パレルモ市域から郊外へ約八キロ。186号線を南西に走れば、カプート山上の町モンレアーレに着く。モザイク画で有名なドゥオモを中心としたこの町で、リボーンは自動車を降りた。
路上駐車は気にせず、ビアンキを伴い普通の観光客のような何食わぬ顔で、エマヌエーレ広場を横切りどっしりと佇む聖堂脇を過ぎる。ドゥオモに隣接するキオストロ(回廊付き中庭)の周囲は開場前とあって人影一つ見当たらない。予め教会の人間には話を通してある。リボーンは悠々と無人の回廊に足を踏み入れた。
早朝から車で連れ出され、多少怪訝な顔付きで後をついてきたビアンキは、回廊の神秘的な雰囲気に感嘆すると同時にリボーンの意図にも気付いたようだった。
人気のなく見通しの良いキオストロは密談の場に適している。単なる観光のカモフラージュを含めて。
緑の中庭を囲む円柱はそれぞれが違う模様とモザイクで装飾されている。教会的なモチーフが使われている筈なのに、柱の群れはどこか異国的で異教的な眺めだった。朝の光がそっと円柱の隙間から忍び込み、回廊に自然の陰影という名の装飾を添えている。
暫くは円柱の装飾を一本ずつ観察することに専念していたビアンキは、ちらと彼女を此処に連れてきた男へ一瞥を寄越す。それとなく促すような態度に、数歩分の距離を空けて歩くリボーンは女の聡明さを疎ましく思うべきか一瞬迷った。
 
「ツナに逢わせろ」
単刀直入に切り出したリボーンの言葉を最初から予想していたように、柳眉を寄せたビアンキは沈痛な顔を崩さない。
「無理よ」
美しい女は長い髪を掻き上げ、小さく首を振る。神経質そうな仕草には僅かな苛立ちが滲んでいる。
「あなただけじゃないわ。婚約が決まって以来、女性の同席がない限り隼人達でさえ同室に居られない決まりよ」
「知ってる。掟だからな」
拒絶にも動じることなく、リボーンはあっさりと頷いた。頑迷なまでの意志の強さをそこに感じ取り、ビアンキは溜息を零す。
「……もう手遅れなのよ。ツナの名誉の為にもあなたと会わせる訳にはいかない」
例えば他の人間と同じようにツナの別邸で、ビアンキが同席した状態ならば少し話をするくらい出来るだろう。態々呼び出してまで要求する、リボーンが求めていることがその程度ではないと察しているからこそ、彼女は決して了承しない。
「婚約披露も済ませたのよ、何で今更なの。あなたなら事前に相談を受けていたでしょうし、跳ね馬はあなたが九代目を唆したんだと言ってたわ」
「うるさい。元はと言えばお前の所為だぞ」
叱りつけるような語調が気に入らなくて眉間に皺を作れば、ますますビアンキは呆れを強くしたらしい。
「私がお節介を焼いたのが気に入らなかった?それで拗ねてあの子を突き放したの?……あなたがそんなに子供だとは思わなかった」
「そんなんじゃねえ」
確かにビアンキ達にいいようにされた悔しさから、意地になって軌道修正を図った面もある。
しかし何よりも憎いのは自覚させたことだ。プライドの高い自分をなりふり構わぬまでに堕落せしめた、制御の出来ない感情の所在を。
カッと臓腑を焼いた怒りのまま、激情に任せてリボーンは女の襟首を掴んだ。
「無理矢理にでも機会を作れ。俺の言うことが聞けねーのか、ビアンキ」
乱暴に引き摺り寄せ、つまらない悪党のように凄む男の余裕のなさをどう見たのだろうか。ビアンキは美しい面をほんの少しだけ緩め、掴み掛かられた状態のまま強張る男の頬を撫でた。
「あなたのことは愛してるわ、だけど私はあの子のことも大事なの」
日本のママンにも頼まれてる、みすみす二人を不幸に出来ない、わかって?
頭に血の上った男を落ち着かせるべく、ゆっくりと噛んで含めるようなビアンキの言葉に、リボーンは大きく息を吸い。
祈るように一度目を閉じた後、襟元から手を離す。
苦悩の表情をさっと面から掻き消すと、――離したばかりの手で払い除けるように、女の白い頬に平手打ちを食らわせた。
不意打ちに女暗殺者は受け身も取れず、円柱の一つに叩きつけられる。人間一人の体重を受け止め、歴史を重ねた建造物は微動だにする気配もない。
「……ッ」
柱に寄り掛かりビアンキは体勢を建て直す。
全く、神の地所で随分と俗な問答をしている。リボーンの嗤笑を自分に向けての嘲りと解したビアンキが燃えるような眼で睨んだ。
彼女が自分に怒りを向けるのも、リボーンが女性に手を上げるのも、思えば初めてのことだ。ツナにだけは昔に何度も殴ったり蹴ったりしていたが。
それはツナだけがリボーンの所有物だったからだ。長年愛人として遇し、時に家族のような情を感じていてすら、ビアンキは結局他人に過ぎなかった。
 
「俺に偉そうな口利いてもいいのかよ」
「何を……」
「ツナからの手紙が俺の手元にあるってこと、忘れてねーよな?」
女を殴った手でありもしない幻の手紙を振ってみせれば、ビアンキは眼を大きく見開いた。
文字通り幻の手紙だ。ツナがリボーンへと綴った手紙は、破り捨てた一通を除いて全て焼いて残っていない。ハッタリに過ぎなかったが、ビアンキはそれを知らない。
露骨に警戒した表情を向けてくる女が哀れで、洩れる笑いは自然と嘲り含みになった。
「婚約が決まってから他の男に恋文なんてとんだアバズレだよなぁ?俺が手紙を公表したらどうなるか、ボスを虚仮にされたザンザス派の連中が婚約破棄だけで済ませてくれれば結構だが……」
「この、人でなし……!」
呪咀じみた発音でビアンキは呻く。百年の恋だって跡形もなく消し去る程、今のリボーンはさぞ醜悪だろう。ビアンキから脅迫のことを聞けばツナとて愛する男に失望するかもしれない。
だがリボーンは構わなかった。プライドや美意識や、今まで積み上げてきた人生全てを裏切っても構わない。でなければ最初からこんな話持ちかけたりする筈がない。
つまらない悪党どころか今や卑劣な脅迫者となった會ての情人を前に、ビアンキは言葉なく俯いた。長い髪が顔を隠すように落ち掛かり、白い顔に影を作る。答えの判っていたリボーンは焦らず彼女の返答を待つ。
「………分かったわ、私が何とかする」
「任せたぞ」
薄く微笑んだリボーンから目を逸らすように、ビアンキは視線を庭へと向けた。
それに触発されて腕時計を確認すれば、ドゥオモが門戸を開く午前八時が迫っている。人目に付く時間帯になる前に立ち去る必要があった。
何も言わず革靴の踵を返すリボーンに、もうビアンキはついて来なかった。
 
 
*****
 
 
ビアンキからの連絡を受け、リボーンが連れてこられたのは旧市街の中でも特に治安の良くない界隈だった。
夜ともなれば酔っ払いと街娼とならず者で溢れる裏路地は、昼間であることと今にも一雨来そうな曇天とで、今はひっそりと沈んでいる。
市内でありながら人気の薄い路地を暫し誘導され、案内されたのは汚い建物の一軒だった。
狭い入り口を潜れば、昼にも関わらず薄暗い屋内は如何にも連れ込み宿といった造り。入ってすぐ横の小部屋にビアンキが声を掛ければ、主らしき老人が部屋番号らしき呪文を呟きながら鍵を寄越してくる。
「こう見えて口が堅い人よ、安心していいわ」
「こんな場所に伝手があるとは知らなかったぞ」
ビアンキから鍵を投げ付けられながら軽口を叩けば、既に女の表情に嫌悪はなく
「まぁ色々とね」
苦み走った笑みをルージュで紅い唇に浮かべる。
「じゃあ、私は別の部屋で待ってるから。場所はここの主人に尋ねてくれれば良いわ。……ごゆっくり」
疲労の滲む溜息を吐きつつビアンキが背を向けたのを合図に、リボーンはぎしぎしと酷く軋む階段へと足を掛ける。
 
 
*****
 
 
昼間だからか、目的の部屋に至るまでに横切ったどの扉の奥にも、凄腕ヒットマンは人の気配を感じ取らなかった。
唯一の例外は目的地それ自体で、鍵を回したその部屋には既にツナが待っていた。
閉ざされた部屋の中、不安そうに一つしかないベッドに腰掛けていたツナは、扉が開いた瞬間弾かれたように臨戦態勢を取った。が、知った顔を見て途端に緊張を解き、その場に再度座り直した。
明らかに一つの目的だけの為に設らえた、このような場所を見るのは初めてなのだろう。怯えを含んだツナの様子はまるで攫われた娘のようで、罪悪感を刺激する。
「リボーン」
それでも待ち人の姿にツナは顔を綻ばせる。招くように両腕を差し出すから、ベッドの上、彼女のすぐ隣にリボーンも腰を下ろした。
狭い部屋にはベッド以外に椅子一つない。脱いだスーツの上着を仕方なく床に放り投げ、続けて解いたネクタイも同じようにする。そこまでされてもツナは危機感一つ感じないらしく、ただ興味深そうにリボーンの乱雑な動きを眺めている。
今日のツナは長丈のセーターに短いスカートを合わせた珍しくカジュアルな出で立ちで、観光に来て間違って怪しい界隈に連れ込まれた東洋人そのものに見える。日本に居た頃はスカートを履いた姿を一度も見ず終いだったが、何故か懐かしさを感じる姿だった。
「……痩せたか?」
「へへ、まぁね?最近忙しいんだよ、俺」
適切な言葉を探し倦ねるリボーンに対し、ツナは笑って答えてみせた。その顔色も緊張の所為だけでなく悪いように見える。
「九代目の爺さまがさぁ、これからは本邸で本当の親子みたいに暮らしたいって、まだ自分の息子説得してないのに同居する気満々なんだ。おかげで九代目の趣味だからって麻雀の家庭教師が新しく付けられたよ。つくづくカテキョーに縁があるんだな。どうせ教わるならお前がいいのに。あ、リボーンって麻雀出来る?」
「……ツナ」
「ああそれからさぁ!ザンザスにも何度か会ったんだけど、アイツ変な人だねぇ。趣味は音楽鑑賞とかお付きの人が言うから九代目がそれは是非綱吉にも聴かせてあげなさいとか勧めてアイツの部屋まで通されたんだけど、古い蓄音機にレコード掛けてあとはずーっと黙ってつっ立ってんの!」
「ツナ」
「あれ結局なんて曲だったのかなぁ、一曲流れてる間ひとっことも喋んないんだもんな、何考えて俺と結婚する気なんだろ」
「ツナ!!」
べらべらと立て板に水の如く喋り続けていたツナは、強い力で肩を掴まれてやっと不自然に動く口を閉じた。
「………リボーン」
痛がるように嫌々と身を捩る。それでもリボーンは離してやれない。じわりと、痛みによるものでない涙がツナの眼に溢れた。
「なんでもっと早く来てくれなかったの」
「悪かった」
そのまま腕の中に抱き締めても抵抗しなかったツナは、しかしベッドに横たえられ覆い被った男の顔が近付いてくる段になって初めて逃げ出す素振りを見せた。しかしただでさえリボーン相手に、完全に組み伏せられてからの抵抗は全く意味を成さない。
「駄目だよ……リボーン、ねえ」
「ずっと逢いたかった」
震える言葉での抵抗も一言で封じられ、ツナの唇は戦慄いた。
リボーンだけを映す大きな榛色の瞳に吸い込まれる錯覚を覚えながら、拘束と裏腹の優しさでそっと男は口付けた。前回の接吻より随分穏やかだった触れるだけのそれは、すぐに熱を帯びたものに変わる。
手首の拘束が外れてすぐ、ツナの腕はしがみ付くようにリボーンの肩へと回された。
彼女から示される愛情を得難いものと感じ、歓喜と昂揚のままに男の手は組み敷いた体の至る所に手を伸ばす。無遠慮な手にまさぐられたツナが反応を返す箇所を探り当てる度、リボーンは執拗なまでにそこを愛撫した。
「あ、あ、あ……リボ、ん」
散々に着衣を乱され、生まれて初めての快楽に翻弄されるツナは大輪の華が綻んでいく様を思わせた。芳しさにくらくらとする。最初から冷静さを欠いていたリボーンが我を忘れるのは簡単だった。
内股の柔らかい部分を撫でていた手がその奥に進み、ひくりとツナは大きく震えた。
「ツナ……」
未知の領域に対する恐怖と羞恥。上気した顔に浮かぶ表情を焼き付けるように、リボーンはそこかしこに接吻を贈る。額、頬、瞼、そして唇。
全てを手に入れたい、それしか考えられずに恋の愚者は最後の禁忌を踏み越える。
 
閉じられたままのブラインドの向こう、窓の外ではいつの間にか雨が降り出している。
 
 
 
 
 
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