大切な話をしたいと十代目が切り出された時から、小さな違和感は感じていた。
いつもと同じように、二人並んで学校からの帰路を辿っている最中だった。山本の奴は野球部の練習で、邪魔者無しに十代目とご一緒出来る時間に浮かれていた俺は気付くのが遅れたが、そういえば校門を出た頃から少々ご様子が怪訝しかったかもしれない。
元から騒々しく自己主張する方ではないが、今日は特に口数も少なめで、俺への相槌も途切れがちでいらっしゃった。だからといって消沈しているという訳でもなく、寧ろそわそわと浮き足立っていらっしゃる。いきなり立ち止まられたことに驚いて俺も足を止めれば、真剣な顔をして大切な話と仰る。心配だ。
十代目のお宅だとアホ牛や姉貴らの所為で落ち着いて話せないと近所の公園に向かいながら、何か悩みを抱えていらっしゃるのだろうかと、俺の心臓は煩く動悸した。何かトラブルがあって、俺の助力を求めておられるのだろうか。心配でもあるが、俺を頼って下さるのが光栄で嬉しくもある。部下にあるまじき考えだ。俺は浅ましい自分を戒める。
「お待たせしました」
「ありがと……」
自動販売機で買ってきた炭酸飲料の缶を渡すと、十代目は嬉しそうに受け取って下さった。十代目のお宅の近所にある公園は、俺にとっても馴染みの深い場所だ。休日の朝、居ても立ってもいられず塒を飛び出して、しかし十代目のお宅に伺うには早過ぎるような時、俺は此処で煙草を吹かして時間を潰している。そのベンチに今は十代目がお座りになって、地面を突きまくっている鳩の群れや砂場で遊ぶガキ共の様子を、常の俺と同じように漫然と眺めていらっしゃるのは、何だか不思議な感覚がした。
失礼して十代目の隣に腰を下ろした俺は、大事な話とやらを傾聴すべく、主人が口を開くのを待ち続けた。暫く黙って十代目は正面に目を向けておられたが、俺の存在を失念している訳ではなく、ギリギリの距離で触れ合わない肩が緊張で強張っているのが伝わってくる。そんなに切り出し難い話なのだろうか。
座り心地の良い体勢を探るように、十代目は何度か腰の位置をずらされた。俺から徐々に離れている風なのは、単なる思い過ごしだろう。
砂場のガキ共は、母親が迎えに来る刻限になったのか、一人また一人と手を引かれて連れ帰られている。もう夕方なのだ。俺は十代目を促すべきなのか、このまま待ち続ければ良いのか判断に困ってしまう。こんな時は自分の対人スキルの無さが恨めしい。
「あのさ、獄寺君」
待つのが正解だったのか、十代目は缶をベンチに置き、漸う俺の方を向いて下さった。どこか怯えたような態度のまま、俺を貫く瞳だけは、何かの意を決したように強い光を湛えている。
「はい!」
「獄寺君はさ……俺の部下なんだよね?」
「はい、勿論です!」
「じゃあさ、ボスの命令なら、何でも聞いてくれるの?」
「当然っす!!」
勿論のこと、俺は大きく頷いた。これは本当に十代目が俺を頼って下さっている局面かもしれない。
十代目は謙虚な方で、普段はあまりボスと名乗ったり、それらしく振る舞ったりなさらない。俺はその物腰の柔らかさと寡欲さをすっげー尊敬しているが、部下と認められていないんじゃないかという不安は常にあって、だから今のお言葉は嬉しいものだった。
期待に満ち溢れた俺の視線を避けるように十代目は伏し目がちになって。
「俺と付き合って……くれない?」
そう仰った。
「はい、何処へなりと!!」
「ち、違うよ、そーゆー意味じゃなくて!」
悲鳴のような声を上げて、十代目は勢い良く首をお振りになる。俺の理解不足で困らせてしまったという罪悪感は、しかし次に十代目が口にされた言葉の衝撃で吹っ飛んでしまった。
「俺の、こ、恋人になってってこと!」
「……はぁ!?」
爆弾発言だ。またもや俺の読解不足かとも疑ったが、いくら考えても他の解釈が浮かばない。
「あの、十代目は男性ですよね……?」
恐る恐る尋ねれば、俯いたままこくりと頷かれる。俺からは十代目のつむじと、真っ赤に火照った耳殻だけが見えている。
「ちなみに、俺も男です」
「………知ってる……」
更なる確認には蚊の鳴くような囁きが返って、いよいよこれは冗談や何かの間違いではないらしいと察しの悪い俺にも飲み込めてきた。どうやら、本気で十代目は俺に恋愛感情を抱いているらしい。……マジでか。
十代目はそういった性向の方だったのか?待てよ、十代目の方から求めてきたってことは俺がcheccaか!?それとも十代目は女みたいな気持ちで俺に惚れてらっしゃるのだろうか…って、ほ、惚れるとか、男同士でその手の単語を使うのにはどうしても違和感が拭えない。ヤり方も知らないし、そもそもちゃんと勃つのか俺……?
「ごめん、気持ち悪いよね。しかもボス命令とか……」
硬直したまま、答えを返さない(返せないのだが)俺の態度を糾弾と受け取ったのだろうか。俯いたまま訥々と話される十代目が涙声になっておられる!付き合ってと言われた時より動揺して、俺は咄嗟にその肩を掴んでしまう。
十代目はびくりと竦まれる。雄々しく戦う姿からは想像出来ない、男にしては薄い肩だ。
「あの、ええとですね……」
回らない頭で、必死にこの人を傷付けない言葉を探す。
俺が原因でこの方を泣かせるなんて、部下として許すまじき大逆だ。そんな真似、自分で自分を許せねぇ。十代目の為に命を捧げる覚悟はとっくに出来てんだ。今更他のものを捧げるくらいお安い御用じゃ……ねえか……、なぁ?
「その、具体的に俺は何をすればいいんでしょうか……?」
覚悟を決めたのも束の間、口に出したのはヘロヘロに腰砕けな問いかけだ。情けねえ。
しかしそんな言葉でも多少は恐怖心を取り除けたのか、十代目はようやく顔を上げて下さった。俺の表情に軽蔑が見えないか探るような、上目遣いで顔色を伺うその目尻にはやはり涙が滲んでいる。潤んだ瞳と紅らんだ目尻が何ともいじらしく、俺はついその涙を拭ってやりたい衝動に駆られる。
「二人で登校したり下校したい。休日は遊びに出かけたり、とにかく一緒に居たいんだ。それで、出来れば俺に優しくして欲しい……」
再び罪悪感と羞恥に耐えられなくなったのか、ささやかな要求の最中にも、花が萎れるように徐々に項垂れていく十代目。本当に意外な程にささやかで、キスやそれ以上を求められなかったことに、不謹慎だが俺は随分安堵した。
ずっと傍に居るくらい簡単なことだ。今までと何も変わらない。寧ろ俺がずっと望んできて、十代目にお許し頂きたいと願っていたことが実現して、しかもそれは十代目からのお申し出なのだ。なんて素晴らしいことだろう!
「十代目!!」
「うわぁ!?」
よく考えれば部下冥利に尽きるお申し出じゃねーか!尊敬する主が、俺をこんなにも切実に必要として下さっているだなんて!!
「解りました、この獄寺隼人、誠心誠意十代目の恋人を務めさせて頂きます!!」
自分の思い付きに感動するあまり、俺の手は無意識に十代目の両手を包むように握り締め、下から覗き込んでそのお顔を見凝めていた。
「はは、ありがと……」
手の平を返すような俺の剣幕に目をぱちぱちと瞬かせ、やがて俺の言葉の染み込んだ十代目は泣き笑いのような表情を作られた。俺の出した解答は間違っていなかったと、その含羞んだ笑顔を見る俺の心にも安堵が広がった。
十代目があまり男らしい容姿の人でないというのも、抵抗感の少ない理由かもしれない。元々小柄で幼げという印象は持っていたが、そこに恋人という目線が加わると、仕草や表情のとても可愛らしい人だということに気付かされる。正直、男相手に恋愛感情を抱けるか未だに心許ないが、引き受けたからには十代目の立派な恋人役を務めてみせるつもりだ。それが俺の忠誠心の証である。
「あ、あの、手……」
「!す、すみません!!」
ずっと手を握り続けていたことを指摘され、慌てて俺はそれを振り解いた。十代目は真っ赤なお顔をされて、ご自身の手を胸の辺りで抱え込んでおられる。俺の手の感触を噛み締めておられるような…と思えば、俺の顔にまで血が上ってくる。
行動は今までと同じでも、交際しているという前提があるだけで、その感じ方が全く変わってくるのだ。
早速今後の生活に不安を覚えつつも、俺は恋人としての最初の任務を達成すべく、十代目をご自宅までお送りすることにした。
******
十代目と“交際”を始めて一週間。その間の俺らの関係といえば、朝は十代目のお宅まで迎えに行き登校をご一緒して、学校では山本を加えた三人でダベり、夕方は再び一緒に下校して十代目をお送りする。……つまり交際する前と完全に同じだった。
ある意味予想通りではあったのだが、それなりに気負っていた分、肩透かしを食らった感は否めない。俺はともかく、十代目はこれで本当に満足していらっしゃるのだろうか。
今も俺の隣で学校での出来事を話されている十代目は、にこにこと幸せそうにしておられる。その表情に不満の色は見当たらない……ように思える。
十代目は、俺がこの方の為にと行う小さな働きを、あまり遠慮なさらず受け取られるようになった。「駄目だよ、悪いよそんなの!」と言う台詞が、「ごめんね、ありがとう」というお礼の言葉になった。俺の行為が優しくすることに相当しているのか判断付かないが、寧ろ俺にとって嬉しい変化かもしれない。
俺の気持ちは変わらない。だが十代目にとって、恋人でない俺の献身は不自然に感じるものだったのだろうか。今までの俺に価値が無かったと言外に宣告されたようで、一抹の淋しさを覚えなくもない。そもそも十代目が俺に懸想した理由が解らないことでもあるし、恋人としての俺に飽きてしまわれたら、同時に俺の忠誠すら疎ましくなられるのかもしれない。……なんて恐ろしい想像だ!!
「獄寺君?」
「はははハイ!何でしょうか十代目!?」
「ううん、別に声かけただけ……」
ぼぅと余所事を考えていたことが露見したのだろうか。十代目は曖昧に語尾を濁され、俺もそれ以上誤魔化しの言葉を続けられなくなった。
そのまま会話も途切れ、ぎこちない沈黙が流れる。ったく、何やってんだ俺……。
気まずさを誤魔化すような素振りで、肩からずり落ちかけた通学鞄を十代目が掛け直しておられる。細い肩には鞄の重さが負担だと思うのだが、俺が鞄をお持ちするのを十代目はお許しにならない。この方の思う“恋人”は、鞄を持ち運ぶ存在ではないらしい。俺は男女交際の経験が無いので(勿論男ともだが)、正しい恋人の態度が如何ようなものであるのか判断出来ないのだ。
居心地悪い空気をどうにかしたい。何より、十代目の笑顔が俺の所為で消えてしまうなど耐えられない。恋人らしい行為として、俺の頭で思い付くのは一つだけだった。
「っ!?」
「………………」
ぎゅ。
出来る限りのさり気なさを装って、俺は十代目のお手を拝借した。手の繋ぎ方は指と指を絡める、俗に言う恋人繋ぎというやつだ。
抵抗感は無い。が、無闇に恥ずかしいもんだなコレは。ガキの頃は姉貴と手を繋いで歩いたこともあったが、この歳でするのは妙な面映ゆさがある。手を握った瞬間、十代目はびくりと肩を竦められたが、制止の言葉は上がらなかった。
「あ、雀ですよ十代目!」
空いた側の手で、電線に整列する雀共を指差してみる。話題に困ったにしろ、我ながらこれは無い。益々ガキのままごとじみてきた。
「ほっ、本当、だねっ!」
「しっかし鳩の奴ら、公園にはたむろしてんのに、あんまり住宅街では見かけませんね。雀と住み分けてんでしょうか」
「えー?鳩もよく窓の外で鳴いてるよ。獄寺君ち、マンションの上の方の階だからあんまり聞こえないだけじゃない?」
「はあ、そういうもんですか」
当初は明らかに動転していらした十代目も、段々と慣れてきたらしい。くすくすと小さく洩らされる笑声に、俺の心まで浮き立つようだ。どんな話題でも、十代目とお話するのはいつだって楽しい。
何となく離れ難い気持ちになって、繋いだ手に力を籠めてみた。すぐに十代目の方も握り返して下さる。とても小さい手だ。すんなりとして柔らかで、このか弱い手が拳を作り戦いに赴くことを考えると、驚異と共に胸塞がれるような気持ちにもなる。
結局、俺達は十代目のお宅に到着するまで、手を繋いだまま帰った。
門扉の前で離した温もりが何故だか名残惜しく、己が手を頻りに開閉させていた俺へと、門扉を開け放した十代目が振り返られる。
「今日はありがとね、獄寺君……」
「いえ、俺は、何も」
互いに視線を合わせられず、玄関先で暫くもじもじとしていれば、不意に十代目が顔を上げられる。告白の日を思い出した俺が門柱を見ていた目を反射的にご尊顔へと向け直せば、あの日とは違い、十代目のお顔は強張っておられなかった。
「なんか、本当の恋人みたいで嬉しかった。獄寺君の手、あったかいね」
上目遣いながらもしっかりと俺を見上げ。柔らかな花弁の綻ぶような、暁の光のような、そんな笑顔だ。
「じゃ、じゃあ。また明日!」
「はい、明日………」
挨拶を返したのは無意識だった。十代目がばたばたと走り去っても、俺は金縛りにあったように、身動ぎ一つ出来なかった。
最後に扉の隙間からもう一度顔だけを出した十代目は、俺と目が合った瞬間目元を綻ばせて、そして慌てたように扉を閉められる。
……顔が熱い。鏡を見なくとも、自分が真っ赤になっていることが解る。頭から湯気が上っていないのが不思議なくらいだ。視神経を伝い、脳が痺れたように震えている。十代目のお顔が瞼から消えない。
なんてことだ。
「か、可愛…………」
脳の痺れが伝わったように震える手を持ち上げ、口元を押さえる。この手があの方のお手に触れたと意識すると、叫び出してしまいそうだった。
惚れてしまった。
たった今。いや、今までは意識の表層に現れなかっただけで、あの方へと捧げる熱狂にはこの気持ちも含まれていたのではないだろうか?
明日からどんな顔をしてお会いすればいいんだ……。し、しかも恋人として!!うおお、なんつー無謀なことをオッケーしてまったんだ一週間前の俺ぇ!!!!!
獄寺隼人、初恋を自覚した瞬間だった。