしく悪目立ちしていた。折角呼び出す口実を貴人の護衛という話にしてやったのだから、この格好を選んだコロネロの自業自得というものだ。
当然リボーンは漆黒のタキシードに身を包み、一分の隙もない伊達男ぶりを発揮している。
腕を組んでロビーの隅に仁王立ちしているコロネロは余計それが面白くないらしく、先程から猛獣のようにぐるぐると唸り続けている。
「あら、リボーンじゃないの」
「ホントだ、珍しいね」
彼女達の気付く前からさり気なく横目で様子を窺っていたリボーンと違い、声を聞いて初めて存在を知ったコロネロは大袈裟な程に肩を震わせた。至極単純な男だが、叫んだりしないだけこれでも自制しているのだろう。
「チャオ、奇遇だな」
「逢いたかったわ、リボーン」
チケットの送り主を承知していながらも、空惚けるリボーンに会話を合わせるビアンキは頭の良い女だ。彼女の魅力は容貌の美しさだけにあるのではない。今宵のビアンキは目に鮮やかな深紅のカクテルドレスを身に纏っている。体の線がくっきり表れる細身のデザインで、大胆に開いた背中は長い髪を下ろしていることで程よく隠され紙一重の下品さを回避している。
「なんかラッキーだなぁ、お前とちゃんと顔合わすのって何年ぶりだっけ?」
情人と軽いバッチョを交わすビアンキを一歩引いた位置から見守りながら、ツナは単純に大喜びしているようだった。いつもの番犬達は同行していない。用意したチケットの数が二枚だから当然かもしれないが、業界でも実力の高い毒サソリがいれば護衛には充分だろう。
薄桃色のシフォンを何枚も重ね、花弁のように膨らませたドレスのスカートはツナの少女めいた印象を強調している。同色のショールを剥き出しの肩に掛け、露になった細く白い首元をピンクパールのネックレスが一連ささやかに飾っている。ビアンキの見立てだろうか、悪くない。
過剰で重たい装飾品は、ツナの首を容易く折ってしまいそうだとリボーンは思う。これだけの歳月をマフィア関係者に囲まれ暮らしていても、不思議と彼女は血生臭い世界とは無縁に見える。
「今までも遠くから見ることはあったけど、……ホント大きくなったよなあ」
しみじみと嘆息して、眩しそうに上背の伸びたリボーンを見上げてくる。ブランクが余りにも長すぎて、首を上げるという行為自体がツナにとっては新鮮な驚きなのだろう。
「テメエは情けなくなるくらい、ちんくしゃのまんまだな」
本当は随分綺麗になったと言いたいが、実際に元家庭教師の口から出てくるのは捻くれた物言いだけであり。
「あっははは、出たよリボーンの暴言!久しぶりだと懐かしい!」
言われたツナも一向に気を悪くした様子なく笑い転げている。
「……お、おいコラ!」
逆に戸惑いつつも嗜めようとしたのは傍観していたコロネロで、例の手紙がツナの目に触れたと信じている悪友は先程から顔色を青くしたり赤くしたりと一人忙しい。
「あ、コロネロだよね。懐かしいなあ、俺のこと覚えてる?」
「!?………おう」
その所為でツナの注意を引いていれば仕方ないが、不自然に目を逸らしつつも必死で普通の応対を心掛けている。コロネロが無愛想なのは今に始まったことでなく、様子が怪訝しいと察知出来る程には相手を知らないこともあって、ツナの側では全く不審を抱いていないようだ。
「こないだもボンゴレの本部で見かけたよね?相変わらずお前ら仲良いんだなー」
「何だと!?そんな訳あるかコラ!!」
「あはははは」
ツナのリラックスした態度に感化されてか、がちがちに緊張していたコロネロも段々と常の不貞不貞しさを取り戻しつつある。立ち話しながら自然会話は二対二に分散し、愛人を伴ったリボーンはさり気なくその場を離れた。ビアンキの話を半分聞き流しつつ、二人の連れと見られない距離から悪友と元生徒の様子を密かに観察し続ける。
「こないだは挨拶もせずにごめんね?あの時は急いでたんだよ、俺ここんとこ九代目に睨まれててさぁ」
「……いや、気にすんな」
橋上での邂逅で見せた高雅で繊細な印象は影もなく、少年だった頃と同じようにツナは陽気で無邪気だった。いや、旧知に対する気安さかもしれないが、過去と比しても多弁になっている。
自分には向けられない明るいばかりの笑顔を横目で窺い、リボーンはおざなりにビアンキとの会話に相槌を打つ。例え本心から見たくないと切望していてさえ、痛みと情愛の籠もる彼女の眼差しを求めていないと言い切ることは酷く難しい。――忌々しい。
「……おい、そろそろ席に着いた方がいいみてーだぞ」
「あら、もうこんな時間?ツナ!」
リボーンに向けての女の顔でない、母か姉のような保護欲に満ちた顔でツナを手招く。ビアンキをその場に残し、一人客席へと続く中央階段に向かえば、慌てた様子でコロネロが後を追ってくる。
凝と背中から離れない、ツナから寄せられる物言いた気な視線のことは、気付かぬふりで黙殺する。
*****
リボーンが自分とコロネロの為に用意した席は、彼女達が視界に入らない幾分か前列の客席である。オペラなどに一片たりとも興味のないコロネロにとってはライトを浴びる舞台以上に己の背後が気になるらしく、先程から何度もそわそわと後ろを振り返って落ち着きない。
その都度何かしら反応を返して貰っているらしく、顔を戻す度に取り繕った顰めっ面になっている。客席が薄暗くなければ、人面がどこまで赤くなるかについて興味深い実験結果が得られただろう。
「ガキかテメエは、大人しく座ってやがれ」
「お前が無理矢理連れてきたんだろコラ!大体オペラなんぞ筋も知らねーよ」
正論だか開き直りだか判然としない台詞を吐いて、リボーンの嫌味に唇を曲げて抗議する。朴念仁もここまで来ると天晴れな特技に違いない。
「椿姫。La Traviata。馬鹿な娼婦が身を持ち崩す話だぞ」
リボーンの説明が得心いかないのか、芸術に疎い軍隊馬鹿は怪訝な面持ちのまま鋭い視線で舞台を凝視する。社交界を模した登場人物の衣裳は客席のそれに劣らず豪華で、朗々とした歌声は絢爛たる舞台を華やかに彩っている。
乾杯の歌は、オペラ音楽に疎い者でも聞いたことのある有名な曲だろう……コロネロに限っては怪しいが。
“Godiamo la tazza e il cantico La notte abbella e il riso! ”
舞台の上でヴィオレッタとアルフレードはその後訪れる悲劇を知らず、知り得たばかりの恋に酔っている。
「……金で愛を売る女が本気の恋なんてするから、全部が駄目になっちまうんだ」
続く呟きは友の耳に入らず、口中で苦く噛み砕かれた。
*****
閉幕後。ボンゴレからツナを迎えに来たリムジンに、リボーンはコロネロを押し込んで帰らせた。
「最初から俺は貴人の護衛と言ってたぞ」
「畜生覚えてろ……!!」
三下のような雑言を残してリムジンが発車するのを見送って、リボーン自身も往路に乗ってきた車の元に向かう。
――独りを自覚すれば、急に疲れを自覚するようだった。体が酷く重い。