長い梅雨の合間にも、思い出したような気紛れさで陽の差す日があるものだ。今日がそうだった。
じめじめと鬱陶しい長雨も嫌なものだが、ツナは基本的にインドア派なので大した不便も感じない。久しぶりに見た気のする蒼天を仰ぎながら、グラウンド整備に使うトンボを杖代わりに体重を預ける。こんな日、つまり体育の授業がある日に晴れて貰っても全く嬉しくない。
視線をグラウンドに戻した拍子、額から流れ落ちた汗が目に入りそうになり、慌てて腕で雑に拭った。日光に照らされ気温は高くなる一方で、にも関わらず湿気だけは梅雨らしさを忘れていない。正午を過ぎた校庭の蒸し暑さは、サウナに放り込まれたかのような有様だ。
「ツナちゃん、大丈夫?」
「う、うん!」
ツナと同じように汚れたトンボを手にして、京子が気遣わしげに訊ねてきた。おっとりとした笑顔を絶やさない彼女は、一見してこの暑さにダメージを受けていないようだが、実際は長めの前髪がしっとりと額に張り付いている。ツナは無性に申し訳なくなった。
四限直後のグラウンド一角。三々五々皆の帰っていく中、ツナと京子の二人だけがその場に居残っている。今日の女子体育はソフトボールで、京子が誘ってくれたお陰でツナは初めてじゃんけん以外の手段でチームに入ることが出来た。そして案の定ツナの所属チームが敗北し、授業後のトンボ掛けをチームの人間に押し付けられるというお馴染みの状況下で、京子だけが率先して作業を手伝ってくれている。ツナにとっては有難いことずくめだが、この友人関係は彼女に負担ばかり与えているのではないだろうか。
「ごめんね京子ちゃん……手伝って貰っちゃって」
「ううん、早く終わらせちゃおうね!」
ツナの罪悪感にも気付かぬ態で、手を動かす京子の表情に屈託はない。
「今日は久しぶりにツナちゃんとお昼を食べれるんだもん。楽しみだなぁ」
「あはは……」
獄寺隼人が日本の梅雨を甘く見ていたお陰だ。自宅に保管していたダイナマイトの大半が湿気で使えなくなったとかで、本職マフィアの転校生は昨日からイタリアに一時帰国中だった。二度と帰って来るなとまでは思わないが、居ない方が気楽に感じてしまうのは如何ともし難い。
「花も手伝ってくれたらいいのに、一人で先に帰っちゃうなんて……」
「黒川さん?」
ツナが獄寺の顰め面を思い出している間、京子は全く違うことで憤懣を感じていたらしい。ツナにはあまりぴんと来なかったが。
京子と友人になって以来それなりに親しくしているが、ツナは黒川花という少女が今でも少し苦手である。大人っぽく、且つ姐御肌の彼女には、天然気味でおっとりした京子とは違う頼もしさを感じることも多い。だとしても、気が強い女の子に対して余り良い思い出がないツナは、黒川に対してもつい身構えてしまうのだ。それだけならツナ個人の問題だが、気が重いのは持田との一件以来……。
 
「あんたたちー」
噂をすれば何とやら。
友人の登場に笑みを浮かべる京子とは対照に、ツナは思わず身を強ばらせた。
とっくに教室に帰っていた筈の黒川が体育着のまま、フェンスの隙間を潜って二人の元に駆け寄ってくる。但し、戻ってきた彼女は一人でない。
「助っ人とーじょーっ」
「やっ、山本君!?」
常と変わらぬ朗らかな笑顔を浮かべて、山本武が黒川の後をついてくる。男子の体育も既に終わっている時分なのに、何故山本が黒川と共に、しかもこんな所へ。
「その辺で暇そうにしてたから連れてきたのよ。私は面倒臭いことしたくないし」
悪怯れず黒川はそんなことを口にするが、ツナを見て意味深に目配せする辺り、その本音が別の場所にあることは疑いない。
「そそそんなっ、悪いよ!」
「いーっていーって。部活で慣れてっし、これもトレーニングだって」
余ったトンボを拾い上げつつ、聞く耳持たない山本はもう片方の手をひらひらと振った。
ああもう、京子ちゃんをダメライフに巻き込んでるだけでも心苦しいのに!
暑さとは違う顔の火照りを感じ、思わず山本から目を逸らしてしまう。と、ニヤニヤと揶揄うように笑んでいる黒川と目が合ってしまい、ついツナは彼女を恨めしげに睨んでしまった。気を悪くされるどころか、立てた親指をぐっと前に突き出し、これは激励のつもりだろうか……。黒川はツナが山本に憧れていることを知っていて、態と山本をここに連れて来たのだ。
しかも。
「じゃ、私達は先に帰ってるからね」
「ちょっと花!私もツナちゃんと一緒に……」
「ほらあんたも気を利かせなって。じゃあ沢田、私達が弁当食べ終わる前に帰ってくんのよー」
「えっ、待っ……」
ツナが伸ばした手も虚しく、嫌がる京子を引きずるように退散してしまう。
よ、余計なお世話だよ黒川さん……!!そんなお膳立ては要らない!!
「んじゃ、俺外野部分を均すから、ツナは内野をお願いなー」
「うぇ!?あっ、うん、よろしく!」
憧れの男の子に背後からいきなり(のつもりはないのだろうが)声を掛けられて、ツナは飛び上がってしまった。
うひぃ、マジで二人っきりだ!何話したらいい訳!?
声の裏返った、明らかに挙動不審なツナにも一向に頓着する様子なく、「おー」などと自然体で返してくれたのが辛うじての救いだ。ツナの駄目っぷりは同級生の山本にも当然ばっちり知られているのだが、目の前で嘆息でもされた日には改めてショックを受けただろう。
山本君て優しいんだなぁ……。慣れた調子でトンボ掛けを始めた野球少年の姿を横目で窺い、ツナは紅い頬をごしごしと擦った。まあ、この状況も悪くない、かな?
 
 
 
雨で泥濘んだ後に再度乾燥した土は想像以上に堅くなっていて、ツナはホームベースの付近の地面を均すだけでかなり手間取ってしまった。
その点山本は流石に手際良く、そもそも腕力もあるのだろう。易々と外野のトンボ掛けを終え、結局内野部分の整地も大半を任せてしまった。
「ツナは守備どこやってたんだ?」
「レフトだけど、でも、全然ボール取れなくて……」
「ふーん、左に力一杯飛ばすってことは、相手打者がすげーんだな。それか投手のボールが軽いとか」
「そう、なの……?」
話上手な山本が話題を振ってくれるお陰で、緊張しつつもなんとか会話らしきものが成立している。自分でも情けなくなるソフトボールの下手糞ぶりにも、ダメツナと馬鹿にするようなことは一切言わない。やっぱり優しいなぁとツナは思う。
「何なら放課後キャッチボールでもするか?ボールの捕り方練習しようぜ」
「ええっ!?」
それだけでなく、使い終わったトンボをフェンスに立て掛けながら、山本はそんな提案までしてきた。
「ツナが嫌なら無理にとは言わねーけど」
「嫌じゃないよ!」
快活な山本にしては潜められた声音を聞いて、慌てて大きく首を振って否定する。ぶんぶんと勢い良く首を回し過ぎて頭がくらくらしてきた。
「でも、どうして……?」
同級生といっても、ツナが一方的に遠くから眺めているだけの関係だ。教室でも殆ど接点がないし、山本がダメツナなんかを気に留めている筈がない。グラウンド整備を手伝ってくれたのは黒川に無理矢理頼まれたからだろうが、そこまで親身になって貰える意図が解らない。
「んー?深い理由はないけどな。俺、野球好きだからさ、教えてやれることがあるなら力になりたいし」
にかっと、憧れの爽やかな笑顔が、ツナ一人に対して惜し気もなく向けられている。獄寺よりも更に長身の山本と視線を合わせようとすれば、首を思った以上に曲げて見上げなければならない。山本の前では大抵伏し目がちにしていたツナは、両者の身長差を意識したことなど一度もなかった。
歩きながら自然と隣に並んで、友達みたいに話して気に掛けて貰って、何だか夢みたいな状況だ。
「山本君……」
「あ、もしかして獄寺にバレると不味いか?」
「え?」
すっかり舞い上がっていたツナは、しかし山本の続けた言葉で一気に我に返らされた。
「お前ら付き合ってるんだろ?始終べったりだし毎日一緒にメシ食ってるって、クラスの連中が噂してたぜー」
「ちっ、違う!全然違う!!」
やっぱりそんな話になってたーー!!山本にまで誤解されている現状に、ツナは頭を抱えたくなった。
「あ、そーなん?」
「付き合ってないよ!」
持田事件以来好意的になっていたクラスの女子達の態度が再び刺々しいものに変わったのも、彼女達に人気のある獄寺との仲を臆測されている所為だと察してはいた。距離を置いてくれと幾ら頼んでも、部下として振る舞っているつもりでしかない獄寺は全く聞く耳持ってくれない。
 
かなり一方的に忠誠を誓われてしまったあの日以来、ツナは獄寺への対応にひたすら困り切っていた。
授業中も背中を凝視する視線を感じるし、休み時間ともなれば態々ツナの席までやって来て、しかしむっつりと黙って見下ろしてくるだけで滅多に話しかけても来ない。そんなに不機嫌そうにしているくらいなら最初から近寄って来なければ良いのに、ボスの身辺警護を自分の義務だと思い込んでいる。
移動教室の際にツナの教科書を持とうとするのは頼み込んで止めて貰ったが、思い切り不満そうな顔をされ、非常にびびりまくる羽目になった。ただでさえ眼光鋭いのに、眉間に皺を寄せるとますます恐ろしい印象になるのだ。
そもそもここは日本で、ツナはマフィアのボスになどなるつもりは一切ない。狙われるアテなど全くないのだから警護は必要ないと幾ら力説しても、下校時はおろか女子トイレの前までついて来るのを止めてくれない……。はっきり言って物凄く迷惑。警護というより監視されている気分になる。
お弁当だって、最初はそれまで通り京子と花の三人で食べていたのだ。しかし例によって背後でツナを警護している獄寺が、自分は何も口にせず、ひたすら教室の窓枠に凭れて煙草を燻らせているのが気になって気になって……。結局、獄寺を誘って屋上で二人食べることを提案したのはツナの方なのだから、全面的に獄寺の責任とも言えないのだが。だって、昼食を抜くのは体に悪いし、堂々と教室で喫煙されるのも周囲の目が気になるし、……もごもご。
屋上なら人目に付かなくて構わないかと思ったのだが、何だかんだと皆に知られてしまっているらしい。最近お気に入りの焼きそばパンをぺろりと平らげた獄寺が、食事の遅いツナが食べ終わるのを待っている時間がまた気詰まりで、間を保たせる為におかずを時々お裾分けしていたのだが。それが恋人同士みたいに見えて誤解されたのなら、もう少し慎重な態度を取れば良かった。
ああああ自分の粗忽さが恨めしい……!!
 
「獄寺君とうちのカテキョーが知り合いらしくて!日本の学校に慣れるまで面倒見てやってくれって頼まれてて、ホントにそんだけ!!」
多少事実と異なるが、山本にマフィア云々と本当のことを話しても信じて貰える道理がない。彼の態度は恋愛感情じゃなくて単なる忠誠なんですって?……絶対無理だ!
「ふーん、……そっかそっか」
我ながら苦しい説明だったにも関わらず、何に納得したのか山本は大きく頷いて、ぽんぽんと小さい子を撫でるようにツナの頭へと手を置いた。
「ひゃぁ!」
「外国の知り合いってことは、ツナのカテキョーって外人?すげーなー」
「ま、まあね……」
「そーゆーことなら遠慮は要らねーよな!」
誤解が解けたのは嬉しいことだが、しかし。
「でも山本君、放課後は部活あるんじゃ……?」
ツナの方には問題などないが(それはもう全く!)、山本は一年春で既にレギュラーメンバーに選ばれている、野球部期待の新人なのだ。放課後は勿論練習があって、ツナの相手などしている暇はない筈だ。
「んー…まあなー……」
当然の疑問をぶつけたつもりが、途端ツナの視線を避けるようにふいと目を逸らし、何とも歯切れ悪く言葉を濁されてしまう。理由は解らないが困らせてしまったらしい。
ツナの狼狽を悟り、山本は瞬時に消えかけていた笑顔を纏い直したが。
 
 
 
 
 
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某野球漫画のクソレフト氏の所為で、一番下手な人の入るポジションみたいな偏見が芽生えつつあります(嘘)。