どぉぉ…ん。鼓膜を低く震わす爆発音が響いた瞬間、病院前の混乱はピークに達した。
悲鳴を上げて蹲る患者、破片の落下に備えて人々を誘導する医療関係者。
集まった野次馬は怒号とも歓声ともつかない叫びを発し、重症患者を近くの病院へ搬送する救急車はそれら全部を掻き消す勢いでサイレンを響かせている。
道路は逃げ出す自動車と集まる野次馬が入り乱れた渋滞状態で、出動を要請した機動隊は途中で行く手を塞がれているに違いない。
まさに混沌と言い表わすしかない地獄絵図の中で、患者達を避難させる誘導役として腕を振り回している小児科医のブロッシュ医師も、内心では混乱を極めている一人だった。
爆発予告が悪戯でないと判明した以上、一刻も早く避難が完了しなければ、最悪の場合患者達が崩落する建物の下敷きになる可能性もある。
「ご苦労だね」
激励するように大きな手で肩を叩かれ、
「それはいいですから貴方も早く避難を!」
完全に頭に血が昇っていたブロッシュは怒鳴り付けるように叫んだ。
「…困ったな。来たばかりなのにもう追い出されそうだ」
返答に違和感を感じて、ブロッシュは苦笑する男を見直した。そういえば何処かで見覚えが?
「……あ!ええー!?い、院長先生!!?」
新米医師とは二、三回しか言葉を交わしたことのない隻眼の男は、こんな時にも関わらず静かな自信に満ちた、穏やかな笑みを浮かべている。
その爆発音は、理事長室に向けて疾走中のキンブリーの耳にも届いていた。
「何だと!?」
顔を強ばらせたまま、驚愕に思わず足を止める。
間違いなく、今の音は階下から聞こえた。……キンブリーの覚えのない場所で。
「一体どうなってる!!」
こんな話は聞いていない。予想の付かない事態が次々と起こる焦燥と混乱に、キンブリーは長い髪を掻き毟りながら誰もいない廊下に絶叫した。
「こちらとしても、結構予定外なんですけどね?」
誰もいない、筈の廊下。
僅かな気配もさせず、その声は背後から聞こえた。
ぎょっとしたキンブリーが上着のポケットからナイフを取り出しながら振り向けば、そう離れてもいない場所、緊張の欠片もなくソレは佇んでいる。
「ここまで役に立たないとは思わなかった」
金の髪の少年は、にっこりと柔らかく微笑んだ。
「あ、アーチャー…」
何処かで爆発音がしていた。
一刻も早く逃げ出さないといけないと承知していながらも、狂気にぎらぎらと輝くアーチャーの視線に射竦められたロイは掴まれた腕も振り解けず立ち尽くしていた。
背中にドアの冷たい感触が当たるのを、どこか他人事のように感じる。
ごくりと息を呑んだ喉仏が上下し、そんなロイをアーチャーは目を細め眺めている。
堪え難い沈黙が部屋を覆い。
ゴン、何かがドアにぶつかる音と
「……ぷっ」
「私の苦しみを嗤うのか、マ」
「私じゃない」
「っく、ひひひひひ、っっ」
眉を顰めたアーチャーに憮然と返す間にも、第三者の笑い声は止まらない。
なんとなく判ってしまったロイが肩を落としてドアを開けるのを、今度はアーチャーも止めなかった。
「っは、あーーはははははははは!!!」
ドアの向こう、車椅子にちょこんと座った少年は、見付かったことでいよいよ遠慮をなくし、ガラスのコップを片手に抱えたまま大爆笑した。
「わりっ…二人の世界を壊す気は……だめだ、想像以上に面白すぎるっ……!!痴情の縺れーー!!」
横隔膜の痙攣のしすぎで、少年は今にも死にそうになっている。
身悶えしながら大笑いを続けるエドワードを見下ろし、毒気を抜かれた表情でアーチャーは呟いた。
「……この少年は?」
「さぁ……」
赤面が必要以上に目立つ色白のアーチャーを痛ましそうに見遣り、自分も僅かに頬を赤くしてロイは首を傾げた。
明らかに只者でない少年と対峙しながら、キンブリーは背中に冷や汗が流れるのを感じていた。
アーチャーの元に駆け付けたい、気ばかりは焦りながらもタイミングが見付からない。
手強かったヒューズにすらあった、隙というものがこの少年からは全く見付けられない。
「本当なら、全ての爆弾が一斉に作動する筈だったんですけど。指定されたタイミングでタイマー入れなかったでしょう、キンブリーさん。グランは一体どういう教育をしたんだか」
おまけに名前すら知られている、舌打ちしながらキンブリーは眉を吊り上げた。
「今の爆弾はアンタが仕掛けたんですか?」
「この場合実行者の特定に意味はない」
ゆるりと少年、アルフォンスは首を振った。
「大半の駒は使い捨てですよ、貴方やアーチャーと同じで」
「あ……あの人は違う!特別な、選ばれた人の筈だ……!!」
年端もいかない少年に気圧されている自分を自覚し、キンブリーはがくがくと足が震えていた。
理性では少年の言葉を否定しながら、本能に近い部分で真実を悟ってしまった。
完全に役者が違う。アーチャーと較べて、すら。
「世界は貴方の価値観に従って動いていないんですよ?」
慈悲に満ちた嘲笑というものが存在するなら、今まさにアルフォンスが浮かべているのがそれであったろう。キンブリーは、初めて、アーチャーの駒に撤し詳しい事情を聞き出そうとしなかったことを後悔した。
雇い主とて、どこまで真実の深部に足を踏み入れていたか、定かではないが。
「……あの人は死ぬんですか?」
項垂れたキンブリーを、侮蔑を込めた少年の声が包んだ。
「ええ、貴方も」
今度こそ理事長室の方から爆音が響いたのを、キンブリーは絶望的に聞く。
全ては手遅れ過ぎた。
何時の間にアルフォンスが、更に背後に移動したのか、キンブリーには察知出来なかった。
目の前の姿が掻き消えたと錯覚した刹那、腹部に衝撃と激痛。
背中から何かに貫かれたと理解したところで意味はない。
手を腹部に当てたところで、溢れる血は止まらない。
「全く、余計な数分……兄さんなら何とかしてしまうんじゃないの?」
既にキンブリーから興味をなくしたアルフォンスが独白するのをぼんやりと聴きながら、床に倒れ伏したキンブリーは強く世界を呪いながら意識を手放した。
※梓コメント
アチャロイvsロイアチャ対決だった筈が、何時の間にか「カプ捏造班・矢篠vsカプ破壊工作班・梧桐」(馨兄さん談)の攻防に…。