「お前達四人にも紹介しておこう、我が待望の張子房だ」
「初めまして。潁川の荀、字を文若と申します」
不気味な程に笑み崩れた曹操に押し出され、“張子房”とやらは実に隙のない優雅な動きで、自分達――夏侯惇以下、その場に集っていた親族武将達に向けて拱手した。
「どうだ美しいだろう、我が子房は」
「お戯れを」
窘める声は特に声高でもなかったが、我が事のように胸を反らしていた曹操は途端、叱られた子供のように悄然と項垂れた。斯様な主君は文字通り見慣れている従兄弟連中、その威厳ない姿には全く反応しなかったが、但し。
「んぇ?………あ、そっか! 男かよ!?」
「阿呆か妙才、文若は儂より背が高いだろうが」
「はぁ〜? 孟徳兄は小さすぎて比較対象にならねぇよ」
「小さい言うな!!」
……己も思ったことを片端から粗忽者の従弟が口に出してくれたので、この場で最年長の夏侯惇は辛うじて面目を失わずに済んだ。とはいえ従兄弟達による低次元の口喧嘩に気を取られて肝心の人物を忘れているようでは、識者を篤く敬うとの世評とて実際は高が知れようものであるが。
自分達親族が主に対し馴々しい口を利くのを、東郡の官吏連が白眼視していると知っていた夏侯惇は慌てて口論(という名の戯れ合い)を制止しようとした、その時。
「……ふふっ」
つい堪えきれずといった風に、荀の口から忍び笑いが洩れる。驚いた夏侯惇が思わず注視すれば眉を顰めるどころか、荀の細めた目元に浮かぶは笑みの気配と、紛れもない好意とである。
「どうだ面白い奴らだろう、我が従兄弟達は」
「はい」
自慢気に曹操が語りかける。己を評された時とは打って変わった素直さで、荀は苦言を呈することもなく主の言を首肯した。恬淡とした返辞は阿諛の類とも見えず、初対面ながら不可解さは募る一方。
どうにも毛色の違う御仁のようだが……。
「そうだな。この中の誰か……ふん、元譲で良いか」
そんな内心の独白が聞こえた訳でもあるまいが。
「文若に馬術と剣の手ほどきをしてやってくれ」
部下に誉められ(自分のことではないが)ご満悦の曹操は、あっさりと夏侯惇を名指しで突拍子もない要請を寄越してきた。
「……………あ?」
「宜しくお願い致します」
既に君臣の間でそれらしき会話が交わされていたのか、一方の当事者は主の言にも別段疑問を差し挟む様子はない。
しかし。
「………………………、応」
仮にも主命、頼まれてしまったは良いが。
如何にも知識人らしい洗練さの滲む荀の佇まいを見る限り、剣を握る姿が此程に想像出来ぬ者もまたと居そうにない。同じ人に教えるでも日頃の練兵とは随分勝手の違うことになるだろう、……ぶっちゃけ厄介事の気配が濃厚に漂う話だった。