冬が駆け足で通り過ぎ、シチリアに春を告げる白いアーモンドの花が咲いて散り。
日差しが力強さを増す緑の季節に入ってすら、幸いなことに婚礼の日取りは決まらないままだった。
競争相手の座を降りた婚約者は畢竟当事者足り得ず、問題は代替りの時期と本部の移転について――現当主は本邸に息子夫婦が住まうのを望んだが、ザンザスは今のヴァリアー拠点にボンゴレ全体の枢機を移動させることを主張した――に移行していたからである。
頑固者同士、この親子喧嘩は当分の間決着を見そうになかった。
幸いとしていたのは二人。
気を揉むボンゴレ関係者中で、リボーンとツナの二人だけがこの膠着状態を心から歓迎していた。
 
 
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初めての逢瀬の後も、度々二人は人目を忍ぶ密会を重ねた。当初こそ罪の意識に怯えていたツナも、次第に居直ったか開放的な笑顔を見せるようになった。リボーンにとってそのことより重大な事実は存在しない。
逢うのは決まって日中で、結婚を控えた令嬢はお供の美女を連れて街中へとショッピングに出掛け、ふらりと行先も告げず姿を消す男は元より昼夜の別など関係ないヒットマン稼業であれば、二人の外出に関連を見出す者など皆無である。
使う宿は毎回同じ。ブラインドが閉じられた室内は晴雨に関わりなく常に薄暗い。黄ばんだ壁紙が所々剥がれかけて丸まっている、狭く汚らしい一室だけが世界の全てになった。惨めだとはどちらも言い出したりしない。圧倒的に幸福が凌駕している。
シーツで胸元まで隠したツナは、近況や友人達の動向、大抵は他愛のない話を口にする。
運転手役の骸がアリバイ作りの為に洋服など購入しているとか。マインドコントロールやら幻覚術やらを駆使してブティックの人間すら騙しているらしいが、嫌がらせなのか時折異様に露出度の高いものを買ってくるので閉口してるだとか。扇情的な衣服を発見した雲雀が激怒して骸と大喧嘩をやらかしただとか。
「へぇ…それ着たりすんのか?」
「まっさか!」
相槌を打つ振りで半ば聞き流し、リボーンは剥き出しの白い腕を撫でたり、幼子が甘えるように胴に腕を回したり、シーツと肌の隙間に手を差し入れたりする。
「って……ちょっとやめてよリボーン」
咎めるツナも笑い混じりで、
「他の男の話ばっかりすんなよ」
「何それ?ばーか」
最後は二人じゃれ合いながら傾れ込む。あとは微かな笑いと囁き、甘い吐息だけ。
 
 
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大抵は帰りの時間をずらしていたが、今日のように表通りに車を待たせてあるツナを道半ばまで送って行くこともある。お互い顔が知れ渡っていないが、危険な真似には違いない。
リボーンは歩幅を小さくして普段よりゆっくりと歩く。その左腕を両手で捕まえて、ツナは全身で甘えるように身を寄せる。腕を組んで陽光の下歩いていれば、単なる恋人同士のような気分になった。
今日のツナはバレーネックのTシャツに膝丈デニム姿だが、もう一見して少年のようには見えない。仕草や言動は子供っぽいままでありながら、リボーンと関係を持つようになった頃から内側から滲み出るように女の色香が漂うようになった。
と、人の気配を察知して。
リボーンはツナを抱え込むようにして色褪せた看板の影、人一人入るのが限界の細い建物の隙間に身を隠す。二人に遅れて後を追っていたビアンキが看板の前に立って更に視線を塞いだ。
暫しして二人組の男達が通り過ぎる。昨夜から飲み続けていたのか泥酔状態で、声高に笑ったり怒鳴ったりしつつ千鳥足でふらふらと歩いている。
あと数時間もすれば真っ先に身ぐるみ剥がされそうな自堕落さで、陽の高い時刻に客を返した店側は良心に溢れていると言えた。身ぐるみ剥ごうにも、既に店が有り金全部巻き上げた後かもしれないが、リボーンは観察しつつ皮肉に考える。
「隠れてくれて良かったわ」
男達が完全に行き過ぎてから、ビアンキが小さく吐息を洩らした。
「ボンゴレの人間か」
「だとしてもあんな三下、顔も覚えてないし向こうもそうでしょうよ」
否定しつつもビアンキの顔は渋い。
「ただこの界隈でちょっと噂になってるみたい。見るからに只者じゃなさそうな男が素人っぽい東洋人とよく連れ立ってるって」
「……………」
余り良くない兆候だ。すぐに身元が割れるような愚を犯すつもりはないが、何処から事実が露見するか判らない。
「場所を変えるか……」
「出来れば自重して貰えた方が有難いのだけど」
「二度と逢えないよりも我慢した方がいいよ……」
ビアンキに同意しつつも、リボーンのスーツに皺が出来るくらい強く握るツナの手が台詞を裏切っている。
その手をそっと引き剥がして、リボーンは持ち上げた小さな手に唇を寄せた。
「一つ心当たりがある、――大丈夫だ」
 
 
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「この野郎、よくも俺の前にのこのこ顔を出せたなコラ」
コロネロの指はライフルのトリガーに掛かっている。生命の危機を全く意に介さず、リボーンはボルサリーノの鍔をちょいと引き上げた。
「まあ固いこと言うな、一つ頼みたいことがあってな」
「人の話聞いてんのかコラ!!」
青い海も白い砂浜も全く似合わない黒スーツだ。見ているだけで暑苦しい。
死神が気障な態度に出る程に、コロネロは益々憤りを募らせていく。
「マフィアランド……勿論表の方だが、そこに今ツナが来てる」
「……何だと?」
もうライフルぶっ放そうかと我慢の限界に近かったコロネロは、まず我が耳を疑い。
「聖ロザリア祭の喧騒を避けてバカンスにな」
信頼を裏切った筈の悪友が悪怯れず口にする内容に、続いて思考停止へと陥った。
「ツナ、だと?」
「裏なら人目に付かねえ、ここまで連れてきて欲しいんだ」
「……もしかして、お前」
リボーンは唇を苦笑の形に歪めただけで答えない。それが明確極まりない憶測の肯定で、柄にもなくコロネロは狼狽えた。
「何やってんだ、コラ!」
「協力しちゃくれねーのか?」
「………お前らしくないぜ、リボーン」
「かもしれねーな。ツナの所為で随分と馬鹿な男になっちまった」
自嘲めいた言葉は、何の毒も孕んでいない。
一片もリボーンが後悔していないことに気付けば、コロネロには何も言えなかった。酷く不器用な恋をしている友が、哀れにも羨ましくも思える。
「わかった。連れてくりゃ良いんだな」
「頼む」
何時になく素直な謝辞に、
「ったく、らしくねーぜ!」
コロネロは照れ隠しにライフルの銃把で殴り掛かった。勿論リボーンには軽々と避けられたが。
 
 
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裏マフィアランドは不適格なマフィアを鍛え直す修業場だ。表側からは鉄道が通る他は完全に隔離され、人の手の入らない熱帯植物が鬱蒼と繁るだけの別世界。
ただ裏側にも海があれば砂浜もあり、やや潮の流れが速いので泳ぎ向きではなかったが、手付かずという意味では海水浴客の集う表側の浜より美しいかもしれない。
その浜辺で独り日没後の暗い海を眺めていた男は、微かに響いたエンジン音によって待ち人の到来を知った。
「リボーン!」
闇に紛れた黒色の殺し屋の元へ、ツナが過たず一直線に駆け寄る。飛び付いてきた小さな体をリボーンは抱き留め、己の体で隠すように腕の中に抱き込んだ。
「ツナ……」
會ての九年間に比すれば瞬きする程の別離でしかなかったにも関わらず、気が狂いそうな飢餓感だった。
再び柔らかな肢体を感じれば、一刻たりとも離れられない気がする。震える手でしがみ付いてくるツナも同じ気持ちでいるに違いなかった。
一瞬だけ白色のヘッドライトが抱き合う二人を照らし、そしてジープのエンジン音が遠ざかっていく。ここまでツナを送り届けたコロネロと、お目付け役のビアンキ辺りが乗っていたのだろうが、気にする暇もなかった。
服の汚れを無視し崩れ落ちるように座り込んで、それでも二人は体を離さなかった。
リボーンの黒い中折れ帽が砂浜に落ち、その傍らに亜麻色の髪が広がった。
砂に塗れ、爪先を満ち潮に浸し、全身で互いを確かめ合う。その一部始終を月のない夜が覆い隠している。
 
 
 
 
 
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何か昼ドラ的愛欲の日々みたいに……(シチュとしては間違ってないが)。純愛っぽくならない(死)。