「ぅ、ん…?」
久方ぶりの心地好い眠りの時間が、何らかの要因で妨げられようとしている。
傍らの温もりをより引き寄せようとし、ぐずるような軽い身じろぎで抵抗されたロイは、仕方なく惰眠にしがみ付くのを放棄して眼を開く努力を始めた。
「…さん、マスタングさん。起きて下さい、検温の時間です」
徐々に意識が輪郭を築いていくことで、朦朧としていた中では安眠妨害の不快な音の羅列でしかなかったものが、意味を持った言語として認識出来るようになる。
そういえばそんなのもあったな、とぼんやり考えて、聞き覚えのある声に怒気が混じらぬうちに、それなり必死で上体を起こした。
「……お早よう、ホークアイ君」
「お早うございます」
溺れる者の無様さで空気を掻いて起き上がった目の前の患者に、ホークアイは律儀に何度目かの挨拶を返した。
寝起きの患者の目が死んだ魚のように濁っていようが、艶のある黒髪が方々に癖を作って跳ねていようが、彼女は全く動じない。
ロイの方でもこの凛々しい女性が自分の手管に靡かないと認識して以来、他の女性に対するような気取りを殆ど捨て去ってはいる。
今にも銃口を突き付けてきそうな緊張感を覚えつつも、気持ちとしては短期間に馴れきっている部分もあった。
最終手段と振りかぶられていたカルテがゆっくり下ろされる様を恐々注視しつつも、ホークアイの鉄面皮には殆ど注意を払っていない。が。
「……?」
なんとはなしの違和感を感じたロイがホークアイに問い質そうとしたのを、まさに邪魔するようなタイミングで。
「んっ、ぅん……」
突如聞こえた第三者の鼻にかかった呟きに、ロイは血の気が一気に引くのを感じた。今体温を測れば30℃を下回りかねない。
……そういえば目が覚める以前から肌に密着して感じていた温もりとは……一体?
ちらりと傍らを見て、すぐさまロイは後悔した。布団からはみ出しシーツをうねる長い金髪。間違いない。
入院して以来、流石に女性をベッドに引っ張り上げることはしなかったのに……何故昨夜に限って!?
「こ、これは何かの間違いで……」
ひとまずホークアイに弁明しなければならない。聞いて貰えるかは別として。
担当看護師の彼女に素を見せていようとも、まさか女性関係についてまで曝け出したくはない。
「んう〜〜?」
そんな必死の努力を無にし、シーツと毛布で出来た白い塊が、もぞもぞと伸びをした。
ああもう駄目だ。
ロイは思わず手で顔を覆った。
「リザさん?おはやょう…」
「エドワード君もお早よう」
……は?
予想外の会話が交わされている。ロイが己が手を退ければ、顔見知りらしい二人がにこやかに挨拶を交わしているところだった。
というか一方は女性ではなく、ここ数日で見知った顔の少年であり、……。
「何故君がここに居るんだ!?」
混乱したロイの叫びは、
「は?アンタ寝呆けてる?」
「ここはエドワード君の病室ですが」
一転して冷たい表情になった二人に一刀両断された。
ええと、そういえば確か昨夜は……。ロイが先程からの違和感の正体、山を成して積み上げられている本に目を留めている間にも、
「ごめんなさいね、匿って貰っちゃって」
「それはいいけど簡易ベッドが嫌とか何様のつもり?コレ。リザさんの頼みじゃなかったら叩き出してるよ」
「今日中には空き病室からちゃんとしたベッドを運ばせるわ」
「でも目立たない?いっそオレが引っ越そうか?」
寝起きのロイを完璧置き去りに会話は続いている。
昨夜は何者かに襲撃されてこの少年に殴られて、運ばれて匿われて……そんな我儘も言ったろうか。
「マスタングさん、エドワード君が体を起こすのを手伝ってあげてください」
ぼんやりと記憶を反芻していたら、ホークアイに咎められるような視線を向けられた。
「ああ、大丈夫かい?」
「どうも」
慌てて少年の脇の下を両手で抱えるようにして持ち上げれば、エドワードはむすっとした表情ながら、なされるがままに上体を起こした。
片手では難しいのだろう、日頃から介護の手を借りることが多いのだろうか。
「ところでアルフォンス君はあれから?」
「!!」
介護からの連想で問いかければ、途端にエドワードの顔面は蒼白になった。
「昨夜……がっっ」
最後まで言わせず、エドワードの頭突きがロイの顎を直撃する。
「……アルフォンス君?」
「あ、あいつは昨日の面会時間が終わった時に帰りましたよ!?あれでも見舞い客ですから、あはは……」
訝しがるホークアイに笑顔で弁明しながら、ちらりとマスタングの方へ殺意漲る視線を寄越してくる。
さては例の弟、無断で入り込んでいたものか。
襲撃犯といい病院の警備状態に不安を感じつつも、痛む顎を擦りながらロイは思わぬ弱味を握った事実に、密かににんまりとほくそ笑んだ。