正午近くには現地入り出来たが、学会自体は午後から開会する。
新幹線の駅で古い友人と落ち合ったヒューズは、その時駅前近くの食堂で少々早めの昼食を摂っている最中だった。
「ブフーーー!!」
やる気ないかんじに店内に鎮座していた旧型テレビが、唐突に健康番組を打ち切って緊急ニュースを報じる。キャスターの緊迫した声に惰性で顔を上げれば、ブラウン管の向こうに映し出されたのは常の職場。
そんな心構えの一切なかったヒューズは、思わずミンチカツ定食を口から吹いた。
「むぅ…これは……」
レースに縁取られた優雅なハンカチをスーツのポケットから取り出して、アームストロングは顔を拭った。
屈強な体躯に似合わぬ温和な人情家とはいえ、微妙に溶解した米粒を吹き付けられて文句の一つも言わないのは、彼もまた事態の重大さを飲み込んでいるからである。
「おいおいおい、俺が目ェ離した途端に爆破事件って、このご時世にマジかよ?」
店のおばちゃんが持ってきた水を一息に飲み干して、ヒューズがエマージェンシー第一声を発した。敢えて軽い口調を装っているが、口の端が不自然に引きつっている。
「マスタングどのは無事でしょうかな」
「はは、ホークアイ君もいるし大丈夫だろ、あの悪運大王に限っ……て」
共通の友人の安否を心配するアームストロングを笑い飛ばした瞬間。
意外に少人数な行方不明者のリストがテレビに表示され。
笑顔は中途半端に凍り付いた。
頼もしいエドワードの宣言に見上げる目線も重なって、ロイは尊敬に近い眼差しを少年に注いだ。髪はほつれパジャマは煤けて汚れていたが、少年の姿はやけに輝いて見える。
「貸しなさい、私が投げよう」
ニトロの詰まったコップを今しも壁に投げ付けようとしていたエドワードは
「ああん?」
邪魔をするなとばかりに険しい目を向けてきた。
「誰がやろうが一緒だろ?早くしないと天井が崩れるぜ」
「危険な作業は頼りになる大人に任せるべきだよ」
「……頼りになる?アンタが?」
再度立ち上がり手を差し出すロイの説得に、納得がいかないようにエドワードはぶつぶつ口中で悪口らしき何事かを呟いていたが。
「じゃ、アンタに頼むよ」
妥協するように一つ頷いて、少年は向き直った。
アーチャーに。
「は……」
ロイも瞠目したがアーチャーとて予想外だったらしく、笑うような憮然とするような、何とも言えない表情でエドワードを注視した。
「君は状況と私の立場を、正確に理解していますか?」
「心中希望だろうが何だろうが、オレの知ったことじゃねえよ」
車椅子は先程の爆風で吹き飛ばされ、瓦礫の下敷きだった。義足を付けた不安定な足取りで、瓦礫の破片を避けてゆっくりとエドワードはアーチャーへと歩み寄った。
少年に危害を加えそうな素振りがあれば即割って入ろうと緊張するロイは、ミシ…天井が不吉な音を立てるのを聞く。
本当に逡巡する時間は余り残されていない。
「単に、オレは、目の前で人が死ぬのを見たくないだけだ。死ぬと判ってて置いてくのもな」
「敵に対して、甘いことだ……」
「アイツの敵だからってオレの敵とは限らねえじゃん。甘い考えは子供の特権だし、それに」
アーチャーの前に辿り着き、少年はコップを差し出した。途方に暮れた顔をして、ついといった風に白皙の男はそれを受け取る。
愛想笑いの一つもしない少年は教師のように気難しい表情のままで、空いた腕を伸ばして額に流れる血をパジャマの袖口で拭ってやる。
「あの軟派男以外にも一人くらいはいるんだろ?アンタの帰りを待ってる奴」
自分の帰りを待っている相手―。
果たして自分にそんな相手がいただろうか。
女性とはそれなりに付き合いも有ったが、自分の帰りを待ってくれているかと言われれば、我ながらそれは無いと断言できた。
自身の目的の前に人間関係は邪魔なものでしかない。それが女性関係であれば尚更だった。いつ足元を掬われる要因になるかわからない。
アーチャーにとってはその程度の認識で。
やはり自分には誰もいない…。
そう答えを出しかけた瞬間、脳裏に蘇ったのは彼の声。
『約束して下さい…絶対、帰って来るって』
あれは確か爆弾の設置場所を算段していた時だったか。
敢えて理事長室の前を指定したアーチャーに彼―キンブリーはそう言ったのだ。帰って来いと。
彼は理事長室前に設置することを最後まで反対し続けていた。
それをあの手この手で封じ込め、やっと頷かせた。その代わりとでもいうように、此方の眼を見据えて、否定は許さないと言うように。
帰らなければ。彼の元に。
彼との約束を果たすために。
アーチャーの心は決まった。
ニトロを掴む手に力が入る。チャンスは一度、失敗は許されない。
だが、失敗はしない。自分に目的がある限り―。
アーチャーの表情がガラリと変わった事にロイは気づいた。
これまでの何かに取り憑かれた様な表情ではない、彼本来の自信に満ちた生気溢れる表情に。
ふと研究所時代をロイは思い出す。決別してしまうずっと前、入所したばかりの頃を。
あの頃、アーチャーはまだ所長ではなく、研究に没頭するロイと同じ新米研究員だった。
当時の所長は確か…。
「チャンスは一度です。逃げ遅れないで下さいね」
アーチャーの台詞でロイは現実に引き戻された。
天井からの破片の落下は段々と間隔が短くなっていて予断を許さない。
車椅子のないエドワードを有無を言わさず背負うと、ロイはアーチャーに向かって頷いた。
「任せたぞ、アーチャー」
ロイの応えを受け、アーチャーは勢いよく振りかぶる。そして―
バァァァンンン…
破裂音と共に脱出路が拓けた。追いかけてくる天井の崩壊から逃れるため、ロイとアーチャーは足場の悪い路を必死に駆け抜ける。
ただひたすらに前だけを見据えて。彼らは走った―。