意外な展開に俺が呆けている間に、獄寺君はさっさとガラス扉を押し開け、入ってすぐ横のチケット売場で二枚分の券を買ってしまった。
「十代目?」
「え、えええええ!?」
その段になって、ようやく俺は建物内に足を踏み入れてる、という。プレゼント代わりにチケット代を奢ろうと思ってたのに、鈍臭いにも程がある。
不思議そうに顧みられ、獄寺君の手からチケットを受け取った俺は慌てて後に続いた。
映画館?は、何かもう明らかに古びてて、言っちゃ悪いけど寂れた感が漂っている。俺の生まれる前から改装とかしてないんじゃないだろうか。
入ってすぐのエントランス部分は普通の小さいビルっぽい感じで、あんまり広くなく、しかも薄暗い。お洒落な間接照明とかの薄暗さじゃなく、蛍光灯が切れかけとかの方向性の。
日曜の昼間なのに他のお客さんの姿も全然見えなくて、だけど獄寺君はそんなの一向に気にせずエントランス脇の階段をずんずんと上っていく。勝手知ったる調子の(何時の間に!)足取りに迷いはない。
着いて行く俺は……段々不安になってきた。
だって、こういうトコ来たことないもん。本当にここ映画館?
もしかして本物さんばっかが観に来るようなヤクザ映画専門の所とか?ヒィ!それとも大人の男の人が観るえっちな映画だったり……ま、まさかねえ、そーゆーのなら中学生にはチケット売ってくれないだろうし、いやでも獄寺君だよ?大人っぽいから私服着てると充分高校生以上に見えるよね……。
悪い想像ばかりしてしまうのは、リボーンが出掛ける前に脅してきた所為でもある。獄寺君のことは信じてるけどさ、つい怖くなっちゃうじゃん。リボーンの奴め。
帰りたいなあ…と弱気になりつつ他に頼る人のいない俺は、階段を先に立つ獄寺君のシャツの裾をしっかと掴んだ。
「どどどどうしましたか十代目!?」
異常に動揺してるのは後ろ暗いところがあるからかも……いやいや考えすぎだよな。
「何でもない、ちょっと暗かったから」
「あ、足元に気を付けて下さいね!」
適当な言い訳を真に受けた獄寺君は、片足をわざわざ下の段に降ろして且つ上体を捻り(階段は狭くて横に並べないのだ)、振り向きざま俺に手を差し出してきた。……握れと?
同級生の、しかも男の手を握るのは抵抗もあったけど、獄寺君が親切でしてくれてることは解る。有り難くその手を取れば、ぐいと腕の力で引き上げられる。
人と手を繋ぐのはランボやイーピンで慣れてるけど、それとは違う自分より大きな手は、臆病な俺の不安感を薄れさせてくれる効果も持っている。
階段を上りきると、壁に古そうな日本映画のポスターがべたべた貼られていて、映画館に来たという実感が強まってきた。
外観からも予想は出来ていたけど、この館にスクリーンは一つだけのようだった。いつも行ってる町の映画館で言ったら、小シアターくらいの広さ。
分厚い扉を開けて入っていけば流石に他の客もちらほらいて、本当にイカガワシイ場所と思ってた訳じゃないけど、それでも無意識に入ってた肩の力が抜けた。
他の客といっても、年配のお婆さんが二人に、お爺さん一人だとか、その程度の数だ。大して多くない客席もがらがらで、俺達はやや後方の特等席を占めることが出来た。獄寺君によれば、座席指定みたいな決まりはないらしい。
並んで座った客席の椅子はスプリングが悪くなっていて、ぶっちゃけ座り心地は良くない。けど、この状況に慣れてきた俺は大して気にならなかった。そろそろ飲み込めてきたけど、ここってドラマに時々出てくる、いわゆる名画座ってやつなんじゃないかな。
密閉された空間特有の、ちょっと埃っぽくて黴臭いような空気。建物が古い割に、床とかは掃除が行き届いてて、意外と汚くない。
「なんか飲み物買ってきましょうか?廊下に自販ありましたよね」
「うーん、時間はどれくらい?」
「多分…一時間半くらいだと思います」
「じゃあ俺が買って来るよ」
「そんな!十代目のお手を煩わせる訳には!!」
恒例の押し問答の果てに、結局二人で飲み物を買いに行くことになった。この分だと、帰ってきたら席がなくなってる、なんてこともないだろうし。
そんなこんなで幕が開き、始まった映画はなんと白黒映像だった。
す、すげー……!
白黒映画なんて初めて観た。隣の獄寺君を振り仰げば別段驚いた風もなく、淡々とスクリーンを眺めている。そりゃそうだよね、知ってて俺を連れて来たんだから。
俺の視線に気付いた獄寺君が、日頃の彼からすればかなり控えめな微笑を向けてきた。闇の中でスクリーンの白々した光にほんのり照らされ、端整な顔が違う人のようにも見える。流石ハーフ、くっきりした白黒の陰影を見てると、獄寺君まで古い映画の登場人物みたいに思えてくる。
何とはなしに緊張して、俺も再びスクリーンへと視線を戻した。字幕は少々ぼやけていて、でも文字が判別出来ない程じゃない。
そもそも字幕を読まなくても、話の内容はすぐに解った。画面に映っているのは、ふさふさした毛並みが可愛い、とても有名な犬種だ。この犬自身の名前も知っている。
今まで物語を読んだこともなければ映画を観たこともない、けど筋書きだけは漠然と知っている……なんて、よく考えると妙な話だ。実際映画は、俺が何となーく知っている筋書きのままにストーリーが進行した。
大人の都合で引き離される少年と犬(スコットランドって何処?)。そして長い距離を旅する犬。
ここだけの話、俺は犬が大好きだ。あんなに可愛い生き物は他にない。人に話したらこの名前の所為で犬公方とか馬鹿殿とか絶対言われるから、あんまり大っぴらに吹聴したことはないけど。子供の頃、名前のことで沢山揶揄われたことがトラウマになっている。
犬は可愛い。賢いし、人懐っこくて敏捷で、頑張る姿がとても健気だ。
スクリーン上を走る例の犬に、すっかり俺はメロメロになってしまった。もしかして獄寺君、俺が犬好きって知ってて気に入りそうな映画にしたとか……?ふと芽生えた疑いは、だけど暫くすると霧散した。
「うっうっ……ずび」
隣の席から変な音が聞こえてくると思ったら、
「!?」
獄寺君が泣いている。
涙をだばだば流してしゃくり上げ、号泣一歩手前だ。
「獄寺君、大丈夫……?」
「ばび、ずびばぜん……」
他のお客さんの手前、声を潜めて問えば、すんごい鼻声で一応の返事が返ってくる。
俺だって話の内容には感動してたけど、獄寺君の激しすぎる反応に狼狽えるあまり自分の感情の方は吹っ飛んでしまった。
ハンカチ……は生憎持ってない。普段から持ち歩けとリボーンに説教されても改めなかった、自分の生活習慣を恨んだって今は意味がない。
放っておこうかとも思ったけど獄寺君全然泣き止まないし、仕方なく俺は手を伸ばして、涙を拭い取ろうとした。
「十代目ぇ……!」
頬から目尻の下に指先を滑らせたところで、俺の手は獄寺君の手にがっしりと掴まれた。
「うわっ」
階段を上った時の頼もしい手じゃなくて、痛いくらいに力は籠められているけど、小さな子供みたいな無力な手だった。何時の間にか両手を使って俺の手を包むように握り締め、獄寺君はますます激しく泣き出した。
近くの席のお婆さんが何事かと振り返って俺は恥ずかしく思ったけど、獄寺君に対しては全然嫌な気持ちにならなかった。
獄寺君は、握った俺の手を自分の額に押し当てて、祈りを捧げる人みたいな姿だった。その肩が激しく震えている。
動物映画に感動して泣いてる獄寺君は、マフィアのボスになった俺を妄想して目を潤ませてる彼より、ずっと好ましい。
こんなこと書いてるけど、名画座行ったこともなければラッ○ー観たことすらないんだぜ。酷い捏造だ。