並盛町は今日も快晴。朝特有の冴えた空気に初夏の温みがじわりと混じり、雲一つない碧空を柔らかな風合いに染めている。
電線の上では雀達がちゅんちゅんと鳴き交わし……
「うわぁん!遅刻するーーっ!!」
突然の大声に驚いて飛び立った。穏やかな朝ぶち壊し。沢田家では平生の光景であるが。
半ば開いた玄関の扉に凭れ、スニーカーの靴紐を不器用に結ぶツナの口元へ奈々が食パンを差し出した。トーストでなく生なのは、時間の都合に加えて新来の同居人の所為でもある。
「おら、とっとと行け。俺の目の黒い内は遅刻なんて許さねーぞ」
こんがりトーストを咀嚼しながらにしては非常に明瞭な発音で、リボーンは己の生徒を叱咤した。愛銃の照準をしっかりツナに合わせているのが、言葉より雄弁な脅迫ポイントである。
「お前が俺の朝ごはん横取りするからっ!……まあいいや行ってきまーす!」
喧嘩してる間にも貴重な時間は刻一刻と過ぎていく。母の差し出すパンを啣え、横暴な家庭教師の存在を頭から追い払ったツナは制服のスカートを靡かせ走り出た。必死な形相の割には大した速度でない辺り、運動音痴のダメツナの面目躍如である。
「――マフィアの世界は弱肉強食だぞ。順風満帆じゃつまらねーだろうが」
あらあらなどと言いつつ、娘が開けっ放しのままにした門扉を閉めに行くべく奈々はサンダルに足を通す。その足元で、朝から黒スーツを着込んだ赤ん坊がニヒルな笑みを浮かべていた。
リボーンの手には先程までの銃ではなく、エスプレッソのカップが無駄な早業で持ち替えられている。
 
 
 
「遅刻ちこく〜っ!」
そんな数百年前に絶滅したラブコメの主人公か異世界の白兎しか言わないような台詞を恥ずかし気もなく口にしつつ、これまた食パンを啣えつつという古典的な格好でツナは学校までの道程を急いでいた。
寝坊+鈍足で、新一年の中でもずば抜けて遅刻回数の多いツナは、今日始業時間に間に合わなければ風紀委員の指導を受けてしまうのだ!
遅刻回数通算十回で呼び出しが決定だという風紀指導の実態は不明である。上の学年から吹き込まれた身も凍るような噂の数々だけがまことしやかに流布されて、幼気な一年生達を心底怯えさせていた。周囲に経験者がいないだけに噂が何処まで本当かは知れないが、強面の委員達に校舎裏でリンチを受け病院送りにされるとか、いやいや鬼の委員長に殴り殺され死体を学校の裏山に埋められるとか……ヒイィ怖えーー!!
鈍足ながらに自己最速スピードで足を動かし、ツナは殺される前から既に息絶え絶えだった。嫌だ、まだ死にたくない!
パンを食みながらなので喉は乾くし、口が塞がって呼吸もままならない。心臓は煩いくらいにドクドクと暴れまくり、もう色々と最悪だ。
嗚呼ごめんリボーン、俺お前のシゴキで殺される前に、多分放課後まで生きてない……。
思考が遺言モードに移行しつつあったツナは、すぐそこのT字路から飛び出した人影が全く目に入っていなかった。
「っ!?おい……」
直前で気付いた相手が目を剥くが、気付かないツナは上の空でそのまま突進してくる。
ガツン!
「ふぎゃん!!」
勢い良く正面衝突した二人は、その勢いのまま互いに弾き飛ばされ、揃ってアスファルトに尻餅をつく。
「……っっ」
特に相手側の被害が甚大だ。咄嗟に抱き留めようとして目算が狂ったのか、ツナの頭突きがモロに胸部に炸裂したらしく、上体を屈め頻りに咳き込んでいる。
「げほっ、……う゛らぁ!ドコに目ェ付けてんだテメー!!」
「ひっ!ご、ごめんなさい……!!」
物凄い剣幕で怒鳴られ、足を広げ尻餅をついた状態のまま、ツナは半泣きで謝罪した。よりによって怖そうな人にぶつかっちゃった!見覚えはないが、事故相手の少年も並中の制服を着ている。大人っぽいし髪も染めてるみたいだし、不良の先輩に違いない。
「ん?よく見りゃお前、………、っ!!?」
ツナの顔を見て何故だか表情を思慮深げなものに改めた少年は、そのまま観察するように視線を上下させ、……急に息を呑んだ。
顔を真っ赤にして、そんなに怒っているのだろうか。大きく見開いた眼が何だか血走っていて、怖い……。
「お、おい、ぱん……」
「はぁ?あ、俺の食パン!」
「!?」
何故かツナの顔よりも下方を凝視しつつ、少年は怒鳴り付けた時の威勢を忘れたようにモゴモゴと口籠もっている。不審な挙動に引っ掛かりを覚えるより先に、少年の台詞から聞き捨てならない単語を拾い出したツナは自分が啣えていた筈の食パンの存在を思い出した。
ツナの上げた大声に、逆に少年のほうが驚いたようにびくりと肩を揺らしている。不良っぽい外見の割に、意外と怖くない人なのだろうか。
ツナが慌てて左右を探せば、通学路脇の民家で飼われているチワワが門扉から顔を出し、一心不乱にツナの朝食を貪っている最中だった。
「うわぁ…まだ殆ど食べてなかったのに……」
がっくり肩を落としたツナは、
「って学校!遅刻する!!」
すぐさま現実に立ち返り顔を上げた。その脳裏を、遠目でしか見たことのない学ランリーゼントの不良軍団が、地獄の番人じみたイメージでぐるぐると駆け巡っている。
「ホントすみませんでした!それじゃ!!」
慌てて立ち上がり、すっかり恐怖感の薄れた激突相手の不良にぺこりと頭を下げたツナは、そのまま相手の返事も聞かず事故現場から走り去った。
「………………………………………みっ、水色………」
置いて行かれた形の少年はツナを呼び止めるのも忘れ、座り込んだままの姿勢で暫く茫然としていた。耳まで赤く染め、無骨なアクセサリーをじゃらじゃら付けた手で口元を塞ぎ、今し方ばっちり見てしまったツナのパンツを反芻し続けている。彼の周囲3メートルにだけ、爽やかな朝には不似合いな桃色の靄が立ち籠めている……。
 
 
 
奇跡的に遅刻を免れたツナは、しかし第二の危機に直面していた。
1年A組、朝のホームルーム。
「イタリアに留学していた、転入生の獄寺隼人君だ」
教壇の上で、眼鏡の担任教師が藪睨みの男子生徒を紹介している。転校初日だというのに、ネクタイもせず制服を乱雑に着崩しシルバーネックレスを二つぶら下げている格好で、凄まじく教室の雰囲気から浮いている。いや、それは良いのだが……。
「ちょ、格好良くない?」
「帰国子女よ!」
後ろの席の女子達が囁き交わしている内容には到底同調する気になれない。というかそれどころではない。
(嘘だろ〜〜!?朝ぶつかった人〜〜!!)
てっきり上級生だと思い込んでいたら転校生……よりによって同じクラスでなくても!
事故現場で謝った時はそんなに怖くない人かとも思ったが、不良っぽい外見、目付きは鋭くて眉間に深く皺を寄せて、もう見るからに狂暴そうなかんじだ。
染めているのかと思った銀灰色の髪は、じっくり見ると地毛のようだったが。帰国子女らしいし、外国の血が混ざっているのかもしれない。そういえばイタリアってリボーンの故郷だよな……。
他の女子達と同じように品定めしているつもりはなかったが、件の転校生とうっかり視線がかち合った瞬間、改めてツナは迫りつつある危機を思い出した。
教室の中程の席にいるツナを認識した途端、今までの不機嫌そうな顔付きが生易しく見える怒りに満ちた顔で、獄寺隼人はツナのことを睨みつけてきたのだ。顔面どころか首筋まで赤くして、全くもって怒り心頭だ。
(な!顔覚えられてる!?しかもめっちゃ怒ってる!!)
しかもツナをガン見するだけでは飽き足らず。
「獄寺君の席はあそこの……獄寺君?」
担任だって狼狽する。無言でずんずんとツナの席まで歩いてきた獄寺は、いきなりツナの机を蹴り上げたのだ。
「うわぁ!」
そんなに怒んなくてもいいじゃん!非難を込めたツナの視線は完璧に無視され、何事もなかったかのように獄寺は自分に用意された最後尾の席に向かった。
「沢田の知り合いか?」
「しっ…知らないよ!」
隣席の男子にはつい嘘を吐いてしまったが、大体ぶつかっただけの間柄で、獄寺がどんな奴なのかも知らないのだ。実際知り合いでも何でもない。ていうか怪我させた訳じゃないのに根に持ちすぎ!
「ありゃ絶対不良だな」
男子の総意は大体引き気味のそれで、女子は今の一幕を見てすら
「怖いところがシビレるのよね〜〜」
などと小声で言い合っている。ツナには理解出来ない趣味だ。
(もう、あんなの全然格好良くないよ!俺は山本君みたいに爽やかな方が……)
涙目のツナが、ちらりと山本の席に目を走らせれば。
(寝てるーーー!?)
ゴーン……。
転校生騒動など歯牙にも掛けず、机に突っ伏して爆睡している。それを見てまで山本君格好良い©などとは言い出し難いツナだった……。
 
 
 
 
 
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思い切ってアニメ的な要素を大量に盛り込んでみました。ついでにベタでコッテコテな学園ラブコメに仕立て上げてみました。
曲がり角でうっかりぶつかってパンチラなんてシチュ、エヴァの最終話と新藤崎竜の国立アンニュイ学園でしか見たことがありません。