眼に映るのは、朱。
伸ばされた指は、細やかで――ただ皓かった。
炎に照り返されて、赤い衣はより朱に染まり、眼にも鮮やかな対比。
「………!………ッ!」
赤い唇が、何かを必死で叫んでいる。結った髪は崩れ額に落ちかかり、顔は……解らない。覚えていない。
「 !」
その女が自分を呼んでいるということは何故だか解った。
だから俺も駆け寄ろうと腕を伸ばし、適わず強い力に引き戻される。
「……!」
顔の見えない女の周りでは炎が踊り、彼女を美しく彩るようだった。
「 ! !」
その時気付く。赤い衣と見えたものは、血を吸って朱く染まった粗末な麻の着物。
一体何が、彼女に罪人の朱を纏わせたのか、俺は知らない。
「………妾の分も……」
言葉は最後まで聞こえなかった。崩れ落ちた梁が俺と女の間を塞ぐ。後は煤と、煙と、俺の眼に映るのはそれだけ。その風景すら俺を抱えて走る腕によってみるみる遠離る。
「媽!」
――そこで、目が覚める。
「阿賚?」
跳ね起きた俺の様子を訝って、隣で寝ていた荀兄がゆっくりと身を起こした。
「また火事の夢?」
「………うん」
寝台の脇から水差しを取り、杯に注いで手渡してくれる。含んだ水は冷たくて美味しかった。
「落ち着いた?」
「うん、……大丈夫」
実際に悪夢の気配はみるみる霧散し、杯を両手で握り締めた俺はこくりと頷く。
炎の気配などない。そこにあるのは蒼みがかった夜の底で、何処知れず梟が蕭々と啼く以外には音もなく。小さな世界には身を寄せ合う二人だけが居る。
にっこりと、荀兄は笑った。
「阿賚」
今の俺の呼び名。
それを柔らかく発音して、ゆっくりと俺を抱き締める。
「怖い夢はもう行ってしまいましたよ」
ひょっとしたら何かを識っているのかもしれないと思う時もあるが、この人はその気配をおくびにも出さないし、俺も尋ねたことはない。
ただ頷いて、良い匂いのする夜着の胸に顔を埋めると、皓い手がゆっくりと頭を撫でる。
「もう十になったのだから、そろそろ一人で寝られるようにしなくてはね」
寧ろ自分に言い聞かせるように、最近は俺が悪夢に魘される度この人は繰り返す。
「もうお休みなさい」
「うん、起こしてごめん」
「いいえ」
名残惜しい体から離れる。続いて横になった荀兄は、皺になった衾を掛け直してくれた。皓い夜着の端を掴むと、小さく笑んだ気配。
目を閉じて、眠ったふりをした。
本当に怖いのは、夢より現実かもしれない。
顔のない夢の女は、今夜は荀兄の顔をしていた。
……いつか、殺してしまうかもしれない。
理由はない、しかし確信に似た強さの思いに、小さく身を震わせる。
宥めるように背中を撫でる手を感じ、突き放したいような、縋り付きたいような、奇妙な気分に襲われた。
この感情を何と呼ぼう。