全ての罪悪と同じように、その後始末もまた一切が水面下で行われた。
ボンゴレの中枢を占め、誰より当事者であるリボーンにすら何も知らされなかった。その間、惰性じみた感覚で人の命を奪っていただけである。
ツナと連絡が途切れて以降、失意のヒットマンは過剰に仕事量を増やす以前の毎日に戻っていた。
理由は深く考えない。ツナが自分を嫌う筈がないと確信出来るからには、不安定な関係に疲れたのだろうと漠然と推測するだけだった。
 
長らく留守にしていた自室の扉を開けた際、兇手は外出以前になかった異状を認めた。
かさ、と僅かな引っ掛かりと共に紙の擦れる音。完全に開け放ってから、扉と床の間に差し込まれていたその紙片を拾い上げる。二つ折りにされた便箋に心当たりはない。
片手で器用にそれを開きながら、もう一方の手で扉を閉める。
ボンゴレの関係者だろうと書き手を予測していたが、実際に筆跡は見覚えのあるものだった。慌てたような走り書きで、扉に紙を押し当てて書いたのか文字がへこんで所々ペン先が紙を突き破っている。
他に何の但し書きも付さず、ディーノは、空港の名前と時間だけを記していた。
リボーンに心当たりはなかった。……ただ予感のようなものに突き動かされただけだった。
腕時計で時刻を確認する。車を飛ばせば辛うじて間に合うタイミング。
考える寸刻も惜しんで、リボーンは今し方戻ったばかりの部屋に背を向けた。
足取りは乱さない。ただ限りなく大股に、珍しく靴音を響かせて廊下を闊歩する黒衣の兇手を、偶々見かけた女中が驚いたように目を見開いていた。
 
 
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人でごった返す空港内をリボーンは疾走する。
道路が思わず混んでいたのが誤算だった。愛車は旅客ターミナルの正面に堂々と乗り捨てて来たが、離陸時刻に間に合うかは微妙だ。手荷物の一つも持たず走る黒スーツの男に、時折旅客が怪訝な視線を向けてくる。
リボーンが向かっているのは一般の発着ロビーでなくボンゴレ専用になっている私的な発着場である。数台の自家用飛行機を所有しているボンゴレであれば、余程の事情がない限りそちらを使う。
屋外に出る扉を見付けたリボーンは、スーツの懐から拳銃を取り出すと鍵穴に向けて発砲し――VIP専用のプライベートエリアに人の数は少なかったが、居合わせた客は発砲音に悲鳴を上げ、空港の人間は走り寄ってくる――ドアノブごと鍵を無理矢理抉じ開けた。
警備員による制止の声を無視して滑走路に飛び出す。遠くで作業中だった整備士達が侵入者の存在に気付いて何事かを大声で叫ぶ。
目的の機体を探し、闇雲に走りつつ忙しなく首を動かすリボーンの視界に、一台のジェット機が映った。
既にエンジンが低く唸り、今しも数人の乗客がタラップの階段を踏んでいる最中。
「――ツナっ!!」
リボーンは絶叫した。不意の大声を聞いた側近の青年達は警戒するように懐の銃に手を伸ばし、相手を認識した途端唖然と口を開く。神をも恐れぬ凄腕ヒットマンが息を乱す姿など、彼らは想像したこともなかっただろう。
リボーンの想い人はタラップの一番高い場所で立ち止まり、一心にその姿を仰ぐ男に向かって微笑みかけた。ドレスの裾が風を受けて帆のように膨らむ。
「ツナ!どうしたんだ!?何処に行くんだ!!」
リボーンが声を張り上げてもツナは言葉を返さない。柔らかくも謎めいた微笑に、理由も解らずリボーンは恐怖した。
タラップの下まで辿り着いたリボーンは手摺りに手を掛ける。階段を駆け上がり、ツナを連れ戻すつもりだったが、やっと追い付いた空港の人間達がここで侵入者を取り押さえにかかる。
群がる邪魔者を憎々しげに睨むリボーンが気を逸らした隙を見て、側近達は彼らの女主人を促した。先に立った山本が手を差し伸べ機内に誘うのに軽く断りを入れて、ツナは小さな手提げ鞄から何かを探り当てる。
苛ついたリボーンが邪魔者達を射殺しようとまで思い詰めた瞬間、絶妙のタイミングでツナが初めて声を掛けた。
「リボーン!」
「ツナ!おい待て、ツナ!!」
「これ、リボーンが持ってて!」
……晴天のように曇りない笑顔だった。
ひらりと、何かが宙を舞った。小さな堅い、カードだろうか。滑空するように落ちてくるそれを眼で追っている間に、ツナは姿を消していた。
階段の途中で行く手を塞いでいた獄寺と雲雀も急ぎ足で機内へと乗り込み、リボーンから引き離されたタラップが機体から外される。
ほとりと、カードだけが地に残された。
飛行機はゆっくりと滑走路を走り始める。人の足で追い掛けても無駄なことは自明だった。リボーンの抵抗が止んだことで、マフィアの男に怯えつつも職務を果たそうとしていた空港関係者達は安堵したように力を抜いた。
肩に掛かっていた手を振り払って、リボーンはツナの置土産を拾い上げる。
印刷の、おそらく大量生産で作られた品だとは解る。毛筆のような筆致で下の句だけが書かれている。小倉百人一首。
リボーンにはその札に見覚えがあった。
十年前、沢田家にあった一揃いと同じものである。
 
 
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――あ、これは分かる!
当時は線の細い少年にしか見えなかった男装のツナが、得意げに取り札の一枚を掲げた。
――よし、じゃあ一応音読してみろ。
――瀬をはやみ…岩に別るる谷川の、割れても末に逢わんとぞ思う。
――訳は?
――ええと…、俺古文苦手なんだよなあ。リボーンてイタリア人なんだろ?何で古文とか読めんの?
――テメエは日本人だろ。イタリア人に教えられてて恥ずかしくねーのかよ。
――うるさいよ!ほら、あれだろ?離れ離れになってももう一度逢いましょうって、大体そんなかんじだろ?文法とか全然分かんないけど。
――後で特訓だぞ。まあ、ダメツナにしては悪かない回答だ。
――本当リボーンの誉め方って捻くれてるよな……。ねえねえ、この札一枚ずつ二人で持っとかない?
――ハァ?
――俺達もずっと一緒にいようって、お守り!
――俺に一生ダメツナの面倒看させるつもりかよ……。
――駄目?
――ふん、構わねーぞ。テメエみてーな出来損ない、俺がいなきゃ簡単に野垂れ死にそうだからな。
 
 
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すっかり忘れていたと思っていたが、書斎机の引き出しを漁れば読み札も出てきた。
ハンカチに包んで奥の方に仕舞い込まれていた、大和絵風の絵札。
ツナの取り札も大事に保管していたのだろう。十年の歳月が四つ角を少し丸くしていたが、それ以外は綺麗なものだった。
子供同士の他愛ない約束。
「あんな頃からツナに惚れてたのか、俺……」
十年を経て一組の札は再び揃った。しかしリボーンは今独りぼっちだ。
 
 
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全身麻酔が切れた時には全てが終わっていた。こういった手術は局部麻酔や、時には麻酔なしで済ませることもあると聞いたことがあるので、せめてもの慈悲だったのだろう。
目が覚めた時、十年分の老いを顔に刻んだシャマルが待機していて、
「こんな形でお前さんに再会したくはなかったなー…」
飄々とした懐かしい笑みに微量の苦みの混ざった中途半端な表情を浮かべていた。
そのシャマルも去って、病室にはツナ一人だけが残されている。思う存分泣くことが出来た。
顔どころか存在さえ確と感じる前に我が子は死んでしまった。腹部に手を当ててみても、感触に何の変わりもない。
謝罪の言葉は最早出てこなかった。許しを請うのは傲慢だ。
この喪失感と罪悪感に一生耐えていくのが、人殺しに対する罰なのだ。
今のツナには全ての優しさが疎ましかった。
 
 
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ドンの為だけに設らえられた、豪奢な居室。
「ツナを何処にやった」
入室するや単刀直入に切り出した兇手の鋭い眼差しに、九代目ドン・ボンゴレは僅か眉を顰めただけで平然と応対した。
「やあリボーン、空港では大暴れだったと報告を受けているよ」
「――答えろ」
リボーンが最後まで蚊帳の外に置かれたままでいないだろうことを、老人はある程度予想していたのかもしれない。暖炉前の安楽椅子に腰掛けたまま身動き一つせず、悠々と視線だけを向けてくる。
雇い主の態度に苛立ちを募らせたリボーンは詰め寄る勢いで、自ら安楽椅子の元まで足を運んだ。
「テメエらの勝手にはさせねえ。ツナは、あれは俺のモンだ」
日頃の不遜な態度を越え、今のリボーンは殺意混じりの敵意すら剥き出しにしている。聞き分けのない子供の癇癪に接した時のように、老人はやれやれと首を振った。
「――いい加減にしろ」
叱責と共に、手にしていた杖で打据える。頭ごなしの暴力に嚇っと、一瞬で頭に血が上ったリボーンを押さえ付けるように、九代目は初めて怒気を顕にした。
「ツナヨシはお前の所有物でないし、勿論私の物でもない。強いて言えばボンゴレの物だ。それ以前に彼女自身のものだろう」
「尤もらしいこと言ってりゃ俺を懐柔出来るとでも思ったか?」
老人の真摯な訴えは、一向にリボーンの心を動かさない。
「ボンゴレなんざ糞食らえだ。俺は降ろさせて貰う」
「ファミリーを抜ける気か?」
反逆の言葉を証明するように、兇手は銃口を雇い主に向ける。至近からぴたりと眉間に狙いを定め、威嚇するようにリボーンは嗤った。
「何なら今ここでテメエぶち殺してボンゴレに宣戦布告したっていいんだぞ。ツナを取り返して、追っ手が来ようと全員返り討ちにしてやる」
「……リボーン」
ギラギラと殺気を漲らせる青年の興奮が、逆に老人を落ち着かせたらしかった。銃口を向けられて尚、王者の威厳を失わないボンゴレの主は兇手の若さを悼むように顔を伏せた。
……或いは、リボーンと真逆の決心をした娘を想起していたのかもしれない。
「こう考えたことはないか?我々は罪人だ。だから絶対に幸せにはなれない」
「は?何だそりゃ」
「お前が今まで人を殺し続けてきたのは仕事の為だった。私や他の誰かに依頼され、他人の大義や私欲を代行する銃がリボーン、お前だ」
「……当然だ、俺はヒットマンだからな」
命乞いや説得の類にしては話の先が見えず、リボーンは想定外の事態に困惑している。
「お前は自分の意志に拠らず人を殺め続け、責任を負わずそれで良しとしてきた。
……だから自分の意志とは無関係に我が子を失う。因果応報だ」
一瞬怪訝そうに眉を顰めたリボーンは、次の瞬間凍り付いた。
完全に事の推移を理解した兇手は、生まれて初めてその手から銃を取り落とすという失態まで演じた。
「嘘だろ……」
最後の秘密を暴露した老人は、更に重荷を背負った顔でいる。
「ツナヨシは日本に滞在している。彼女の故郷だ」
お前はどうすると尋ねる前に、リボーンは踵を返していた。銃を拾い上げる手が僅かに震えている。
「畜生!」
舌打ちだけを残し、既に老人のことなど一顧だにしていない。今の動揺しきったリボーンであれば、どんな下っ端のマフィオーソにも簡単に殺せただろう。だが九代目はそれをせず、ボンゴレを去る青年の背中を黙って見送った。
 
……九代目が兇手の怒りを逸らす為口にした運命論は欺瞞以外の何物でもない。
徹頭徹尾、養い子が自らの為に銃を握る権利を取り上げていたのは九代目当人に他ならなかった。彼が彼として殺意を行使する最後のチャンスすら、たった今潰してしまった。
リボーンには老人を恨むだけの理由がある。しかしボンゴレの為に、ファミリーを背負う老人は命を投げ出す訳にはいかない。
引き止める言葉もない。
絶対に幸せになれない、というのは自身に対して思っていることかもしれなかった。
 
 
 
 
 
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やっと三島の『春の雪』原作、本屋でパラ見してきたんですよね。今更。
聡子さんの妊娠発覚以後だけですが、したらまぁ映画と違う違う、全シーンえらい違う訳ですよ。寧ろ映画が改変しすぎという話です。映画が三文メロドラマなら、原作は電波系(笑)。主眼は悲恋そのものでなく、前途洋洋たる青年が若くして非業の死を遂げるという事柄自体にあるような気配を感じました(パラ見の分際で偉そうに…)。ほら、三島ってリアルゲイだから。青年期特有の純粋性萌え?

梓の二重パロは徹頭徹尾映画準拠ですが(しかしレンタル屋でDVD借りて一回観ただけ)、しかしその映画がこんだけ改変しまくった産物であれば、更にそれを改変しても罪は軽い気がしてきましたよ……。
という訳で、以降は映画版すら離れてオリジナル要素が強くなってくるかもしれません。いや今までも全然準拠してなかったよ!言われればそれまでですが(^_^;)