その夜、不意の足音にロイは目を醒ました。
時刻は既に深夜。
巡回の看護師にしては気配に違和感を感じる。
夜の闇に溶けこむほどに微かな足音。
多分自分でなければ気付かなかっただろう程に。
だが足音は確実にこの病室に向かってくる。
足音の主は音も立てずにドアを開けるとベッドへと近寄り…
腕をふりかざした。
カーテンの隙間から溢れる月明かりに相手の手に握られた凶器が冷たく光る。
ロイは被っていた毛布を相手に投げつけると、それで視界を遮られもたつく相手の脇を走り抜けた。
そのまま廊下を走り非常用階段へと続く扉を開けようとして、脇の病室に引きずり込まれる。
抵抗しようとした腕を押さえる手はまだ幼くて…。
その事実にロイが呆気にとられた機を逃さず、鳩尾に鋭い拳の一撃が叩き込まれた。
「かはッ…」
文字通り不意を突かれたロイは、堪らず腹を押さえて蹲る。抵抗する力を失いぐったりとするロイを、真っ暗な病室の奥へと先導――乱暴に引きずり込むのはやはり柔らかに感じられる手だった。
「き、みは……」
「しっ、イイコだから黙ってろよ?」
暗闇の中、ぎらりと光る獣の瞳を見た気がした。
ぶらぶらとその男が歩いていたとしても、何の変哲もない光景なのだった。
消灯時間が早い病院内で深夜も目を見開いているのは、晧々と蛍光灯に浮かび上がるナースステーションだけではない。
極限まで明度を落とされた廊下を徘徊するパジャマ姿は、男子便所を目指しているか、睡魔を待って意味なく徘徊しているか、そのどちらかに見える。違和感を感じるとすれば顔を隠すようなマスクだが、病院に生息している大半が病人なのだからそれとて不思議ではなく。
そうして誰にも見咎められなかった筈の、両手をパジャマのポケットに突っ込み、緩慢というより怠惰な動作で足を進める男は。
廊下の暗がりから靄のように現われた人影にまず安堵し、次いで軽い緊張を覚えた。
「…よぅ、良い子はねんねの時間だぜぇ?」
表面上ばかりは気さくに、ヒューズは片手を上げた。
「………」
ほの明るい非常灯が眼鏡に反射し、ヒューズの表情を窺えなくしている。
対する男の黄金色の瞳は、期待と好奇心で酷薄に輝いている。
「眠れないなら俺が子守歌を歌ってやるから……とっとと出直すんだな!」
じりじりと互いの間合いを計っていた拮抗状態は、男が一気に距離を詰めてきたことで簡単に崩れ去る。
リノリウムの床を蹴ってヒューズが後ろに飛び退いたのに僅か遅れ、残像に斬り付けるように飛び出しナイフが一尖した。更に間合いを詰めようとするのはポケットから出した両手各々にナイフを握った男。
牽制するようにヒューズは後ろ手に隠し持っていたメスを立て続けに二本、男の眉間を狙って投擲した。
攻撃体勢からそのまま前方に右足を振り出し、床すれすれに腰を落とした男の頭上を銀色の光が往き過ぎる。と、三本目が男の頬を浅く擦って至近を過ぎた。後ろで一つに束ねた長い髪が、ぷつりと数本宙を舞う。
投げ出した脚で回し蹴りを試みるも、既にヒューズは再び充分な間合いを確保していた。
空振りの一薙ぎ。それでバランスを崩すような隙も見せず、回転の力を利用して立ち上がる。
切断された髪が床に落ちた時点で、ヒューズの指の間には新しいメスの柄が挟まれていて、男は上体を低く構えてナイフを揺らめかせている。
一旦はふりだしだが、男の頬には赤い一筋。
「ったくよぉ、人が旅支度する間も惜しいってか?こちとら事情も知らないまま毎晩お遊びに付き合ってるんだ、ちょっとくらい労れや」
全身から鋭利な殺気を振り撒きながら、相変わらずヒューズの口調だけは飄々としている。
今夜の暗殺者は内心舌を巻きながら、数々の手練れを返り討ちにしていたのが重傷のロイ・マスタングではなく目の前のこの男だと、謂われるまでもなく確信していた。何故正確な情報が伝達されていないのかは疑問だが、そうと判れば出方もある。
「アイツは馬鹿みたいに何も言わねえし。俺と遊ぶ気があるんなら、ちょっと茶飲み話でもしてかないか?」
マスクの影で、口説かれた男はうっすら嗤った。
このまま白衣の男と斬り合うのは非常に魅力的だが、これは自分の標的ではない。仕留め損ねたロイ・マスタングは既にどこかへ身を隠した後だろうし、時間をかけるのは今の場合得策ではなかった。
判断するやいなや右のナイフを仕舞い、左を顔の前で逆手に持ち替える。意図を測りかね、ヒューズは口を閉じると僅かに眉を顰めた。
「……簡単に俺の懐に飛び込めると思ってんのか?別に遠距離専門じゃないぜ」
すうと、ヒューズも顔の高さにまで手を掲げ。
手首が翻る前、ナイフを仕舞った方のポケットから男が何か――弾き出した。
何の変哲もない写真のフィルムケース。
小さなそれはヒューズの足元近くで、
ゴゥン!
考えられない轟音を伴って炸裂した。
「ぉわっ!…」
ヒューズが怯んだ隙を逃さず、襲撃者はその場で踵を返した。
予想通りヒューズは追って来ない。あの程度で負傷しているかは心許ないが、折角追い返した敵に危ない橋を渡ってまで近寄るような男にも見えなかった。
マスタングと違って。
近くの非常口から一旦外階段に出、上階から予定の脱出ルートを辿る。
「だぁれも接近戦専門とは言ってませんよ、爆弾狂を舐めて貰っちゃ困りますねぇ――」
堂々と嘯いて、金瞳黒髪の男――キンブリーは欝陶しいマスクを毟り取る。
頬の傷を一撫でし、指先に付着した血を舐め取った。
※梓コメント
互いの書く量がどんどん長大化している罠。でも一応このページは二人分合作(笑)。
軽くミスリードしてたつもりなのですが、…どうなんだろう(笑)。てゆーか金鰤かYO!!Σ(゚д゚lll)