看護師から連絡を受けて飛んできた医者は年若い青年で、子供を見ると呆れた表情で口を開いた。
「また無茶して。片手で車椅子を上手く操作出来るわけないだろ?」
またということは前科があるのだろう。子供もバツの悪そうな顔をする。医者もそれ以上追求はせずに左足の処置を始めた。
よく陽に当たっている証拠である血色の良い肌、それ故に膝から下の欠落が痛々しい。
手際よく処置が施されていく様を見ながらそんなことをボンヤリ考えていると、何かで頭を叩かれる。それと共に怒りを抑えた低い声が耳に吹き込まれた。
「仏の顔も三度まで…って知ってるか?ロイ…」
慌てていたので気付かなかったが、先刻呼び止めた看護師は不味かったようだ。子供の主治医だけでなく自分の主治医までも呼んで来るとは。
振り向けばそこにはヒューズと…冷静沈着さは医者以上と噂の看護師、リザ・ホークアイの姿があった。
 
 
 
ロイの脇を抜け、ヒューズは子供の方へと近付く。
「よぅエド!また無茶したんだってなぁ。」
既知の間柄なのか、ヒューズの口調はくだけたものになる。
「ヒューズ先生からも言ってやって下さいよ」
子供の処置を終えた医師の愚痴に、彼は子供の頭をくしゃくしゃにしながら言った。
「焦る気持ちは解るがな、たまには一休みも必要だぞ。な?」
エドと呼ばれたその子供は「分かってるよ」などと小さく呟く。
「解ればよろしい。じゃまたな」
ヒューズはその姿に満足したのか、軽く手を挙げるとこちらに戻ってきた。
「こっちの問題児は解ってないみたいだな」
そう言うとロイの腕を掴み、足早に廊下を突っ切る。

痛みのぶり返した傷口は痛みを通り越して熱くなりはじめた。掴まれた腕も痛いほどに握り締められ、逃げることも適わない。
そのまま無人のエレベーターに乗せられ自分の病室へ。
乱暴にドアを開けると、勢いをそのままにヒューズはロイをベッドへと押し倒した。
正面から睨みつけてくるヒューズに、ロイも負けじと睨みかえす。
「私の脱走は三度以上だ。仏以上の心の広さだなヒューズ」
先程の彼の言葉を借りて、ワザと茶化して言いかえすと平手が飛んできた。
「言ったよな?今度やったら縛りつけるって…本気でやらないと解らないらしいなお前は」
ロイの両手をひとまとめにすると、襟から引き抜いたネクタイで戒める。
ヒューズの瞳に笑みはなく、その本気の怒りにロイは背筋が凍りついた。
「ま…待て、話せば分かる!」
「問答無用!!」
ひょっとして、これは本気で貞操の危機か!?
のしかかってくる重みを全身で感じ、ロイは完全にパニック状態となった。じたばたと四肢を動かして抵抗するが、手は戒められ脚はベッドに乗り上げたヒューズの下敷きで、いくら藻掻こうと狼藉者を振り落とすに至らない。
「ロイ……」
生温い息がかかる。悪寒と正体不明の何かにロイの首筋は総毛立った。
「ま、待て、その、心の準備が……」
「そんなのは後からいくらでもしとけ」
右腕をきつい程に掴まれる。ヒューズの顔が触れ合いそうなまでに近付き、ロイは思わず目をぎゅっと瞑った。
…………ちくっ。
「ぅあ痛!」
予想外の場所に走った痛みに、ロイは再び目を見開いた。
「やれやれ、ここまでさせるお前が悪いんだぜ?」
台詞だけは胡散臭いが、ベッドの上から退いたヒューズは眉を寄せて苦笑いしている。その手に光っているものは。
「……注射?」
「アフリカ象もイチコロの睡眠薬だ、軽く十時間は寝とけ」
「おま、私を何だと……」
ロイが安堵と妙な落胆に力を抜く間にも、話が嘘でない証拠を示すように睡魔が津波の強さで押し寄せてくる。
「ロープ」
「はい」
何時の間にか待機していたホークアイが、無表情のままに荒縄を手渡した。
ヒューズはそれを使ってベッドごとロイをぐるぐる巻きにしていく。
「念には念を入れんとなー」
「だから私を何だと」
朦朧とする意識を必死で手繰り寄せ、視線だけで第三者に助けを求める。縋るようにホークアイを見つめれば、
「残念でしたね」
「!!」
冷たい瞳で淡々と紡がれた言葉にロイはショックを受けた。邪念を見透かされたが如き心境に頬が火照るのを感じる。
いや、断じて期待していた訳では!
口にするのも憚られるロイが泣きそうになっているのを余所に、ベッドとロイを縛り終えたヒューズは「いい汗かいたー!」などと無駄に機嫌が良い。
それだけヒューズのストレスを蓄めていた自分を棚に上げて、ロイは親友に軽く殺意を抱いた。
「そういえば」
そんな大人気ない二人を呆れた眼差しで眺めていたホークアイが、ふと数度瞬きした。
無駄口を叩かないホークアイが珍しく自分から口を開いたことにロイが驚けば、どことなく表情も柔らかになっている様子。
「エドワード君……あなたが助けた少年から礼を伝えるよう、言伝を頼まれていました。主治医のブロッシュ先生も感謝を」
「ああ……」
随分薬が効いてきたのか、返事をしようとしても上手く口が回らない。
「名前……」
やっとの思いでそれだけ口にすれば、意味は通じたようでホークアイは小さく頷いた。
「エドワード・エルリック。九階の長期入院患者です」
そうか、と言いたかったが今度は言葉にならなかった。
「ったく、人騒がせな野郎だよ」
ヒューズの声が遠くから聞こえたのが最後で、ロイは完全に眠りに落ちた。
意識を失う寸前脳裏を過ったのは、記憶の引っ掛かり……言語以前の漠然としたイメージ。
 
 
 
 
 
〈続〉
 
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※梓コメント
現時点での見分け方。

無駄にラブいのが馨。
無駄に説明調なのが梓。