「今日は台所貸してくれて有難う」
「私達頑張りますね!」
沢田家の台所に立つ二人は、腕まくりしつつ綱吉に笑いかけた。
「ううん、こちらこそごめんね、何だか催促してるみたいで」
京子とハルは制服の上に持参したエプロンを纏って、出陣前の気合い充分といったところ。家庭的と称すには溌剌としすぎな二人の様子ではあるが、京子は勿論、言動が突拍子もないハルも結構な美少女なのだと実感してしまうのはこういった時だ。
「ううん、私達も作るの楽しいから!みんなに喜んでもらえて嬉しいな」
ねー、とハルと顔を見合わせて京子は笑う。いつも明るい彼女だが、今日は特に笑顔の大盤振舞だ。やっぱり京子ちゃんは可愛い……。綱吉は否が応にも舞い上がってしまう。
実のところ、今日は一緒に下校出来るのではないかと少し期待していた綱吉である。生憎と京子は材料を一旦家に取りに帰る必要があり、今し方兄を荷物持ちに連れて沢田家を訪れたばかりであったのだが。
「チョコフォンデュも良かったですけど、あとでお父さんが羨ましがってたんですよねー。今年は小さいやつを沢山作りませんか?」
「そうだね、余った分は持って帰れるもんね」
自分達の為に腕を振るってくれるというだけで充分に幸せだ。あっさりと気持ちを切り替えて、綱吉は少女達のはしゃいだ会話を見守った。
「あ!男子の皆さんは完成品を見てのお楽しみですよ!スパイ行為は禁止です!!」
「じゃあ俺達はツナの部屋で待たせてもらっかなー」
「テメエが仕切んじゃねえよ野球馬鹿!」
ハルの宣告を受け、綱吉の背後では毎度お馴染みの、多分に一方的な罵り合いが勃発している。
綱吉とここまで一緒に帰ってきたのは、京子ではなく山本だった。
朝礼が始まる前から昼休み、10分間の休み時間に至るまでひっきりなしのバレンタイン攻勢を離れた場所から見守り、これは放課後も無理かもなあ……と、綱吉は半ば山本の参加を諦めていた。いたのだが、何故か綱吉が帰り支度を終えたばっちりのタイミングで、
「んじゃ、帰ろうぜ」
肩に手を置いた山本である。見れば廊下にまで溢れんばかりだった女子達の姿が何時の間にか消えている。下駄箱に辿り着くまでにも何人かの女子に呼び止められてはチョコレートの包みを渡されていたが、あっさりと受け取っては先を進む綱吉にすぐ追い付いてきた。実に手際良いというか如才ないというか、……貰い慣れている。
「にしても凄いよね、その袋」
人が一人隠れてるんではないかというようなサイズの頭陀袋が階段下に放置されている。山本が持ち込んだものだ。袋に満載のチョコレートを担いで歩く山本の姿は、太陰暦でクリスマスを祝うサンタクロースの如きであった。
「ははっ、材料が足りなくなったら溶かして使えるよな」
「まぁたそんなこと言ってー」
山本の冗談に綱吉は笑い返し、すると獄寺は一瞬泣きそうな顔をした後、気を取り直したように山本を睨み付ける。
女子を恐れるあまり学校を欠席し、かなり早い時間から獄寺は綱吉達の帰りを待っていたらしい。ビアンキを恐れて沢田家の中にも入れず玄関先で寒そうに足踏みしていた獄寺は、綱吉達の帰宅を絶望的な表情で出迎え、以来ひたすら山本に突っ掛かり続けている。また例によって右腕がどうとか考えているのだろう。
時折ちらりと綱吉を見てはそわそわと挙動不審にしているが、その理由も大体想像がつく。
「……どうしたの?ツナ」
「ううん、別に?」
獄寺が台所に入ってこれない原因たる、ビアンキについてだろう。リボーンとダイニングテーブルに向かい合って珈琲を啜っている彼女は、今年は綱吉の説得の甲斐あって弟子の成長ぶりを見守る師匠というポジショニングに撤し、直接チョコレート作りには参加しないことに同意してくれてはいる。
しかしなあ……。多分に気紛れな彼女のこと、和気靄々とお菓子作りに精を出す京子達を見ていて、自分でも作ってみたくなる可能性は非常に高い。訝しげなビアンキに愛想笑いを返し、次いで足元に視線を向ければ。
「巧克力!情人節!!」
子供用の小さなエプロンを一丁前に身に付けたイーピンが――今年はイーピンもチョコ作りを手伝うつもりらしい。微笑ましいのだが、ビアンキが見るに見兼ねて手を出してしまう恐れも加速度的に上昇する。それで命の危険に晒されるのは自分達男性陣だ。
大丈夫だからね獄寺君。宥めるように綱吉は背後の獄寺に笑いかけた。君達の命は俺が守るから!ボスとしての責任感に溢れた笑顔に、獄寺も途端表情を輝かせる。何故か頬を紅く染めているが、感動か何かの表象だろう。綱吉は何とかして台所に居座り、ビアンキを監視するつもりだった。
「ね、俺はここに残……」
ガシャーン!!
仕組んだようなタイミングで、二階から聞こえてきた破壊音。綱吉の言葉は中途で消えた。
「何だ!?」
「十代目のお部屋みたいです!」
「そんな…!!」
綱吉の部屋にはランボとフゥ太の二人がいた筈だ。今聞こえたのはガラスが破砕されたような音で、ランボ辺りがふざけた挙句に怪我をしてしまったのかもしれない。小さい子達の安否を心配して、獄寺と山本を無意識に押し退けた綱吉は階段を駈け上った。その二人もすぐに後を追い掛けてきている。
「どうし――えええ!?」
「ちょっと、窓の鍵閉めてるなんて君どういうつもりなの」
「ヒバリさんーーーーー!?」
「何?」
ランボとフゥ太は部屋の隅で小さくなっている。見たところ怪我はない。しかし、何故自室の中央で雲雀恭弥がトンファー構えて仁王立ちしているのだ?守護者を召集って、リボーンの奴ヒバリさんにまで声掛けたのかよ!?
「そっちが呼んだ癖に締め出そうとするなんて随分良い度胸だね。何様のつもり?」
「玄関の鍵は開けっ放しでしたよ!」
「はぁ?不用心じゃない、すぐ施錠してきなよ。ついでに温かい紅茶淹れてきて」
「………………」
駄目だこのヒト相変わらず話が通じねえ!!
どうやら窓ガラスをトンファーで叩き割って侵入したらしいが、行動原理が全く不明だ。頭を抱える綱吉は
「んー?ヒバリじゃん」
「テメエ……」
後ろから部屋を覗き込む友人二人の存在を思い出した。雲雀のインパクトが強すぎて一瞬忘れていたのはご愛敬だが、しかし、まずい。獄寺・山本と笹川了平の三人ならば自分がいなくとも何だかんだと上手くやっているようだが、ここに雲雀を加えるのは流石に無理だ。指輪を受け取って以降は雲雀も問答無用で攻撃してきたりはしないが、自分が目を離したが最後、この面子で暴力沙汰にならない訳がない。
「ご、獄寺君は俺についてきて!山本はチビ達が怪我しないようにガラス除けといてくれる?雲雀さん、紅茶淹れてくるんで少し待ってて下さい!」
「わかりました!!」
「りょーかい」
「早くしなよね」
「ヅナ゛ぁ〜…」
「早く帰ってきてね、ツナ兄……」
半泣きの子供達には心痛んだが、心得た顔の山本にひとまず後を任せ、綱吉は獄寺と共に階下へ戻る。一時的に獄寺と雲雀を引き離してはみたが、これからどうするべきか。綱吉の体は一つだが、このままでは台所と自室の両方に監視が必要である。
「じゃあ獄寺君。京子ちゃんのお兄さんが庭でシャドーボクシングしてる筈だから呼んできてくれない?」
「かしこまりました!!」
どうせ獄寺はビアンキの居座る台所には入れない。主から命令を受けるというシチュエーションに大はしゃぎで獄寺は鍵の掛かっていない玄関から庭に出ていき、綱吉の方は溜息を吐きつつ台所へ紅茶の用意をしに行った。ついでだから全員分淹れてしまおう。
事情を話せば京子とハルもチョコ作りを中断して手伝ってくれ、人数分のカップに紅茶のティーバッグと熱湯が投入される。悠長に葉を蒸らす手間をかけて、雲雀の忍耐をぶっちぎるのは恐ろしすぎる。
「ねえ、ビアンキ」
ティーバッグの紐を釣り人のようにくいくいと弄びつつ、気軽な調子を装って綱吉は背後を振り向かぬまま声を掛けた。
「ビアンキはリボーンにチョコ作ってあげないの?」
「あら、それもそうねえ……」
ちらりとダイニングテーブルの様子を伺えば、ビアンキは思案するように頬に手を当て、リボーンは微妙に眉を上げて綱吉の真意を探ろうとしている。一瞬合った視線を、綱吉はすぐに逸らして紅茶に向き直った。程良い色味が付いている。
「うちの台所は使えないけど、獄寺君の部屋なら本人今うちに来てるしキッチン空いてるよ?二人で行ってきたら?」
「ツナにしては良いことを言うじゃない。あなた達、私がいなくても大丈夫かしら?」
「はい、頑張ります!」
少女達の裏のない態度が決定打になったらしく、ビアンキは存外あっさり監督業を諦めてくれた。これで台所を警戒する必要はなくなる。
「さ、行きましょリボーン」
「フン……なかなかやるじゃねえかツナ。口八丁で敵を丸め込むのもボスに必要なスキルだぞ」
ビアンキは恋する乙女モードでうきうきと席を立ち、ダシにされたリボーンも怒りはしていないようで、ダメ生徒を珍しく誉めるような口振りである。
「って俺、ボスには……」
「今更何ぬかしてんだ。俺はいねーが精々健闘するんだな」
ビアンキに抱き上げられ、運ばれつつ面白がるような笑みを浮かべる家庭教師。何となく不穏なものを感じた綱吉が呼び止める前に、ガラス片の入ったゴミ袋を手に階段を下りてきた山本が先にビアンキと話を始めてしまう。
「あれ、ねーさん出かけるんスか?」
「リボーンの為のチョコを作るのよ」
「ならこれ、材料に持ってってください」
「山本さっきの発言本気だったのーー!!?」
女子達の想いが籠められている筈のチョコレートを特大頭陀袋から無造作に取り出し、十個二十個とビアンキに渡していく。リボーンへの不審も脳裏から吹っ飛んだ綱吉のツッコミはスルーされ、片腕にリボーン、もう片腕にレオンが変身した風呂敷に包んだチョコレートを抱えたビアンキは、意気揚揚と沢田家を後にした。
「ま、いいのかな……」
「ツナ、紅茶運ぶの手伝おっか?」
爽やかな山本の笑顔を見ていると、チョコの横流しも大して罪のない行為に思えてくる。
「ごめんね、色々やらせちゃって」
「そーいや獄寺は?」
「獄寺君はお兄さんを呼びに……」
何気なく玄関の扉を振り仰いだ綱吉は、そのまま硬直した。……またか。
「おい沢田!何か知らんがタコヘッドが苦しんでるぞ!!」
「ぐええぇぇ……」
「獄寺君大丈夫!?」
玄関前でうっかりビアンキと行きあってしまったらしい。口から泡を吹き、笹川兄に肩を貸されて玄関を潜った白目の獄寺に、綱吉は慌てて駆け寄った。
その間山本は京子が盆の上に乗せてくれたティーカップを盆ごと受け取りつつ、
「………使えねー奴」
密かにぽつりと呟いていたが、山本の内心は綱吉を始め、誰の耳にも届いていない。