入院患者の一日は重病でない限り落ち着いたものだ。殆どの場合午前中に担当医の診察が終わり、後はリハビリやら何やら各々症状に合わせて予定が組まれる。エドワードも週に2回歩行訓練がある以外は特にこれといった用事はない。リハビリがてら休憩室まで歩いてみたり読書をしたりと色々だ。
この日も午後からの面会時間に合わせてアルフォンスが来た時には研究書に没頭していた。
「兄さーん。ねぇ兄さんってば」
アルフォンスが声をかけても返事がない。
「君の兄さんの集中力は凄いな」
「悪い癖なんです。一旦本に集中すると寝食を忘れるっていうか…時間の感覚がなくなるみたいで」
その様子に驚いたロイが呟くと、困った様にアルフォンスが返す。
「流石あの論文の作者ってとこかな…ん?」
開け放した窓の外が急に騒がしくなる。何事かと階下を見下ろすと、一台のロールスロイスが病院玄関前に停車していた。
「あぁ、理事長の視察ですよ」
ロイの隣に顔を出したアルフォンスが教える。
「月に一度来るらしいんです。でもおかしいな…今月はもう済んでる筈なのに」
彼は不思議そうに首を傾げた。
二人が眺めていると後部座席のドアが開けられ、中から仕立ての良いスーツをカチリと着こなした男が姿を現す。
こちらの視線に気付いたのか男が顔を上げ、ロイと目が合った。
衝撃に思わず息を呑む。
「…っ!!…フランク・アーチャー…」
こちらの呟きが聞こえたわけでもあるまいに、その男の目は獲物を捕えた豹のようにニヤリと笑んだ。
思わず顔を歪めたロイは、窓から目を背けた。まさか、アーチャーがこの病院と繋がっていたとは……。
エドワードが逃げる必要がないと示唆していたのは、この事実を知っていたからだろうか。
真実をはぐらかし、ロイの狼狽を楽しんでいるに違いない性悪に、咎める眼差しを送った。
「何故…」
「へえ、アンタ理事長と顔見知り?」
何故言わなかった。詰問を発する前に先んじて疑問をぶつけられ、ロイは口籠もった。
しらばっくれているのかと思いきや、ようやっと数時間ぶりに書物から顔を上げたエドワードは、他意のない好奇心を見せて首を傾げている。
「いや……親しくもない、つまらない知り合いだよ」
「ふーん」
ロイが適当に無難な解答を示すと、それで興味を失ったか顔を逸らし、エドワードは怪訝そうな表情で今の一幕を見守っていた弟に声をかける。
「アル、トイレ行きたい。連れてって」
驚異の集中力が途切れたのはこの為だったのか、アルフォンスは戸惑いながらも頷いた。
「う…うん、今支度するから」
兄の世話をし慣れているのだろう。アルフォンスは階下を見下ろしていた窓辺から離れ、看護師並みの手際の良さで車椅子をベッドに寄せた。
「ほら」
「うん」
万歳のポーズに両手を広げて待つ兄を、幼児を抱えるように腕を回して抱きかかえて、車椅子にまで座らせる。
「あ…、手伝わなくて済まない」
ぽかんと眺めていたロイが我に返って謝罪すれば、
「いいえ……慣れてますから」
アルフォンスは微笑み、
「……なんかアンタに触られたくない」
何故か胡乱な目を向けてくるエドワード。
弟が後ろから車椅子を押して二人病室を出ていくと、途端ロイは切れ長の目を鋭く細めた。
「済まないが……」
兄弟が共に目を離した今がチャンスだった。
充分な間を置いて鉢合わせの危険を避けると、ロイもまた病室を後にした。
「……ねえ、いいの?目を離して」
所変わって9階廊下。アルフォンスは命じられるままに兄の車椅子を押しながら、疑念を滲ませそれを問うた。
「絶対理事長のトコに乗り込んで行くよ、教授。不味いんじゃないの?」
「ヒューズ先生やホークアイさんにとってはそうだろうな」
エドワードは弾む声でそれに応える。
「でもオレ達にとっては?そこまで便宜を図ってやる義理はないだろ」
今にも鼻歌を歌い出しそうな兄を、アルフォンスは肩を竦めて見下ろした。
「この悪党。下手な芝居まで打って」
「だってその方が面白くならねえ?」
罪悪感の欠片もなく、エドワードは満面の――人の悪そうな笑顔を弟に向ける。
「――教授と何があったのか、後でしっかり話して貰うからね?」
「うっ」
※梓コメント
普段は名前で呼んでるリザさんを、弟の悋気が怖くてアルの前では名字で言う兄貴、とか(捏造)。リザエドお花畑、結構好きです。