ツナが心配した通り、獄寺は山本に喧嘩売る気満々でいた。殺意の半歩手前で、辛うじて足踏みしている。
「なぁごくでらぁー、用って何なんだ?」
案外大人しく連れ出された山本は、のんびりとした調子で尋ねつつ、欠伸を噛み殺したりなんぞしている。全くもって緊張感の欠片もない。
獄寺は水気を含んで額にへばりつく髪を掻き上げ、同時に目付きをますます険しいものにした。この悩みの一つも無さそうな、能天気そのものの顔。これを買い被っているらしいヒットマンには悪いが、マフィアの世界に到底向いているとは思えない。同い年のクセに、俺より身長が高いっつーのも気に食わねぇ。
「ん〜〜」
屋上に来い、と一言告げた時以来、ひたすら黙りを決め込んだまま自分を睨み続けている獄寺への対処に、山本も流石に困ってきたらしい。今のところ雨足は弱いが、傘も無しに長時間濡れていたい趣味の人間は多くないだろう。級友に向ける朗らかな笑顔が、次第に苦笑のそれへと変わりつつある。
「お前、牛乳飲んだ方がいいんじゃね?イライラにはカルシウムが効くんだぜー、背も伸びるらしいし」
「〜〜っ!!」
な…っ、なんつームカつく野郎だ……!!
丁度気にしていた矢先に身長のことを口にされ、山本への悪感情は高まるばかりである。超能力じゃあるまいし、タイミングは偶然だろうが腹立たしいには違いない。
……獄寺は与り知らないことだが、眉間に深く皺を寄せた己が探るような眼でじろじろと目線を上下させていたのを、山本はちゃんと把握していた。
ついでに、今現在ごく自然に山本が上体を凭せている緑色のフェンスが新品に変えられた経緯を知れば、その並々ならぬ度胸に認識を改めたかもしれない。好感度が上がるかは別の問題として。
畜生、俺だって中一にしちゃ低かぁねーんだよ!テメーが育ち過ぎなんだこの老け顔!!
段々怒りの方向がズレつつあるのには無自覚で、獄寺の手は懐を探り始める。火薬も導火線の方も、耐水に優れたものを先日入手したばかりだ。リボーンには後で叱りを受けるだろうが、試験など受けさせる前に始末してしまいたい……。マジで殺っちまうか?
「何とか言えよなー、ハハハ」
笑声が耳障りだ。獄寺の苛立ちを知りつつも、山本の態度にそれを考慮する素振りは全くない。全身に殺意を漲らせて、スモーキン・ボムの二つ名に相応しく少年は紙巻き煙草を口に啣えた。シルバー製のごついライターは、装身具の趣味と一脈通じるデザイン。
「ん?連れ煙草なら勘弁なー。部にバレるとやべーし」
「いい加減にしろよ手前ェ!!」
よく考えれば理不尽な台詞を吐きつつ、獄寺が両手にダイナマイトを構えたところで。……鈍い金属音を立て、階下とを隔てる扉が押し開かれた。
ガィィン……、
「獄寺君!って、ぎゃあああやっぱりィーー!!」
「十代目!!?」
扉を開けるなりサイレンじみた声音で絶叫したツナを確認し、目を丸くした獄寺の脳裏から一瞬山本の存在が抜け落ちる。
「ちょっと、何してるの!?お願いダイナマイト仕舞ってーー!!!」
「はぁ……」
駆け寄る主の剣幕に押され、眉を顰めつつもダイナマイトを構えていた手を下ろす。
 
 
得物を完全に手放しはしない少年に口を尖らせ、しかし重ねて注意する勇気もないツナは恨めしげに自称部下を見上げた。万一逆上されたら怖いので、獄寺から微妙に距離を取って足を止める。
一時的に二人の視界から外れた山本は、ゆっくりとフェンスから身を起こした。ツナが獄寺に向かい、脇目も振らず駆け寄った刹那は表情を硬くしたが、すぐに苦笑じみた元の顔付きに戻っている。
「あのね、山本君はこないだ屋上で……」
ちらと窺うようにツナが横目を向けてきた時には、山本は彼女を安心させるように、軽く左手を上げて挨拶さえしてみせた。
「よぉ。獄寺の用事って、ひょっとしてツナ絡み?」
「ええと、その、何て言うか……」
ツナは困った。確かにそうだが、下手な説明をしてツナまで獄寺とグルになって山本を困らせようとしているなどと誤解されるのは不本意だ。
つい獄寺を仰ぎ見るが、先程咎められたことで気分を害したのか、視線が合った途端ふいと顔を逸らされる。単に獄寺は主の勘気を蒙ったと畏縮しているだけなのだが、リボーンサイドの獄寺にツナのフォローをする気は無いのだろう、と誤解したままにツナは肩を落とした。
ああもう、どうやって誤魔化したらいいんだろ……。
「俺が獄寺を使いに遣ったんだぞ、山本武」
まるで助け船のようなタイミングで寄越された声は、実際はツナの一番恐れていた災厄の到来を告げている。
「リボーン!?」
あああああ遅かったーー!!気配がないから気付かなかった!!
先程からそこに居たような顔をして、態度ばかりは大きい赤ん坊ヒットマンがツナの足元に佇んでいる。一人だけちゃっかり傘持ちで。
鈍足のツナが屋上に辿り着いていて、この人外じみた家庭教師が現場に居合わせない筈がないのだ。
「小僧、面白いカッコしてんのなー。ツナの弟?」
「ちげーぞ。俺はあいつの家庭教師だ」
無闇に偉そうな立ち居振る舞いは山本に対しても健在だ。校内に子供が入り込んでいることを咎めもせず、わざわざしゃがみ込んで相手してくれているというのに、リボーンの態度には子供らしさの欠片も見当たらない。
もうお終いだ……。
へなへなと崩れ落ちそうになったツナを、咄嗟に獄寺が腕を引いて助け起こす。手持ちのダイナマイトをつい床に取り落とすくらい獄寺は動揺したが、違う理由でツナも動揺しまくっていた為、悪童の挙動は主の注意を引いていない。
「あの、山本、くん……?」
「ハハハ、これが噂のカテキョーか。よろしくな!」
「チャオっす」
ええー…ナチュラルに納得しちゃってる……?
年端もいかない赤ん坊が黒スーツを着ていることも、流暢に喋って家庭教師と名乗っていることも、山本には気にならないらしい(何で!?)。何故か和気藹々と挨拶を交わしている。
「けっ」
獄寺が毒づいて、支えられるまま茫然とフリーズしていたツナも我に返らされた。そうだ、蚊帳の外にいる場合じゃなくて!
「おいリボーン、やめ……」
「こんなに小さいのに偉いなー」
「ふん、あれを鍛えるのは流石の俺にも一苦労だが、ボンゴレファミリーの依頼だからな」
ええーー!完璧に俺の存在無視……!?
ツナも当事者の筈なのに、この扱いは何なのだろう。勢い込んで割って入ろうとした教え子をいなす手間すら省いたリボーンは、完璧に己がペースでさくさく話を進めている。
「ファミリーって?」
「ツナはマフィアの十代目ボスになる女なんだぞ」
「うわあああぁぁぁぁあ言っちゃった!!?」
「ちっ………」
頭を抱えたツナと舌打ちをした獄寺は動機こそ全く違うが、リボーンの発言に顔を歪めたのは同じだった。
「へえ、女ボスかぁ。かっくいー設定だな!」
んん?あれ、今何か違和感が……。
「で、そのマフィアごっこには獄寺も参加してるのか?」
ツナの疑問は続く山本の言葉で氷解した。
こ…っ、子供のごっこ遊びだと思ってるーー!!?
リボーンもそれは見て取っただろうに、何食わぬ顔でしれっと頷いている。
「ああ、そうだぞ」
リボーンと山本、二人の注目が自分へと向かうのを感じたツナは口元を引き攣らせた。正確にはツナと並び立つ獄寺を視線で一撫でして、山本は何かに納得したように喉の奥で低く唸っている。
「んだテメェ、俺が十代目の右腕で文句あんのか、あ゛ぁ!?」
「獄寺君!!」
「いや、文句っつーか……」
ガラの悪い獄寺が藪睨みで凄もうとも、一向に堪えた風もない山本は軽い調子で「うーん」などと言っている。その軽いノリで、
「俺も混ぜてくれねーか?そのボンゴレファミリーってのに」
「えええええーー!?」
山本の口から出た台詞を聞いて、ツナは本日何度目か判らない叫びを上げた。
 
 
無意識にふらふらと、ツナは事の重大性を全く理解していない同級生へと歩み寄った。山本は何が楽しいのか満面の笑みだ。
「ヤバいよ山本君、考え直した方が……」
「んー?何か面白そうじゃん、マフィアごっこ」
「だっ……!」
だからごっこ遊びじゃなくて!と説き伏せたいが、折角バレていないのに事実を白状してしまって良いものか。
ツナの葛藤など全部お見通しに違いないリボーンは、唇の端だけでニヒルに笑んでみせる。嫌味な奴だ。
「マフィアにはそれなりの能力が求められるからな。入ファミリー試験に合格したら仲間に入れてやろう」
「お、本格的なのなー」
山本はすっかりノリノリだ。
「リボーン!だから山本君は腕治ってない……」
「ついでにお前も試験受けやがれ。ボスとして手本を見せるんだぞ」
「なっ……!」
自分の説得が家庭教師に通じた例しなど一度もないが、まだまだその横暴さを甘く見ていた。
背に山本を庇うような態勢のまま、眼前に拳銃を突き付けられたツナは後退りした。ぶつかる寸前まで下がってきた少女の肩を山本が無傷の片手で受け止め、傍観していた獄寺は
「なっ!」
ツナとはやはり全然違う動機で絶句する。
「俺の攻撃を一定時間避けきれたら合格だ。いくぞ」
「ヒィイイイイイーー!!!」
「ははっ、面白ぇーな!!」
宣誓と同時に耳の脇で唸りを上げた銃弾に心底戦慄し、未だ遊び感覚の山本と共にツナは逃走した。下手をしたら殺される!!
「いい加減にしてよーーっ!!?」
逃げ惑うツナの頭上をナイフが通過していった。怖ぇーー!!
山本の身長だと命中すれば脳天に突き刺さる。それをひょいひょいと首を曲げることで避けきって、先行していたツナを追い越した。
「ツナ、左!」
「え、うわぁああ!?」
反射的に左へと進路を曲げれば、踵のすぐ右に物凄い勢いで突き刺さるナイフ。
「しっかしあの小僧、いい肩してんなー」
自分への攻撃とツナへのそれを同時に見切って、尚且つリボーンに対し感心するだけの余裕がある山本は、ツナの考えていた以上に凄い。
片腕にギブスをしたままでは体のバランスを取り難いだろうに、走りながら命一杯上体を前に倒して襲い来るナイフを避け、つんのめることなく俊敏に体勢を立て直す。ツナは目を丸くした。
「まずまずの身体能力だな、山本」
明らかに浮き浮きした声で感想を呟き、リボーンは次いでボウガンを取り出した。巨大な目が爛々と輝いている。単に思う存分武器を扱えて楽しいだけにも見える。
ひゅんひゅん。
「嫌ーーー!!」
足元に突き刺さる矢。ナイフ以上のスピードで飛来してくる、しかもリボーンは装填から発射にかける時間のロスが異常に短い。対応出来る人間なんているのだろうか。……山本は余裕で避けている。凄い。
リボーンの方を振り返りつつ疾駆し、フェンスの端に追い詰められることなく、時折ツナに指示も飛ばしてくる。その影を縫い止めるように刺さった矢が直線に軌道を描いた。ストトトト。少しでも足を緩めれば串刺しだ。
「しかし最近のおもちゃってリアルなー」
「おもちゃ!?」
 
 
 
 
 
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