毎度のことながら偉そうに来客用ソファにふんぞり返ったリボーンが
「おいツナ」
「ふぇ?」
……反応が鈍かったのは仕事に集中していたからで、決して居眠りしていた訳ではないと強く主張したい。何処にってほら、その家庭教師当人へだけど。
マフィアのボスなんて職業初めて聞かされた時は日常茶飯事に命の遣り取りする危険な仕事だと思ったけど、こんな書類仕事まみれになるなんて聞いてたら別の意味で将来を考え直してたぞ、俺は。
大体がボスの元にまで回ってくる書類だから、サイン一つ書くにしても丹念に目を通し内容を把握してからでないと何処にどんな落し穴が空いているか知れない。ファミリーにとっての機密事項満載だから学校の宿題みたいに(その節はありがとう獄寺君!)他人に処理させるなんてもっての他、部下を信頼していないという話ではなく、ボスとしての責任の問題だ。はい弁明終了。
「なんだよリボーン」
「……お前な、思考読まれるの前提で会話すんのヤメロ。まぁいい、今はその話じゃねえ」
我が最強の家庭教師サマは苛立たしそうにこめかみを押さえたが、賢明にもあっさり思考を切り替えたらしい。いい加減俺の性格なんか把握しきってるんだろうし。
「すぐに愛人と縁切れ。全員とだぞ」
相変わらず俺にとってのリボーンは突拍子もなく謎に満ち満ちている存在だが。
「……えっと、十人全員?なんで?」
今現在俺がお付き合いしている女性はもれなく全員リボーンが用意……この表現なんかヤだな、イタリアに渡ってすぐの頃に引き合わせた人達で、まあ多分にビジネスライクだけどこの四年近く、それなりに良好な関係を築いてきた、つもりだった。少なくとも俺は。
「……来月で俺は十になる」
うん知ってるよ。その翌日には俺も二十二歳の誕生日を迎える。今年は偶数歳だからボンゴリアン・バースデーパーティーはしないんだろ?
あの事ある毎に「ボンゴレの伝統」との名分で行っていた妙なイベントの数々は案の定リボーンの出任せだったことがイタリアに来ていよいよ明らかになった。にも関わらず、ネタの割れてるこの期に及んで奴は自分プロデュースの変なイベント開催を止めようとしない。
まあね、今となっては当時のリボーンが何を目論んでいたのか俺にも想像はつくよ。あれだろ、ファミリー内での競争意識を高めるとかさ。
偶然でないとしたら非常に不本意だが俺はといえば何故か毎回の如く獄寺君と出し物のコンビを組まされていたので、彼との一蓮托生感ばかりが深まってしまった説が濃厚だ。閑話休題。
「テメエ、鈍いんだか聡いんだか大概にしろよ。喧嘩売ってんのか」
リボーン様はご立腹だ。けどちゃんと説明しないお前が悪いんだろ。
「いいか、一ヵ月以内には別れてこい。仮にもボンゴレのドンに女の一人も無しじゃ体裁がつかねえから代わりは自力で見付けてくるんだぞ。面倒臭ぇんならハル辺りと結婚でもいい。身辺整理なら不自然にも見えねえしな」
……もしもーし、リボーンさん?
割といっっっつも!思っているが、コイツは俺への説明義務を怠りすぎてるよね。わざと情報を開示せずに俺が困ってるのを見て喜んでんだろこのサド侯爵。
「サド侯爵で悪かったな」
「うわぁ!」
やっぱり読心術使ってるじゃん!
「俺から言うことは以上だ。仕事はサボんじゃねえぞ」
そう言い捨てると小粋な俺の殺し屋さんはトレードマークの帽子を目深に傾け……うわコイツ自分は居眠りする気だ!俺がこんなに頑張ってる目の前で!お前の血液は緑色かよ!
数分もすればぴくりとも動かないもうすぐ十歳児はすいよすいよと気持ち良さそうに寝息を立て始めた。
リボーンが執務室で居眠りしてくのは何も今に始まったことじゃないが、ぶっちゃけ時々鼻ちょうちん作ってるのを目撃することもあるが、俺はサド侯爵じゃないから見て見ぬ振りしてやっている。
しかし今の話は何だったんだろーなー…。
暫しサインを入れる手を止めて考えるが、俺の鈍い頭では全く思い当たる節がない。まあ強いて言えば……ああ止め止め、下手の考え休むに似たりとリボーンが起きてたら言うだろう。答えは最初から決まってるんだし。
ていうかこの書類の山、全部今日のノルマだよね?あとどんだけあるんだろう……。
ボスの執務机が特別大きいのって、書類を載せられる限界量を多くする為とかじゃないよ、ね……?
がくり。
早速といっては何だが、ホテルの一室で俺は彼女に別れを告げていた。
「ごめん、もう逢えなくなったんだ」
なんて一言で。
「………そう」
シーツを乱すどころかネクタイすら解かず、事務仕事のように淡々と最後通牒を告げる。俺は情人として最低の男だろう。
半ば想像は付いてたけど、彼女は取り乱したりすることなく静かに俯いただけだった。
ブルネットの巻き毛がゆるりと肩を滑るのを目で追いながら、今ここに居る彼女に懐かしさに似た感情を喚起される。
僅かに目線だけを上げて微笑んだ彼女も同じで、つまり二人共が別離を予定調和として既に受け入れていた。
「あ、あのさ。……リボーンにも顔見せるように言っとくから。後のことは二人で話し合いなよ」
そもそも部屋に入ってから俺は腰掛けてすらいない。沈黙に居たたまれない余り、自分でも余計なことを口走ったと後悔したくらいなのに、
「ありがとう、ツナヨシ」
彼女は優しく微笑んでくれた。
深紅のルージュが似合う、緩く弧を描く唇を見ていたら、こんな時なのに素直に彼女のことを愛しいと思えて、……ああ何だか泣きそう。仕方ないじゃないか、始まり方が如何であろうと三年半の月日は伊達じゃない。
「元気でね」
「うん、……君も」
去り際の台詞は淡々と、でも万感を込めて。
Addio!美しい人よ。君の幸せを祈っている、なんて月並みな台詞。
二度とこのホテルに足を向けたくなくなる程度にはダメージを受けている。
逢瀬を交わしてきたにしては異常に早く姿を見せた俺にも意外な顔一つ見せず、扉の前に控えていた獄寺君は二言三言引継ぎの言葉を黒服の配下に掛けて俺の後に続いた。彼らはこれから彼女を住居まで送り届ける役目を担う。
淑女にするような完璧なエスコートで俺をエントランスまで先導し、獄寺君は車寄せに横付けされたリムジンのドアを開ける。俺が乗り込んだのを確認してからドアを閉め、自分は反対側のドアから後部座席、俺の隣へ。
以前は毎度助手席に乗ろうとしていたが、隔離されたみたいな広い後部座席に一人座るのが嫌だった俺はその度に駄々をこね、今は助手席には護衛を兼ねた獄寺君直属の部下が代わりにスタンバっている。
これもボンゴレ構成員の運転手はさっと左右の安全を確認して、防弾ガラスの入ったリムジンは滑るように走り出す。
いつも思うんだけどサングラスを装着したまま夜道を運転することに意味はあるのだろうか。
一度リボーンに尋ねたら「気にするな、女の化粧みたいなモンだ」女でない俺にはピンとこない回答を寄越された。こういう台詞をさらりと吐けるかどうかが男の格を表してるのかもしれない。
これだけに限らず、特にこの世界では様式美への信仰は篤い。いくら窓に防弾ガラスを使っていようとも、実際のところタイヤ部分やガソリンタンクを狙撃されたら一巻の終わりだってことを俺は既に知っている。尤もうちのヒットマン並の凄腕暗殺者がそこらに転がっている訳でもない。
今夜も安全神話を甘受して、俺は革張りのシートに背を凭せ掛けた。
「……お疲れですか?」
俺の動作に疲労の影を見て取った獄寺君が遠慮がちに聞いてくる。本来の秘書であるハル以上に四六時中俺の傍に控えたがる彼に対して密かな陰口も叩かれているようだが、確かにホテルへの送迎なんて端役まで、大ボンゴレの右腕が陣頭に立って仕切る必要はないだろう、普通。
それでもここ半年くらいは折衝で海外を飛び回ってることの多い彼だから、せめて本国にいる間くらいはささやかな我儘を叶えてやりたい。
「大丈夫だよ、ありがとう」
心配気な視線を避けて俺はしゃあしゃあと嘘を吐く。本当は凄く疲弊してる、精神的に。こんな儀式があと九件も残っているかと思うと憂欝だ。
元来俺は面倒臭がりなんだよね。彼女達、いや口に出して別れてきたのはまだ一人だけど、近未来的にドン・ボンゴレの愛人という身分を失う彼女達の身の振り方までは俺が口を出す範囲ではないとしても。
……これはリボーン次第、だろう。
アイツの気が向けば自分の十何番目かの愛人にするだろうし、でなかったら適当に人生の再出発を送れるよう手配するだろう。一応俺も監視を怠らない方がいい。口封じだろうが何だろうが、リボーンが女性を撃つことには抵抗感があるから。