ツナが未亡人となったのは、結婚より数えて僅か五年後のことである。
 
屋敷の礼拝堂で神に婚姻を誓った後、庭園に一族や主だった幹部を集めてのガーデンパーティ。ツナが隣に立ったザンザスと初めて交わした会話は、何故自分と結婚する気になったか訊ねるものだった。
この男はファミリーの和を考えるよりも敵対者は残らず叩き潰す明快さを好み、まして父親の指図に従うような殊勝さとは無縁の性格をしている。
ツナにとってはリボーンでない男に嫁ぐということだけが重大事で、相手側の事情まで忖度する余裕など持てぬまま花嫁衣裳を纏う仕儀となってしまったが。
「俺の仕出かしたこと、まさか何も知らないなんてことないでしょう?」
傍目からは仲睦まじい若夫婦……には見えないだろう、主に新郎の強面の所為で。どこからどう見てもマフィア以外の職業が似合わない偉丈夫は、話し掛けたにも関わらず夫の顔を一瞥もせず、にこにこと作り笑いを参列者に振り撒いている新嫁を無表情に見下ろした。
「賢しらに注進してくる奴もいたが」
隠す素振りもなく、あっさりと白状する。九代目が幾ら隠蔽しようとも、次代であるザンザスにも独自の伝手がある。あの兇手の狂乱と暴発に関し、真実に近い憶測は当然耳に入っているだろうとツナも推測していた。
「なら……」
「それがどうした」
不貞の婚約者を妻に迎えることを、ザンザスは無造作に些事と言い放つ。
「お前はそこの老いぼれと同類で、脆弱で狡猾で強かだ。見ていて面白い」
その割にこちらも妻に顔を向けないまま、父親の方を眺めつつニヤリと唇を歪ませる。
初めて見たザンザスの笑顔は、思ったよりも快活な印象だった。
 
それ以後も、無愛想で寡黙かと思えば突然意味不明なことで爆笑したり、最期まで掴めない男ではあった。
抗争での戦死というのも、実戦が三度の飯より大好きな鬼のように強い男からすれば、意外なのからしい死に様なのか判断付け難い。
既に跡目を譲って一年にも満たぬ頃、本部の屋敷を出てひっそりと別邸に隠棲していた九代目は散歩の途中、誰にも看取られぬまま急逝していた。
ザンザス死後のボスの座は自動的にツナの元へと転がり込んだ。
対外的な名目は三歳になる二人の息子が成人するまでの中継ぎだったが、誰もがそうと見做していない。ザンザス生前からボスの妻の立場でファミリー経営に辣腕を振るい、旧のザンザス派やヴァリアー部隊まで使いこなすツナは既にして女帝の資格を充分に備えていた。
ボスの客死という混乱した状況にも関わらず襲名は迅速に滞りなく行われ、新しいボスは初の仕事――ボンゴレの名を辱めた件の組織への徹底的な報復と壊滅――を実に見事に完遂してみせた。
変わらずボンゴレは精強で、その勢力は磐石だった。
 
 
*****
 
 
代々のドンが座してきた、権威の源ともいえる執務室。ガラス窓は防弾で、夜の窓辺に佇めば鏡のように全身を映し出す。
この数年で、ツナを少女のようだと評する人間は誰もいなくなった。容姿に変化はないにも関わらず、堂々とした態度、傲岸なまでに自信に溢れた表情、ゆったりとした所作の全てが帝王然としている。
容易に本心の窺い知れない近寄り難さと相まって一部では似たもの夫婦とも囁かれていたが、新当主に近しい幹部だけはボスの纏う空気にザンザスでない人物との類似を感じている。
窓ガラスに背を凭せ、残業中暫しの休憩を取っているドンナ・ボンゴレは一人、部屋の中央に飾られた花枝を眺めている。
代替りの後に新しく持ち込まれたもので、入り口から執務机を隠すような配置。ツナの細腕では抱えきれないマヨルカ焼の大壺に、今を盛りと咲き匂う桜が太い枝ごと生けられている。大人の身長程もある高さと花枝のボリューム感は、若木を壺に鉢植えしたようにも見える。
物憂げに桜を愛でながら、誰もいない室内に向けてツナは朱唇を開いた。
「……いいでしょ、日本から空輸で取り寄せたんだよ」
「ああ」
ふわり、と絨毯の上に散り敷かれた花弁が数枚、小さな風を受けて身動いだ。
扉が開いたとしても桜が隠したろうが、それにしても音もなく、正に忽然とその男は部屋の中央に出現していた。
表情を隠す黒のボルサリーノ、一分の隙もなく着こなされた黒色のスーツ、よく磨き込まれた黒い革靴。
そっと撫でるように花弁に触れた指先が、次の瞬間にはリボルバーの撃鉄を弾いている。僅か顎を逸らしたことで目元が顕になる。
リパリ島で採れた黒曜石のような漆黒の瞳。少々癖のある黒い髪。
まるで屋外の夜闇が人の姿を取って現れたような、凶々しい立ち姿。
「よう、ダメツナ」
離れた場所からでも、ぴたりと寸分の狂いなく心臓へと向けられた銃口。
「待ってたよ、リボーン」
夜に狙われた標的は、銃口にも動じず会心の笑みを浮かべてみせた。
「ようこそボンゴレへ。俺を殺しに来たんだろ?」
 
 
*****
 
 
――超死ぬ気の状態に似ている。
五年ぶりに邂逅した女を、リボーンは家庭教師の眼でまずはそう判断した。遠い昔、六道骸と戦った時に一度だけ使用した特殊弾。
静かに闘志を宿すその表情は静謐でありながら酷く艶やかだ。今のツナはリボーンの生徒ではないので、纏う雰囲気は彼女自身が創り出したものであったが。
厳重に護られた筈の屋敷の最奥、リボーンはここに至るまで誰にも見咎められずに侵入を果たした。技倆に地の利が合わされば容易なことだ。
耳を澄ましても騒ぎは起きていないようだ。応援の来る可能性は絶望的で、しかし銃口を向けられたツナは余裕の表情を崩していない。
「ここまで来るのに五年かかったよ。……あ、だからって俺がダンナ殺した訳じゃないからね」
ツナは窓辺から身を起こし、靴音を完全に消した兇手と同じ足運びで歩を進めた。芝居がかった仕草で肩の上まで両手を掲げ、踊るようにその場で一回転してみせる。昔と変わらぬ癖っ毛は、後ろ髪だけ長く伸ばして括られている。亜麻色の髪が、軽やかに回るツナの背中で尻尾のように跳ね躍った。
挑発的な流し目を送られ、銃把を握る手がうっすら汗をかいていることにリボーンは気付く。この対峙に緊張しているのは兇手の側だ。
「俺個人、沢田綱吉が誰かに目障りだと思われるくらい、この世界でのし上がるまで」
まるで隙だらけのツナは、そのまま執務机まで歩み寄った。引き金に力を込めるだけで標的の胸に深紅の死の花が咲くと判っていて、リボーンの指は凍り付いたままだ。
伝統と権威の象徴である重厚なオークの執務机を、その主は堂々と椅子代わりにして腰掛けた。足を組み換えれば、黒いロングスカートに深く入ったスリットから、ちらと白い太股が垣間見える。メンズライクな白いカッターシャツはラフに着崩され、胸元に小さなダイヤのペンダントが室内照明を反射して輝いている。
「暗殺依頼でも受けなきゃ、正当な理由なしにリボーンが動くとは思えないからね」
「……テメエ、俺に殺されたがってんのかよ」
「あっははは!まさか!!」
注意深く昔の知己とは連絡を断っていたが、リボーンは変わらずこの業界に属し、兇手を生業にしている。ボンゴレと接触はなかったが、
「九代目が円満退社ってことにしてくれてたしね」
暗躍する黒衣の影は、今まで見て見ぬ振りで野放しにされてきた。大体が居所を知られるようなヘマとも無縁である、組織の意向などどうでも良かったが、同じくボンゴレに恨みを持つ依頼主は兇手と古巣の冷やかな関係を自然と嗅ぎつけてくるようだった。
裏の帝国に逆らう馬鹿は数が少ないが、皆無という訳でもない。ツナの暗殺を依頼したのも、そんなファミリーの一つである。
「……リボーンは俺を殺さない」
「この状況わかってんのか?わざわざ暗殺者部屋に招き入れて言う台詞じゃねーな。今すぐにでも俺がズドンとやりゃテメエはお陀仏だぞ」
「コールパファミリー、今頃アジトは火の海だよ」
話を逸らしたようで核心の輪郭をなぞり、ツナは言葉の駆け引きを楽しんでいるようだった。口にしたのは、兇手を今夜この部屋に送り込んだリボーンの今の雇い主だ。
「兵隊は別件装って動かしてたからね。お前の情報収集力でも解んなかったろ」
最初から、取引の一部始終は標的の知るところとなっていたらしい。予め埋伏でも仕込んでいたか密告者がいたか。屋敷から人の少なくなる日を調べ出し、兇手はボンゴレを出し抜いて忍び込んだつもりで、実はまんまと誘き出されただけのようだ。
「報酬は出ないよ。前金で幾ら貰ったか知んないけど、それっぽっちじゃドンナ・ボンゴレの命には釣り合わないってプロのお前なら判断するだろ?」
くすくすと小さく笑う、ツナのその声だけはリボーンの知る少女の頃と変わらない。しかし目の前でふんぞり返っているのは、内気で臆病な少女ではなく、硝煙と血臭を纏ったマフィアの女ボスだ。
気付けば銃口を下ろしていた。端金で死人に使われてやるのは、確かにリボーンの矜持が許さない。しかし殺意は消えた訳でなく、行き場を封じられた憤りはどろどろと腹の内で煮えくり返っている。
待っていたというなら、リボーンこそ狂おしいまでにこの機会を切望していた。
声など掛けたのが土台間違いだった。すっかり相手の掌中で転がされている。
「可愛くない女になったな。骸の芝居っ気と雲雀の尊大さが最悪の状態で混じってやがる」
「山本の交渉術や獄寺君の判断力や了平さんの一喝とかも真似出来るよ。ダンナからも色々学んだしね」
リボーンの悪態にも一向に傷付いた顔を見せず、ツナは寧ろ誇らし気にそれを肯定した。
 
「でも、俺が愛してるのはリボーンだけだよ」
 
そもそも何も知らなかったツナにマフィア世界のノウハウを仕込み、思考や行動様式の根本を象った、最強の家庭教師。
「……このタイミングでそれを言うのは卑怯だぞ」
「知ってるよ。罠張ってまで追い詰めてんだから、こっちも必死」
「俺を捨てたくせに」
仕事用の仮面の裏から、本音の表情が零れ落ちた。
あの雪の日にリボーンは生きる意味ごと全てを失って、……心も体も得られないなら、殺めることでしか手に入らないとまで思い詰めて。
「あの子と引き換えにするなら、精々デカイもの掴もうと思ってね」
先程から笑顔を絶やさずにいたツナに、欠落を抱える者特有の昏い陰が浮かんだ。榛色の瞳は、今や透明さを失っていた。
「俺は全部が欲しいんだ」
睨むように黒衣を見据える瞳には、貪欲な餓えが宿っている。リボーンの凍った瞳の奥で瞬く欲望と同じ色の。
「俺のものになりなよ、リボーン。断ってもお前の依頼主片っ端から潰してくけどね」
「…………………………、雇用条件は?」
「俺の息子を死んだあの子と思って愛してくれること。あと正式な結婚は出来ない。俺の権威はザンザス未亡人って肩書きにあるからね」
執務机から勢いを付けて飛び降りる。そのままリボーンの元へ歩み寄るかと思いきや、花器の前まで来たツナは細い一枝を無造作に折り取った。
「それ以外はナシ。俺たちは何だって手に入れられるよ」
可愛らしい花を咲かすその枝を、花束のように兇手に向かって差し出してくる。その間も二人の脇で、花弁はその姿を留めることなく散っていく。
見れば、二人の足元には薄紅の雪が散り積もっていた。冬の淡雪と違い、春の雪はその場で消えることはない。
リボーンの胸の冬が、同時に溶けていくような眺めだった。
「仕方ねえ、テメエに捕まってやるよ」
「わーい!幸せにするよ!」
「おい……。まあいい、俺もずっと言いそびれてた言葉があるんだが」
その眼差しに焼き尽くされたいと、思わず感じてしまったのが敗因。確かに死ぬ気なのかもしれない。リボーンの自暴自棄ではなく、思えばツナは昔からタフで前向きな女だった。自力で死ぬ気になってしまう程に。
ツナはリボーンの作り上げた最高傑作だ。そしてリボーンを支配することの出来る、唯一の神だった。
「愛してる、ツナ」
「……そんなの前から知ってたよ!」
高貴なドンナ・ボンゴレは、恋に輝く小娘のように、男の胸へと真直ぐに飛び込んだ。
 
 
*****
 
 
東洋人でありながら、今もイタリア裏社会で伝説として語り継がれるツナヨシ・サワダ。
麗しきドンナに終生影のように付き従ったと言われる、黒衣の死神のことを記した資料は殆ど現存していない。
――And they lived happily ever after (?)
 
しばし下蔭で憩えよ。
花は土から咲いて土に散るのだから。
 
 
 
 
 
〈完〉
 
← Allora.
 
 
 

明らかにこの回だけテイストが違うのですが、これが俺的には最大限のハッピーエンドだ!てやんでい!
いきなり豊穣の海シリーズ全否定ですが(汗)、いくら生まれ変わっても現世で幸せになれなきゃ意味がないと思うのですよ…。