『別に前線に出そうとは思っとらんのだ。万一本陣が総崩れになろうとも、我が身だけでも守って逃げきれるくらいにはしてやって欲しい』
初日、わざわざ夏侯惇の元まで俄か生徒を送り届けて来た曹操は、あながち冗談でもなさそうな真剣さでくどい程に念を押してきた。
……余程、卞水でこてんぱんに伸されたのが心の疵になっているのだろうか。
当初は大袈裟なと呆れ果てた夏侯惇だったが、一旬もすれば主の懸念も充分に呑み込めてくる。
「別に取って喰われやしませんから」
「は、はい」
乗りこなすどころか、荀は引き出された馬の鼻面を撫でる段階にも至っていない。
予想以上に困難な道程になりそうだった。
「ん?……そういえば孟徳は?」
やけに静かだと思えば、今日は五月蠅い奴の顔を見ない。
初日以降も毎回、一日おきの教練(?)の度に曹操は自ら態々荀を連れてやって来た。送迎だけならまだしも、教えている間中もずっと近くに張り付き、何かしら荀の躊躇することを指示するだけで、別に無体な要求でないことに対してまで外野から囂々と非難を飛ばしてくる。腕前に進展が見られぬのは生徒本人の資質というよりも、曹操の横槍の方が寧ろ原因として大きかった。
尋ねられた荀はつんと顎を反らし、
「今後は来て頂かぬようお願いしました」
邪魔されている感覚は彼方にもあったのか、硬い声音はどこか怒りを含んでいる。
この調子でぴしゃりとやられた曹操はさぞや落ち込んだだろう。
初めて引き合わされた日の遣り取りが思い出され、意地悪いとは思うが痛快に感じるのも確か。あれだけ口出しするなら最初から自分で教えれば良いだろうにと、くさくさしていたところでもあったので。
「主公には東郡太守としての責務があるのです。一臣下に煩わされる時間など無い筈ですのに」
夏侯惇の憶測とは違い(それもあるのかもしれないが)、荀が憤っていたのは違うことに対してだったらしい。
「それだけ貴殿が大事なのでしょうな、あいつは爾来マメな奴ですが」
口に出して伝えはしないが、親兄弟並みに気心の知れた夏侯惇ですら面食らっている部分もある。
目的の為なら手段も手間も惜しまないのが曹操の身上だが、女を口説く時ですらここまで細々と、献身的とも言える世話を焼いている様は見たことがない。この場合は目的も知れないことであるし。
「困りました、まだ何のお役にも立てていないのに……」
不気味がるというよりも、ただ如何すれば判らないといった困惑だけを滲ませて、荀は溜息を吐いた。
夏侯惇が妙に申し訳ないような気分になれば、視線の合った栗毛が申し合わせたように小さく嘶く。
厩舎に居る百にも満たない軍馬の中から、教練用に引き出して来たのは最も穏和な一頭である。
それでも目の前の物言わぬ栗毛がゆっくり首を振り、時に前蹄で地を掻く仕草をすると、その度に荀は反射的に身を竦ませる。
慣れぬ生徒の為には、指南役の夏侯惇が手ずから轡を掴み、鼻面を固定してやる必要があった。
「いけませんね、頭では理解しているのですが……近くで見ると本当に大きくて」
「本当は穏和で臆病な動物ですよ。乗り手が緊張するとそれが伝わって馬も落ち着かなくなる」
素直に感心した風に荀は頷いた。身動き出来ない栗毛が何処か嫌そうにしているのに眉をふと顰め、やがて意を決したようにそろそろと手を伸ばした。
「………温かい」
「人間より獣は体温が高いのです」
「知りませんでした……」
指の腹を使って、絹を思わせる毛並みのしなやかさを確認するように、白い指が幾度か馬の鼻先を撫でた。
「今まで馬に乗ったことは?一度も?」
「……実家では馬車を出すか、簡単な用なら驢で充分でしたから」
潁川の荀氏と言えば、確か名の知れた学者の家であった記憶がある。夏侯惇の少年時代には悪い評判が流れた気もするが、大人達の噂など聞かず野山を駆け回っていたから、その詳細までは知らない。
豪族としては下層でしかない夏侯氏はどちらかと言えば武門の色が強かったこともあって、自分はまだしも他の兄弟従兄弟に至っては私塾など足も向けず、日がな遠駆けや狩猟にうつつを抜かしていた。
頻々たる西羌討伐や南匈奴との融和傾向、鐙など急速な馬具の発達、古に比べれば乗馬の文化も大分と中原にまで浸透しつつあるが、それでも馴染みのない人間も未だ多く居る。
夏侯惇も頭では理解していたが、優しい手付きで栗毛を撫でる白い手は、指先に墨の蒼さが滲むを除いては疵一つない滑らかさで、一度も労働に従事したり武器を振るったりしたことのない手に間違いなかった。自分達とは違う世界で生きてきた人間だということをその手に実感する。
「では、轡を離しますからな」
「えっ、そんな、困」
有無を言わさず轡を押さえていた手を離してしまえば、鬱憤の溜まっていた馬は低く嘶いて、首を激しく左右に振り動かした。
「あっ……」
荀は怯えたように飛び退ったが、しかし目の前の馬が暴れ出したりしないのに気付くと、己の慌てぶりを羞じらうように微笑んだ。恐る恐るだったが再び近付くと、今度はすっと自ら手を伸ばして、僅かの間だけその長い頸に手を添えた。
「――そうですね、一度だけ」
すぐに手を離して、荀は傍らで不測の事態に備えていた夏侯惇の方を見上げてくる。
「馬に乗せて頂いたことがあります。もう二十年近く昔になるでしょうか……孟徳さま、いえ主公に」
「そんな頃からの旧知だったのですか」
それらしき話だけでなく、思えば曹操の口からは殆ど何も聞かされていない。知り合った契機や、荀が仕官するに至った経緯や。
「あの時はまるで、世界が全く違うものに見えて」
そう親しくさせて頂いたという訳ではないのですけれど。そう肩を竦めて、それでも荀は嬉しげに瞼を細めた。
「忘れられない思い出です」
東郡で過ごす初めての冬は、僅かばかりの小競り合いを除けば久方ぶりの穏やかな日々になりそうな気配であった。
しかも広袖の袍を纏って端座する荀を目にしていると、一層のんびりとした気分に陥ってくる。改めて思うが、この人は筒袖の戎衣が全くもって似合わない。その一方で長い袖や裾は易々と捌きながら、何故に剣を構えて立つだけのことが出来ないのか疑問にも思うが。
曹操の挙兵に従って以来、本拠というものを得られぬまま各地を転々としていた。苦痛に感じたことなど夏侯惇には一度も無かったが、一所に落ち着いた気の緩みはあったのだろうか。今後は兵を増やせるし、何より糧食の確保に汲々とする必要もない。日中は軍の雑務に追われている事情にこそ変化はなかったが、ふとした折に故郷の暮らしを思い出すことが増えた。
故郷に居た頃から、書物を捲るのは大抵夜も更けてからだった。私塾に通っていた一時期を除けば、昼間は体を動かすのが専らであり、読書は空いた時間を使っての余暇に過ぎない。所詮は武張ったことにしか使い道のない自分よりも余程勉学に精励していた曹操からして、少なくともに居る時は昼間ふらふらと出歩いていた気がする。
それでは文字と睨み合うのを専らとする人種の場合、常は如何なる生活を送っているのだろうか。日のある内を勉学に充て、夜は他の好きなことをしているのだろうか。或いは夏侯惇と同じで書物を手にするのは夜間に限り、日中は様々な雑務に追われているのかもしれない。荀に尋ねようかとも思ったが、下らない疑問と未だ口に出すには至っていない。
よく考えれば現在の荀が昼間何をしているのかすら、夏侯惇はあまり知らなかった。曹操は司馬に任じたというが、馬にも碌に乗れないような人である。軍務に就かせるというよりも、実質は曹操の近従のようなことをさせているのだろう。自分の前で見せているように日がなべたべた付き纏われていれば、荀もさぞかし迷惑しているに違いない。
ちらと、室の片隅で衾を被っている従弟を窺った。偶然目が合い、文句あるかとでも言いた気に夏侯惇を睨んだ曹操は不貞腐れたように持参した竹簡へと視線を戻す。
「………主公」
「儂はたまたま此処に居るだけだもーん、邪魔する気は毛頭ないぞーぅ」
荀は眉間の皺を指で伸ばす仕草をした。解る解る、長い付き合いの自分ですら、従弟の大人気なさには腸煮えくり返る時があるものだ。
一度深呼吸し、如何にして苛立ちを収めたものか、荀は平常の顔付きに戻ると講義を再開する。慌てて夏侯惇も集中に努めた。……最前まで明らかに失敗していたが。
主命とはいえ筆頭武将の手を煩わすことに恐縮する荀に向かい、代わりの条件を申し入れたのは夏侯惇の方であった。
教練が休みの日は、荀の側が学問を教える。ついでだから四書五経の初歩から復習をお願いしたいと毛詩を押し付けられた荀は、最初の内こそ自分は学者でも詩人でもないと難色を示したが、その場で言葉を重ねれば簡単な講義程度ならと受諾した。そもそも夏侯惇とて剣や馬術の達人という訳ではないのだし。
教本が詩経であるのは、単に曹操の蔵書の中に紛れていたのを発見したからである。
「潁川に戻った際にでも、他の書も見繕って参りましょう」
荀は近い内に妻子を東武陽に招く予定があるらしく、話のついでにそれを確約した。
「紙と違い巻子は持ち運びに不便ですから、本邸にも戦火を免れた物が相当数残っております。価値あるものだけは……今ならに運ばれているでしょうけれど」
事情があるのか口を濁す。言の断片からは参陣する以前の来歴が夏侯惇にも察せられたが、触れられたくないならと特に蒸し返したことはない。
「 子、惠して我を思わば、裳をげてを渉らん。
子、我を思わざれば、豈に他人無らんや?
狂童の狂なればなり。
――搴裳の歌は鄭の国人が国の乱れを憂いて作ったものです」
文字の向きを夏侯惇の側に合わせ、該当箇所を指し示した荀は空で一節を読み上げたようだった。
「春秋の桓公十一年、鄭荘公の死後に姫忽と姫突とが兄弟で後継を争い、内乱に国土が踏み荒らされました。
正しき世子の昭公忽に対して、詞突は宋・衛・陳・蔡の各国の援助を受けて国を簒奪しようとしておりました。自国のみで争いを収拾出来ない鄭の国人は、斉や晋といった当時の強国に出兵を請うて外側から国を正さんことを望み、自国の窮状を訴えんと衣を掲げて大国へ赴こうとしているのです」
「……はぁ…………」
なんでこれだけの記述でそこまで解るんだ。というか全部覚えているのか?
密かに夏侯惇が震撼していることには気付かない様子で、荀は淡々と解説を加えていたが。
「ややこしい解釈は不要だと思うが」
気のない素振りを装っていた筈の曹操が、絶妙の間合いで横槍を入れてきた。衾からごそごそと這い出し、俄に膝を詰めて近寄ってくる。
「単なる恋歌じゃないのか?素朴な」
「直訳すればそうですが、聖人の記した書物にはその奥に含意の隠されているものです」
「『あなたが私を愛してくださるなら、万難越えてあなたの旁へ参ります』
……何とも健気で情熱的な女じゃないか」
荀の反論を敢えて聞き流すかのように、曹操は意味深な流し目を新来の寵臣へと。
「水沙水どころか河水まで渉ってきた――文若、お前のようだと思わんか?」
「主公!!」
荀の狼狽えぶりに満足して、呵々と曹操は大笑した。
真っ赤になった荀は動揺冷めやらぬまま、タチの悪い主を睨もうとも迫力など醸し出せる道理もない。自分でも気付いたか、目を閉じ必死で平常心を取り戻そうと努力するのが何とも哀れに感じられる。
「孟徳……講義の邪魔がしたいんならそう言え……」
揶揄われる荀が気の毒で夏侯惇が口出しすれば、
「さて何のことやら」
……俄然機嫌良くなってるクセに何とぼけてやがるこの野郎。
「いやいや真面目な話だぞ」
「なら主公が教師役を代わって下さい……」
「それは勘弁して下さい!」
「だ、そうだぞ。そこで荀文若先生に熱心な生徒から質問だ」
夏侯惇の悲鳴をニヤニヤ楽しみつつ、ますます興が乗ってきたらしい曹操は片膝を立てて姿勢を崩した。講義に上の空だった夏侯惇への嫌味も織り交ぜつつ、鋭い視線の向かう先は一つ。
「そもそも儒を学ぶことに意味はあるのか?」
「孟徳!?」
喧嘩を売っているとしか思えない言い草に夏侯惇は仰天したが。
「お伺い致しましょう」
振り返れば荀が一片の動揺すらも仕舞い込み、夏侯惇の見たことがない程の冷然とした眼差しで主に向き直っていた。
元の容貌が整っている分、表情を取り澄ませば途端、背筋の凍るような酷薄さを身に纏う……何とも驚いた。思わず夏侯惇が気圧された冷気に挑みかかることが心底楽しいと、逆に身を乗り出した曹操は爛々と目を輝かせる。
「高祖は儒者の冠に放尿する程に儒を嫌ったが天下を制した。逆にその漢家は王莽の擁する儒によって滅ぼされたと言えなくはないか?」
「仰います通り……、高祖は大の儒者嫌いでございましたが、食其を敬い、また幕下に陸賈などを用いましたのは、己の感情を枉げてでも儒が有用であることを知っていたからです」
「では問う。儒の有用さとは何だ?」
「礼、――形骸の知識という風に言い換えても宜しゅうございますが」
「ふん?」
「思想としての儒の根幹は仁と義。なれどそれ自体に意味はございません」
自己否定にも近い台詞をさらりと吐いて、麗人は優雅に微笑する。或いは自身を儒の範疇に規定していないからこその思い切った言であるかもしれないが、浅い付き合いでしかない夏侯惇には判断など付けられない。
「法家や道家の徒とて、親子が憎しみ合い非道が行われれば憤る、その程度の常道にございます」
「面白いな、続けろ」
部下の言がすっかり気に入ったのか、だらしなく頬杖付いた曹操は、姿勢に反して今にも躍り上がらんばかりに興奮しているのが傍目からでも見て取れた。
「ただ儒は古礼を識り、従って過去の諸事に少々通じております」
対する荀も、今までとは全く印象が違っている。おっとりとした雰囲気など微塵もなく、主と交わす舌鋒の鋭さは剣技でも眺めているかの如く、いっそ猛々しい。
「古法を強いて今の世に敷延する行いは王莽の悪政を招きますが、多くの事例を識れば岐路に際しての指針、……少なくとも体裁の整え方くらいは判りましょう?」
「成程、流石は申韓の余毒だな。傾聴に値する不遜さだ」
「お褒めに与り光栄です」
……褒めているのか?しかし両者とも楽し気であるからして、そうではあるのだろう。
曹操は手を拍って喜び、荀は不意に表情を和らげると、そんな主に万感の籠もったが如き眼差しを注いだ。
「そうは言うが、知識を死蔵しているだけでは是非もないだろう。兵書読みの兵書識らずだ」
「まことに。優れた学者が優れた行政家とは限りませんから。
宣帝の述べたところによれば、漢家は王覇の二道を雑えるがそもそもの習いとか。
手持ちの材料を如何に引き出し運用出来るかによっては……或いは高祖の道へと至ることもありましょう」
元より寡黙な印象はなかったが、何時になく荀は饒舌だった。
すっかり蚊帳の外に置かれながら、夏侯惇は二人が生き生きと小難しい議論を交わすのを幸いだと見守った。餓えた人が必死で食物を貪るような必死さで、二人は互いの思いを交わしているように見える。普段から精力的な曹操もより一層の精彩に満ちていて、あれ程までに荀の仕官を手放しで喜んでいた理由が漸く得心いった。
自分達が東郡の確保に安堵する間にも、この策士は天下を尺度に曹操を捉えようとしている。
夏侯惇は初めて。
この“張子房”が曹操にとって必要な人材であると、心から確信した。
〈続〉
他の連載が全部未完なのに、……………。
自分でも如何かと思いますが、所詮あずさのすることなのでそーゆーものだと呑み込んで下さい(我儘)。
半分くらいに渡って意味不明の議論してる嫌な駄文と化していますが、最初は儒学論議だけの予定だったんですよね。
ただこのスペースでタイトルの説明するのが億劫だったので、本文の中で言っとこうと。
訳本によっては「私を好きなら会いに来て」になってますが、参考にした集英社版『詩経』とか鄭玄の箋とかを見ても自分から川越えてる風だったので、そっち採用。ていうか詩・書なんて易の次くらいには何言ってんだか読めたもんじゃないっス。
ホンマは本文にあるように寒の下が衣になってる「」ですが、同義の「搴」でタイトル代用。
そして個人的な意見では、荀さんは儒家の徒です(これでも)。ただし異端。
荀氏の家学は儒学と史学です。
とはいえ『漢書』地理志によれば、潁川の気風は「申子・韓非の酷害余毒が残っている」限りなく法家寄り。
荀悦も「およそ政の大経は法と教のみ」とか著作で言ってますし。
荀子の性悪説じゃないですけど、儒学的イデオロギーを最上に置きつつも、現実にそれを敷衍する為には法家的な手段を用いようとする。政治家としての荀さんの立場ってこれに尽きると思います。現実主義と経済感覚が基本者(by酒見)たる所以。