常のように九代目と晩餐を共にしていたリボーンは、
「何か良いことでもあったのかね」
噎せそうになるのを堪えて無理矢理スープを嚥下した。手放したスプーンがガシャンと耳障りな音を奏でる。
「……別に」
良くない傾向だ。超直感を有する相手といえど、簡単に表情を読まれるようでは一流ヒットマンの名が廃る。
憮然とするリボーンは、眉を顰める露骨な仕草が既に気の緩みを表しているのだとは気付いていない。一流を気取っていても、まだ十代の若者に過ぎないと微笑ましがられていることも。
 
今日の午前、世界各国を巡りようやくイタリアへ寄港した豪華客船に乗り込んで、コロネロはマフィアランドへと帰っていった。長い待機中にも幾つか仕事をこなし、かなり懐は暖まったらしい。
見送りとお礼参りを兼ねて港に立ち寄ったリボーンは血の気の多い悪友と少々拳で語り合い、最後に握手をする……ふりをして繰り出した両者の拳は同じ動きで避けられた。
「この俺が引いてやったんだぜコラ、ツナを大切にしろよコラ!」
いつもよりコラ増量で凄まれ、リボーンはうっすら唇を歪めた。多少お節介だが、確かにアレはいい奴だ。
「解ってんのかコラ!」
嗤われた側は最後まで怒鳴り続けていたが。
 
「何でもねーよ」
「さて、そういうことにしておこうか」
子飼いの兇手の年相応さを面白がるように、黒社会の帝王は緩く微笑する。
その段になって、寧ろ機嫌良いのが九代目当人であることにリボーンは気付いた。観察眼が鈍っているのは、実際浮かれている部分があるからだろう。
「――オヤジこそ、何かあったのか」
「流石に慧眼だな」
悪い知らせではない証拠に、ますます老人は口元の笑い皺を増やした。
「息子にツナヨシを娶らせることに決めたよ」
 
――一瞬だけ、リボーンはナイフを操る手を止めた。
「そりゃまた、思い切ったな」
小さく息を吐いて、全く完璧な動きで食事を再開する。
「馬鹿息子がどう出るか解らなかったが、今日話をしたら存外あっさり了承しよった」
現在は独立暗殺部隊ヴァリアーを束ねる実子、ザンザスと九代目の不仲はかなり有名だった。普段は疎遠な息子を罵る老人の口振りには、しかし親の情が垣間見える。
組織の長としては中立を保っているが、当然本心では実子に跡を継がせたいのだ。リボーンはそれを知っている。
「悪くない案だと思うぞ」
「リボーンが言うなら安心出来るな」
表情も挙措も、完璧にコントロール出来ている自信がある。熱心さを出さずに賛同する、ツナに関することでは無関心さを装う必要がある。
実際誰にとっても一番悪くない案だ。ザンザスや、……ツナ当人にとっても。
「ツナヨシには今まで可哀想なことをしたが、これでファミリーも結束するだろう」
「そうだな」
綱吉本人が固く辞退していてすら、反ザンザス派を掲げる幹部の一部や同盟ファミリーの中で、綱吉擁立の動きは未だ根強く残っていた。ツナの存在はボンゴレにとって触れれば爆発する火薬庫に他ならず、先走ったザンザス派の刺客を容易く返り討ちにした守護者候補達の戦闘力すら、先方には脅威と映っていた。
「二人の子供が十一代を襲名するのなら、ツナヨシ派の面々も納得するだろう」
頷く老人の本心は別にあり、つまりツナを手の届かない場所、例えば以前から彼女に求婚していた跳ね馬の同盟ファミリーに渡した途端、有力な綱吉擁立派のディーノが一家を挙げてボンゴレの乗っ取りを開始する。内部抗争。世界規模の戦争。
 
イタリアに戻って以来九年。
リボーンは慎重に慎重を重ね、僅かな隙も見せずに渦中から距離を置き続けた。
黄色のアルコバレーノ、名実共にボンゴレの切り札である黒衣のヒットマンが大っぴらに後継問題へ介入すれば、その時点で戦争は勃発しただろう、九代目を敵に回して。
リボーンはそれでも構わなかった。一面に深紅の海を築いて、愛弟子に血塗られた玉座を与えても良かった。
だが、ツナは誰にも死んで欲しくないと言ったから。
「ふん……ボンゴレの平和に乾杯、か」
深紅のワインは常よりも渋みが強いようだった。舌先が不快を感じ、酩酊は一向に訪れる気配もない。
リボーンはこれ以上もなく冷静だった。ツナをボンゴレから逃がす為に、マフィア界で唯一完全な中立を確立しているマフィアランドへ託すことも考えたが、これで一番望ましい結果となった。ザンザス派の連中も脅威でなくなったボスの夫人を殺そうとはしないだろう。
「……本当にいいのかね、リボーン?」
安堵の中に僅かな懸念を滲ませて、ボンゴレを背負い立つ老人は養い子に再度それを問うた。
「勿論だぞ」
何だって構わないに決まっている。
恋にうつつを抜かす暇はなく、リボーンにはツナの生命と幸福とを守る義務があるからだ。
 
 
*****
 
 
それからの話は正しくとんとん拍子に進んだ。
誰しもが両派の融和ムードを歓迎した。強硬な反ザンザス派だけが九代目の英断に内心歯噛みして、沢田綱吉に代わる対抗馬を探して奔走していた。
リボーンの元へ、毎日のようにツナからの手紙が寄越されるようになった。
黒衣の兇手は硝煙の匂いを纏っての仕事帰り、自室に戻ってすぐに手紙を焼くことが日課となった。
一度も開封はしなかった。
中身を読んで尚、冷静さを保てるか確信出来なかった。
 
一度は手紙を託されたディーノが直接持ってきたこともある。
「お姫様は郵便事故を心配してたぜ、かーいそーに」
口元ばかりはニヤニヤと、しかし金に近い薄茶の瞳は獰猛な殺気を帯びている。
「んな訳あるか」
「よくもまぁ、俺のシンデレラ計画を潰してくれたよなぁ?」
「テメーが警戒させるからこーなるんだぞ。ツナも話を受けたんだ」
「“絶対に断れない縁談”押し付けたんだろうが!!」
不逞不逞しいボスとして身に付けた余裕の演技も振り捨てて、會ての教え子は師へと牙を剥いた。怒り狂う青年を冷めた眼で一瞥した後、リボーンは肩を竦めて仕事の準備に取り掛かった。まずは弾数の確認。
「畜生、どんな思いで俺が……もういい。返事はともかく読むだけは読めよ」
ひらりと大切な預かり物を床に放り投げ、ディーノは憤懣冷めやらぬ荒い足取りで部屋を後にする。完全に気配が途絶えたのを確認してから絨毯の上、真白い染みのような封筒を取り上げる。
真っ二つに引き裂いた。
更に何度も破り千切り、見る見るうちに手紙は細かい紙片へと姿を変える。
凍ったように表情一つ変えず、仕草ばかりは荒々しくリボーンは手中の紙片を部屋中にばら撒いた。
白い紙吹雪は、また散華のようでもあった。
 
 
*****
 
 
婚約披露の宴に招待されたリボーンは、結局その場に出席しなかった。仕事が入っていたというのが理由であるが、このところ兇手の青年がファミリー内外を問わず、過密なまでに数多くの依頼を引き受けている事実を知る者は誰もいない。
常のように淡々と人殺しを終え、疲れた体を引き摺ってリボーンは本部の屋敷へ帰還した。本棟ではそろそろ宴の果てる頃だろうか、此方側は別世界のようにしんと静まり返っている。仕事がなくとも、元より顔を出すつもりはなかった。
自室の扉を後ろ手に閉めて、不意にリボーンはその場に座り込みたくなった。
女中を呼んでいないので、絨毯にはバラバラの紙片が散乱したままだった。膝を付いて這うように進み、リボーンは、一心に紙片を掻き集めた。
紙片は、しかし既に手紙ではなく、覚えのある日本語で書かれた数文字が断片としてあるだけで、文意は全く読み取れない。その中の一片、単語だけが辛うじて残っている。
『リボーン』
彼女の手で綴られた名前だった。自分を呼ぶツナの息遣いまで聞こえてくるようだった。初めて触れた唇の柔らかさが甦れば、――最後の虚勢も崩れた。
手紙の残骸を掻き抱き、リボーンは歯を食い縛る。嗚咽が漏れるのを止めることが出来ない。
ツナは、その心と肉体はリボーンの為に存在していた、ずっと。
幾ら離れていても確信していたその前提が、音を立てて崩れていく。
――俺のもんだ。あいつは俺だけのモノだ!!
ぐしゃり。手の中で、紙片は握り潰され益々その原型を失った。
平和なんて糞食らえだ。何故俺がツナを手放さなきゃならない?
壊れた蛇口のように涙をだらだらと零しながら、リボーンは己の作為を深く呪った。
 
 
 
 
 
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