婚約が決まろうが秘密の恋をしていようが、ツナの日常に大きな変化はない。
外出の予定がなかったこの日は、古くからの友人達と暇潰し半分に雀卓を囲んでいた。ツナ以外の面子はビアンキに山本、笹川了平。
「君、何捨ててんの。馬鹿じゃない?」
「はぁ……スミマセン」
ルールを覚えて間もないツナの背後には、相変わらず面白くなさそうな仏頂面で雲雀が助言役に立っている。不良時代に色々あって習熟したらしいが……具体的に何をしていたのかまでは余り知りたくない。
「まあまあ、そっちには雲雀サマが参謀してんだし充分有利じゃん?」
「綱吉が足引っ張ってんだから一緒だよ」
「テメー…十代目に対して無礼…な……」
ガクリ。瀕死の獄寺の訴えは黙殺された。誰にも顧みられず、一人床の上に転がって腹を抱えている。彼の姉が四六時中ツナの隣に控えるようになったことで、最も被害を蒙っているのは獄寺に違いない。
当初は心配していたツナも「俺は死んでもあなたのお傍に〜…」蒼白の獄寺が言って聞かないので、近頃は放置気味だった。哀れ。
 
「うおおお!今回の俺にはツキが来ている!という訳で次は沢田の番だぞ!」
ツナと腕前ではどっこいどっこいの非頭脳派、了平がスポ根ノリに大仰な雄叫びを上げる。不愉快そうに眉を跳ね上げる雲雀。
「僕がついてて負けるなんて許さないよ」
「いやでも、あの人さっきからあー言いながら負け続けてますし……」
「この牌、これ取りなよ」
「……えーと」
人の話は聞かないモードで指図してくる。こうなるとツナというよりも遠隔操作で雲雀が打っているような塩梅で、椅子の上で縮こまるツナの肩越し、片手で背凭れを握ってバランスを取りつつ卓上に手を伸ばしてくる。
乾いた笑いで雲雀の暴走を甘受していたその主は。
 
「――うっ」
不意に、口元を押さえた。
 
「!?…どうしたの?」
ぎょっと目を見開いて身を退いた雲雀の背中の向こうで、
「獄寺のつられゲロか?」
山本が冗談に紛らわせて場の雰囲気を鎮めにかかる。
「十代目!!」
「ツナ」
腹痛も忘れ跳ね起きた獄寺は、ツナの元に駆け寄ったビアンキを直視したことで
「……がふゥッ!」
がしゃーん、じゃらじゃら。雀卓に体当たりしつつ再度昏倒した。
「大丈夫……だから……ちょっとゴメン」
蒼白な顔で微笑まれようが微塵も安心出来ない。切羽詰まった様子で部屋を出て行くツナを追い掛けたのは同性のビアンキだけで、青年達は悪い予感に顔を顰めてその背中を見送るしかなかった。
「……取り敢えず片付けよーぜ」
「ああ」
ノロノロとした動きで山本と了平が散らばった牌を拾い集め。
「邪魔」
それを手伝うでもなく雲雀は床に倒れ伏したままの獄寺に蹴りを入れ。
「うぅ…」
体をくの字に折り曲げた灰髪の青年は低く呻いて抗議する。
 
 
*****
 
 
ザーザーと水音が耳障りに響く。
洗面台に身を乗り出してツナは嘔吐する。ゆるゆるとその背中を撫でながら、ビアンキはその柳眉を寄せて脳裏を巡る言葉を抑えていた。
「……ありがと」
「落ち着いた?」
口元をタオルで拭いながらツナは頷いたが、顔色は悪いままである。
一段落ついて気分の悪さは治まっても、精神的な要素が顔を曇らせている。判っているから、ビアンキは指摘しなかった。……心当たりなら、ある。
「気付いてなかったの?」
「うん……俺、元々結構不順だったし……」
打ち拉がれた様子で顔を伏せるツナを見ていると可哀想になるが、肩を抱いたビアンキは追求を止める訳にはいかない。
膝を付いてその顔を覗き込めば、ツナは嗚咽を呑み込むように眼を瞑り。噛み締めた唇が細かく震えているのを、姉代わりの女は指を這わせることで感じ取る。
「……ねぇ、産もうよ」
何度も唇を往復する繊細な指の動きに促されて、ツナは漸う重い口を開いた。
「皆には黙ってて貰って、この屋敷で隠して育てるんだ。政略結婚なんだからダンナと同居するとは限んないし、きっとバレないよ、ねぇ?」
「無理よ、どうしたって露見するわ」
「死なせたくないよ、だってアイツの……!!」
それ以上言わせず抱き締めたのは、万一にも無関係な人間の耳に入るのを恐れたからでもあったが。
……どんな慰めの言葉もビアンキには思い付かなかった、からだ。
泣き崩れながら、自然とツナは腹部に手を当てている。それに気付けば更に哀しくなった。
 
 
*****
 
 
これ以上はビアンキの手に負えない段階に入っていた。
『おい、次に逢う日程だが……』
「これ以上あの子には逢わせられない」
突然の最後通牒に、リボーンの受話器越しの困惑が伝わってくる。今後は幾ら頼まれようとも、ビアンキに譲歩する気は一片たりともない。
『……どういうことだ?手紙のことを忘れたのか』
「好きにしたら?ツナがあなたに逢いたくないって言ってるの」
ツナ自身は明言していないが、身籠ったことは絶対に話さないよう口止めされている。あれから自室に籠もって泣き暮らしているツナを思うと、隠し通したいような全部ぶちまけてしまいたいような、もどかしい気分になった。
『そんな筈あるか、ツナは』
「……そういうことだから」
無理矢理通話を打ち切って会話を終わらせた。
レトロなデザインの黒塗り電話を眺めて暫し物思いに耽り……ビアンキは再び受話器を取り上げるとダイヤルを回す。長めの沈黙に、聞き覚えのある異国のコール音。
『――はいもしもし、沢田ですが』
 
 
*****
 
 
ビアンキが日本へ連絡を取った同時刻。
ツナは灯りも点けずベッドの上に蹲っていた。
発覚するまでは全く気付きもしなかったのに、今は身じろぎするだけで平らな腹に宿る命を意識してしまう。現金な自分。生まれてはいけない命なのに。
慮外にも片恋の相手に気持ちが通じたことで浮かれていた感情が、ここにきて急速に冷めていくようだった。本当に事の重大さを理解していなかった。これでは責任も取れない子供と同じだ。
「ごめんね……ッ」
誰にも知られずとも、誰にも祝福されずとも、ツナは母親という生き物である筈だった。
我が子を護れない代わり、それ以外を護らなければならない義務がある。
――ツナは、決意を固めていた。
 
 
*****
 
 
ボンゴレから距離を置いていた沢田家光が、急遽イタリアの土を踏んだ。
家光の連絡を受けた九代目当主によって極秘裏に集められたのは、その家光当人と事情を知らされぬまま呼び出されたキャバッローネのボス。
 
「もう一度確認する。それは真実なのかね?」
「ツナの傍にずっと付いていたビアンキの証言です。間違いないかと」
「いや……本人には確認を取ったのか、ツナヨシは何と言っている。その……」
「本当に身籠っていて、その父親はリボーンなんですか?」
口籠もる老人の言を代弁するように、ディーノが堅い表情で家光に向き直る。
「ツナは……」
「間違いありません」
「ツナ!?」
割って入った声に男達は息を止めた。許可なく入室したことを詫び、扉を閉めるツナの口上は三人の耳を素通りする。
「何故ここに……」
「ビアンキを問い詰めたんだ。様子が怪訝しかったから」
家光の呟きにはっきりと答え、ツナは改めて未来の岳父と視線を合わせる。
「こんなことになって本当に申し訳ありません。全ての責任は俺が引き受けるから……リボーンには何も問い詰めないで欲しいんです」
真剣さを湛えて煌めく榛色の瞳を見返し、九代目は大きく溜息を吐いた。
「解った、約束しよう」
「有難うございます」
背凭れに身を任せる老人は、俄かに幾つも年を取ったように見える。本人を前に、家光やディーノは口を挟む余地もなく圧倒されている。
「表立って処分は下さない。今の時期に再びボンゴレを二つに割る訳にはいかない。……ただ、子供は堕ろして貰う他ない」
「はい、解っています」
それを口にする時だけツナは俯いたが、すぐに昂然と顔を上げ直す。
情がない訳ではない、それを凌駕する固い覚悟が幼気な顔立ちに浮かんでいる。
「どんな場面だろうと、二度とリボーンに逢わせる訳にはいかない」
「……それも解ってます」
「ツナ……」
思わずディーノの発した咎めるような声にも、微笑むだけでツナは何も言わない。
「ドクターシャマルがまだ日本に住んでいる。母親に結婚の報告をしに行くという形なら不自然でないと思いますが」
敢えて感情を殺した家光の提案に、九代目も頷いた。
「トライデント・シャマルは確か産婦人科医だったな。フリーで、しかも口が堅い」
老人は労るような眼で義理の娘を見遣った。そこに沈痛さはあっても、裏切られた怒りは存在していない。
「帰国次第、婚儀を挙げるよ。息子にはこの話は黙っておこう」
「はい……あの」
「何だね?」
「最後に一度だけ、リボーンに逢えないでしょうか」
決死の覚悟に違いない、唯一の我儘に対しても老人は首を振るしかなかった。それ以上言い縋ることなく、最初から諦めていたようにツナも引き下がる。
「今の話は、ここにいる者だけの極秘事項だ。ツナヨシに最も近い君達なら秘密を守り通してくれると信じている」
「九代目……」
感極まったように家光が拳を握った。ツナはそんな父親を見て泣き笑いの表情になる。
「私なりに子供達を愛していたのだが、――本当に残念だよ」
ボンゴレを背負って立つ老人は、しみじみとした口調で嘆息した。
 
 
 
 
 
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この辺が一番オリジナル展開かも。麻雀とか……。雲雀さんが妙に目立ってるのは本誌105話の雲雀祭ワッショイ!に引きずられたからですよ。ていうか雲雀さんリボキャラの中で一番書きやすいんですが!
悪阻に苦しむツナの姿が何故か想像しやすいと思ったら、黒曜編で骸(ストーカー)の気配感じる度に気分悪くして口元押さえてたからでした(笑)。