「さて、仕切り直しだ」
結局ツナの上からは退いてくれたリボーンだが、何度懇願しても部屋からは出て行ってくれなかった。仕方なく着替えを中断しブラウスの釦を留め直したツナは、制服のままリボーンの前で正座している。そうしろと命令されたのだ。
「俺の仕事はお前の成績を上げることじゃねえ」
家庭教師にしては些か問題のある前置きを挟みつつ、リボーンは円らな瞳をぴかぴかと怪しく光らせた。昆虫じみて矢鱈と恐ろしい印象になる。
「お前を立派なマフィアのボスにするのが、俺の本当の使命だ」
「は?…はあぁーー!?」
 
――いいか、お前のひいひいひいじーさんはボンゴレファミリーの(以下略)。
 
「……ということだ」
「信じられるかそんな与太話!」
「ちッ、頭の悪ィ奴だな。今の話の何に問題がある」
「仮に俺がその…初代ボスの子孫だとしてもさ?何で俺なんだよ。他の人にやってもらってよ」
「初代の血を受け継ぐ者しかボスになれねー掟なんだ。分家の有力候補三人がおっ死んだ今、ボンゴレの血を引く若い世代はお前一人しか残されてない。正直な所、適性は二の次だ」
そう説明するリボーンの方も、何を考えているか解らない表情ながら声音に呆れが滲んでいる。彼としても、唯一の後継がツナのような日本の小娘だというのは大いに不満なのだろう。
「事前調査として、今日一日の行動を監視させてもらったが……どーしよーもねぇな、テメエ」
「なっ!」
「ボス以前に人間としてなっちゃいねーぞ“ダメツナ”。難癖付けられて一言も言い返さねーってのはな、相手の言い分を全面的に認めたと見なされるんだ。学校でも、俺にぎゃーぎゃー騒いでる十分の一でも口を開いたらどうだ?」
「だって!俺の言葉遣いは変だから……嫌がられるの解ってるから、あんまり沢山喋りたくないし……」
「不快感を与えるって理解してんなら矯正の努力をするべきだ。信念があるなら堂々とするべきだ。テメエは現状に不満がある癖に、それを変える為の努力を何一つしちゃいねーんだぞ」
「………ッ」
リボーンの言う通りだ。ツナも認めるしかなかった。悲しい思いをする度に、自分は悪くないという被害者意識が心の何処かにあった。しかし、諾々とそれを受け入れていたツナにも責任の一端はあるのだ。
「それにだ。テメエ、あの山本って男に惚れてんだろ?なら何故迫らねーんだ」
「って!何で見ただけで解るんだよ!?それに山本君には京子ちゃんがいるし!!」
「奪い取るくらいの気概を見せねーと恋愛の勝者にはなれねーぞ。金と権力と暴力で欲しいモン手に入れるのがマフィアの流儀だ」
「そんな流儀は真っ平だよ!!」
「なら一遍死んでみるか?」
唐突に銃口を向けられ、しかしツナは全く対応出来なかった。最前までマフィアだ何だと言われていても、黒く光るそれはあくまでも非現実的なもので――
 
ズガン!
 
一秒もないその瞬間が、死に逝くツナにはスローモーション映像のようにひどくゆっくりと感じられた。
凝視していた銃口から何かが飛び出して、次の瞬間脳天を殴られたような衝撃。頭と視界が真っ白になり、そして勢いのまま体ごと後方に吹っ飛ばされる。
……何?俺こんな簡単に死んじゃうの?
俗に人生が走馬灯のように駆け巡るというが、死を意識した瞬間、ツナの思考は會てない目まぐるしさで動き――後悔が芽生えた。
勿体ないなぁ……死ぬ気になれば、俺……すれば良かった……
 
 
 
「――――……」
額から一筋の血を流し仰臥するツナを、彼女を撃ち殺した赤ん坊は冷静な科学者のような面持ちで観察し続けた。
数秒の間、死体はそのまま微動だにしなかったが、リボーンは冷静を保っていた。即死でも普通は暫らく筋肉の痙攣が見られるものである。それがないということは大丈夫だ。
思った通り数秒後、ツナの体は淡い光を放ち始めた。虚ろに見開かれていた眼に、徐々に明確な意志が宿っていく。溢れ出すのは生命の力。
がばり。今までが嘘のように、勢いよくツナが身を起こした。着ていた制服は脱け殻のようにその場に残され、下着だけを身に付けている。
「復活(リ・ボーン)!!!」
普段の声よりも随分とどすの効いた雄叫び。気迫の籠もる瞳、撃ち抜かれた額からは橙色の炎が燃え盛っている。
「うおおおぉぉぉぉぉ!!!」
鋭い一瞥を窓の外に向け、ツナは自室の扉を開け放つと下着姿のまま階段を駈け降りていった。
「……イッツ、死ぬ気タイム」
一人残されたリボーンは、にやりと微かな笑みを浮かべ呟く。ツナの制服を手早く纏め、遅れること数秒で部屋を後にする。玄関からはドアを開閉する大きな音と、「夕飯までには戻ってらっしゃいよー」おっとりとした奈々の声が響いていた。
 
 
 
死ぬ気のツナは尋常ではないスピードで走り続けたが、リボーンの追跡行は至極容易だった。天下の公道をブラとパンツだけを纏った半裸の少女が猛然と駈けていくのだ。目立つどころの話ではない。
唖然とする通行人の表情を辿ってリボーンが標的に追い付いた時、ツナもまた、下校途中らしい一組の男女に接近しつつある所だった。
山本とかいう奴と、その女か。
そう判断しかけたリボーンは、すぐ己の誤認に気付いた。振り返った女の方は件の笹川京子で間違いないが、連れの男は見たことのない顔である。並中の制服を着ているが、少なくともツナの同級生ではない。
人違いか?一瞬訝しんだが、それはない。死ぬ気のツナは明瞭りと、
「笹川京子ちゃん!!」
名指しで女の方を呼び止めたのだ。
「………沢田さん?」
突然現れた半裸の同級生を前に、明らかに事態を呑み込めていない顔の京子は眼を丸くした。
「今までごめんなさい!どうかお幸せに!!」
「―――ほぅ…」
大音声で京子に告げた言葉を聞いて、電柱の影に姿を隠して推移を見守っていたリボーンは思案気に眼を細めた。当人の感覚においての話で、端から見て判断出来たとは思い難いが。
身に覚えのない謝罪を受けて戸惑う京子の隣で、何故か得心のいった顔をしたのは連れの男である。
「成程!君は剣道部主将の俺に憧れる内気な子なんだな?安心しろ、京子とはまだ正式に付き合ってないから、君にも充分チャンスは……」
「うるさい邪魔だ!!!」
得意気な顔でべらべらと思い込みを語る男を、死ぬ気のツナが殴り飛ばす。
「ごふっ!」
「きゃああ!!」
「……うわっ!!」
このタイミングで時間切れが来た。死ぬ気のトランス状態を脱し我に返ったツナは、下着姿の自分と、笹川京子と、自分が殴った剣道部主将を順番に眺め、状況を認識して蒼白になった。
「きゃあああごめんなさーいっ!!」
脱兎の如く、死ぬ気にも負けないスピードでその場から駈け去る。
……何だ、運動音痴の癖に逃げ足は早いのか。
微妙にずれた感想を抱きつつ、茫然とツナの後ろ姿を見続ける京子と、殴られた顎を押さえて悶絶する男にも視線を向ける。少々考え違いをしていたかもしれない。予想とは大分違う展開だが、これはこれで面白くなってきやがった。
ふん、と一つ息を吐き、今頃半泣きで膝を抱えているだろう教え子に衣服を届けに行ってやることにした。
どうせ家に辿り着くより先に、下着でうろうろすることへの羞恥が勝って動けなくなっているだろう。今度こそ予想は的を射ている。
 
 
 
 
翌日、自称家庭教師の所為で恥ずかしい目に遭ったツナは半泣きで登校を嫌がったが、他ならぬ家庭教師に無理矢理家から放り出されてしまった。
死ぬ気弾の説明は帰宅後リボーンから聞いたが、それで羞恥が消える筈もない。撃たれた自分は嫌でも信じざるを得ないが、こんな荒唐無稽な話、弁明したって誰も信じてくれないだろう。
憂欝な気分で教室の扉を潜ったツナは、悪い予感が的中していたことを知った。
「露出狂の痴女がおでましだ!」
「剣道部の持田先輩から聞いたぜ沢田!」
「今すぐ服脱いでみせろよ!!」
「やぁだ〜〜」
「下着姿で京子に迫ったんでしょ、キモーイ!」
教室は物凄い騒ぎになっていた。常日頃から陰口を叩いている女子達だけでなく、男子達まで大声で囃し立ててくる。
思わず京子の席に目を向ければ、他の女子達にしつこく話を強請られている最中だった。彼女自身は浮かない顔で、曖昧に口を濁している。
や、山本君は……?教室を見回すが、背が高く見付けやすい筈の姿は見当たらない。野球部の朝練から帰って来ていないのだ。しかしあと数分で確実に、ツナが下着姿で町内を走り回っていた事実を知られてしまう。
そうなったら生きていけない……!!
眼を堅く瞑り、教室から逃走を図ろうとしたツナは、廊下に飛び出した所で誰かに激突した。もしかして山本君!?
慌てて眼を開ければ、何故か道着姿の剣道部員達に取り囲まれている状況。……何で?
「沢田ツナ、持田主将が道場でお待ちかねだ」
「昨日お前に受けた侮辱を晴らすんだとさ。相当お怒りだぜ」
「えーー!?」
そーいや持田先輩殴っちゃってた……!
「ヒィ!」
怯えるツナの腕を掴み、剣道部員達は急かすように涙目の彼女を連行していく。それを見てお祭騒ぎを察した同級生達や、他のクラスの野次馬までもが、予鈴も無視して我先に道場へと移動し始めていた。
「んー、何の騒ぎだ?」
「あっ、山本君大変!沢田さんが今……!!」
 
 
 
な、何でこんな状況になっちゃってんの……!!
大勢のギャラリーに包囲され、入学以来初めて道場に足を踏み入れたツナは、初めて手にする竹刀を縋るように抱き締めていた。細い足はがくがくと震えている。
「来やがったな痴女!この俺様を虚仮にしやがった報い、今ここで受けさせてやる!!」
「ひッ…!!」
竹刀を突き付けられ、引き攣った悲鳴を洩らしたツナの様子に、持田は至極満足したように頷いた。
「女なぞに殴られてそのままにしておくなど、主将の俺の沽券に関わる。よって剣道で勝負だ!!」
声を張り上げる持田に、ギャラリーからはやんやの喝采が湧き上がる。完全に見せ物感覚だ。
「でもあの、オ…私、剣道なんてやったこと……」
「貴様が初心者なのを考慮して、10分のうちに俺から一本でも取れたら勝ちとしてやろう。真の強者ならそのくらい容易い筈だ」
そんな、無茶苦茶な!!
ぶんぶんと目一杯首を振っても、盛り上がる周囲は野次を飛ばすだけで全く相手にしてくれない。
「あ、あの、昨日のことは謝りますからッ!」
「ちなみに勝負を拒否した場合は俺の不戦勝と見なし、負けた場合と同様、剣道部女子マネ兼俺専属メイドとして俺の卒業まで奉仕し続ける運命だ!!」
「えーーーっ!!?」
「問答無用!!」
ツナが抗議する暇すらなく、持田は竹刀を振りかぶり突っ込んでくる。
慌てて自分用の竹刀を頭の上に掲げ防御すれば、それを見越した動きで持田はがら空きの脇腹を横薙ぎに打ち据えてきた。
「ひゃんっ!!」
体勢を崩したツナは竹刀を取り落とし、吹き飛ばされるようにして道場の床に膝を付く。そこを容赦なく上段から持田の竹刀が襲ってきた。咄嗟に両手で頭を庇うが、ぴしりと叩かれた腕の痛みにツナは本気で泣きそうになった。
完全に蹲っている下級生の女子をひたすら竹刀で乱打するという状況の異常さに、無責任に勝負を煽っていた周囲も流石にヒヤリとするものを感じ始める。
「……おい、ちょっとアレやりすぎじゃねー…?」
「だよな……」
「メイドって何なのよ、オタク?」
「何て下衆な先輩だ……」
ある意味身内の剣道部員からも呆れた声が上がるが、持田は血走った眼で全身の至る所に竹刀を振り下ろす。既に剣道の構えも関係なく、ツナを痛め付けること自体が目的と化している。
半ば正気ではないその様子に気圧され、持田に批判的な眼を向けつつも、誰も止めに入ろうとする者はいなかった。
怖い。いやだ、こわい、誰か助けて……!
 
 
――その一部始終を、リボーンは道場の天井に近い窓に腰掛け、見守り続けていた。
そろそろ潮時か……構えたライフルの照準を非力そのもののような教え子へと調節し直す。スコープに眼を遣り、引き金を引こうとして。
 
「沢田さん……!!」
「ツナ!?」
 
アクションを一時中断した。
 
 
 
 
 
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