政庁からはやや離れた回廊を、小走りに進む人影二つ。足の指を摺り合わせる不格好な歩き方をも優雅に見せる彼らの挙措は、育ちの中で身に着けたものである。
「お仕事にはもう慣れましたか?」
「は、はいっ!お陰様で先輩方には良くして頂いてますし……」
而立の歳と見られない己の容姿を日頃は大層気にしているのを失念したか、頬を紅潮させた今の陳羣はどことなく幼い。そんな後輩官僚の上擦った声を微笑ましく眺めるように、荀は僅かに首を傾けて目を細めた。
「そう、それは良かった」
天仙にも喩えられる彼の人の、労りに満ちた微笑みを向けられたのだ。舞い上がったとしても誰も責めはしないだろう、と陳羣自身が固く信じている。しっかりと地に足が着いているか自分の事ながら心配になって、こっそりと下方に視線を向けた。裾を上げて足許を確認したかったが、はしたないので自制する。
「曹掾は元々協力して行う業務は少ないですからね。即戦力なんですから遠慮しなくてもよろしいのですよ。他国で見聞を広めた方のほうが、人を見る目はあるかもしれませんね」
「はい、頑張ります!!」
「うちの特色や主公のお好みなどを考慮する必要性はありますが、特に決まった基準はないのですから。長文どのはご自分の信頼出来ると思われる方を推挙してくださいね」
「はい、頑張ります!!」
人材推挙の達人とも言われる人からの助言である。抑揚含めて一字一句聞き漏らさぬ程に覚え込もうと、全身を耳にする。
目線は殆ど同じ高さだが、意識上では雲の上の人に近い。彼の人生の中でようやく訪れた春、憧れの人と近しく会話を交わせる幸せを、有頂天になりながら陳羣は噛み締めていた。
そもそもファン歴が長いのである。陳羣が司空西曹掾属として曹操傘下に入ったのはこの年の春からであるが、そもそも許は彼の生まれ故郷であった。
長じてからは戦乱を避け地方に逃れていたが、近隣の潁陰県出身の荀とはその頃からの知己である。祖父や父に連れられて訪れた荀家で出迎えてくれる優しい人は、幼い陳羣の中で、兄代わりとも言える憧れの存在であった。
荀はその縁故もあって、陳羣を曹操に推挙してくれた。尚書令の業務に加え、曹操の副官として政務全般を統括して尚書台と司空府を往復する多忙な日々を送っていながらも、暇を見付けては何くれとなく陳羣の世話を焼いてくれる。今日のように、日頃は用もなくて訪れない司空府以外の場所を案内してくれたり、東西曹掾以外の他の部署の人間を紹介してくれたりするのである。
「私が呼び付けておいて、長文どのを司空府で不自由な目に遭わせるわけにはいきませんでしょう?」
荀は当然のことだと微笑うが、彼のその責任感や面倒見の良さも陳羣が尊敬して已まぬ部分の一つであった。
「……すみませんが、道を譲って頂けませんでしょうか?」
「お、長文…どの。久しぶりですなぁ。尚書令どのも」
耳障りな甲高い音に夢想を破られ、不快感に陳羣は眉を顰めた。それに被さるように掛けられた声には聞き覚えもあり、何事かと振り向く。
背後には、案の定でっぷりと太った宦官が態度だけは慇懃に頭を下げているのと。それに先導されているらしき、宮中には不似合いな雰囲気を醸し出す男三人。先頭の愛嬌ある顔立ちの男は満面に笑みを浮かべており、後ろの屈強な二人は護衛なのか渋い表情で直立している。
「すみません、もう少し端に寄るべきでした。……これは劉豫州どの、ご機嫌よろしゅう」
なんで宦官なんかに頭を下げるのだと文句を言う前に、荀が先頭の男――劉備に礼を執ったので、陳羣も慌てて頭を下げた。
「ご無沙汰致しております」
「いやいや、徐州に居た頃より楽しそうだ。今の水が合ってるのでしょうな。……」
にこにこと、旧主であった男は気さくに笑いかけた。と、ちらりと陳羣のやや後方から劉備一向に対峙する形になった荀に思わせぶりな視線を向ける。それは荀も同じで、間を測るような奇妙な沈黙が一瞬訪れた。
「……こちらにお渡りということは、これから参内ですか」
意を決したように口火を切ったのは荀である。とは言っても平常通り、僅かに口元を上げた穏やかな佇まいで、緊張の様子など見られない。今の沈黙は偶然だったのかと、傍で見ている陳羣は首を傾げた。
「ええ、陛下が劉皇叔をお待ちかねで……」
「ちょっと立ち話ぐらいイイじゃないですか。いやいや、皇叔なんて、こんな庶流の田舎者には過ぎた呼称です」
割って入ろうとした宦官を笑顔のまま黙らせて、へらっ、と音のするような愛想笑いを劉備は浮かべた。
「そんな。陛下は豫州どののようなお身内が出来てお心強いのでしょう。豫州どののおかげで陛下もご無聊を紛らわせておられるようで、私も感謝しておりますよ」
「いやいや、勿体ないことです」
どこか相手の顔色を窺うような劉備と、居住まいを正した荀。和やかな遣り取りが交わされて。
「関将軍と張将軍はお久しぶりですね。張将軍はお髭を剃られたのですか?」
荀から突然話を振られて、劉備の護衛は目を白黒させた。
「………張?」
陳羣は目を見開く。尚書令ともあろう人が身分の低い武人に直接声を掛けるのにも驚いたが、その武人が張飛であるとは気付かなかった。
関羽と張飛の二人は劉備の義弟だとかで、徐州で陳羣が仕えていた時も常に劉備の傍に張り付いていた。大して興味もないので言葉を交わしたこともなかったが、確か張飛の顔には一面に虎のような鬚が生えていた筈である。
「いやー…、俺らしくないかとも思ったんたけどよ、やっぱ宮中歩くには見苦しいかもしんねえし。小兄者みたいな立派な髯ならともかく、俺の剛毛だろ?」
「以前の様子も、歴戦の勇将らしくてご立派でしたよ。今のお姿も、印象が変わって涼やかですが」
「おう良かったな、益徳」
褒められて、意外と素顔は若々しい張飛は照れたように頬を掻いた。大きく円らな目が居心地悪そうに宙を泳いでいる。
関羽は独りむっつりと、そんな義弟を睨んでいる。
「あの、そろそろ……」
「ぶーんじゃーくどのっ☆」
苛ついた宦官が急かすのを掻き消すように衆目を集めた狼藉者は、背後から荀に抱き付いた。
「なっ!」
「……奉孝」
陳羣の怒声と荀の叱声を何処吹く風と受け流し、郭嘉は手を離さないまま劉備一向に笑顔を向ける。
「ちわっす!今日も耳が長いですね左将軍どのっ」
「はははは」
「奉孝、豫州どのに失礼でしょう」
劉備は愉快そうに笑うが、荀は人を馬鹿にしたような郭嘉の態度に眉を顰める。
「だって、左将軍は主公のお気に入りだしー?もう身内みたいなもんじゃーん?」
無言で、ギッと背後を睨み付ける。と、呆れたように眉尻を下げて、荀は失笑した。
「……何の用ですか」
「うん、主公が文若どのを呼んでるんですよ。長文どのには悪いケド」
「ならそろそろ、我々も陛下に参内して参ります。お待ちかねでしょうし」
如才なく、劉備がこの場を治める。
「そうですね。お引き留めして申し訳ございませんでした」
「こちらこそ、機会があれば是非一度、ゆっくりとお話してみたいものです」
田舎臭いおやじといった雰囲気そのままにぎこちない礼を執ると、劉備は義弟達を従えて回廊を小走りで去っていった。
声が届かなくなった距離を見越して、荀は溜息を吐く。
「嘘でしょう、主公がお呼びだとは」
「はい」
臆面もなく頷く郭嘉に、今の今まで我慢していた陳羣かキレた。
「……っ!なんなんですかあなた!!!」
ぶんっ、
怒鳴り飛ばすや否や、拳を握って郭嘉を殴りつけた。
荀から離れると、それをひらりとかわして郭嘉は笑う。
「なんだ、助けてやったのにさ。やりにくそうだったじゃん、二人とも」
「そういう問題じゃありません!大体二人ってなんですか?」
こういうちゃらちゃらした手合いが陳羣は一番嫌いなのだ。いくら有能で曹公のお気に入りだろうと、こういう人材だけは推挙したくない。
「長文どのと文若どのでしょ?」
確かに陳羣は、見捨てた結果同格になったという形になる旧主に、どう接していいか戸惑っていた。しかし荀は?
視線に気付くと、荀は困ったように眉尻を下げて苦笑した。
「……ねえ、この際ですから主公に伺候しましょうか。長文どの、折角ですけど見学はまたの機会でよろしいですか?」
「は、はい」
異存があろう筈がない。が、新来の上に生真面目な質もあって噂話に疎い陳羣には、荀の苦笑の意味は解らない。
自分の知らない所で何かが進行しているような、なんとなく嫌な感覚を覚えて。
陳羣の中に僅かな痼りが残った。
〈続〉
はい、日記でも書いてた建安四年モノ。図らずも「無明長夜」の直後からのスタートになりました。連作っぽくて良し(?)。
でもかんなり有名&オイシイ時期なので、ネタにして書いてる人多そうですよね(^^;
一応魏国軍師どもの内部事情みたいなブツに主眼置いていきたいので、有名なシーン端折ったり、既成の色々とは多少毛色変えたいとの野望は持ってますが……まあ心意気だけ買っといてください(苦笑)。
演義二十〜二十一回と横光『三国志』の15巻、『蒼天航路』の12巻再読しましたけど、どちらかっちゅーと横光風に書きたいかも(笑。演義と何が違うんだ)。だからといって董承が前屈みに歩いたりはしませんが(死)。
なんでこの時期かというと、オールキャラちっくに出来るのと、そろそろ魏国ホモ書きたいからなのでした(爆死)。
恒例?のちょっと解説。
ご存じの方も勿論いらっしゃるでしょうが、而立というのは30歳のこと。『論語』ですね。不惑(=40歳)の方がよく使いますが。
陳羣は来てすぐ、司空西曹掾属に任命されてますが、これは司空府内の官吏登用に当たる官です。清流名士のネームバリューからくる人材ネットワークを期待されたのでしょうね。才能より家柄ってかんじで身も蓋もないですが、能力未知数の段階で即戦力にしようと考えれば、曹操も妥当な人事してますのか。
あと、ふと思うんですけど、尚書令の業務。一応皇帝秘書という風に説明しましたが。秦で始めて置かれた時は天子・朝臣間の文書授受係だったのが、後世では中央政府の首位。
漢では政治のトップは三公だったのが、魏晋では三公が閑になって尚書が実際の中央官庁になった…と宮崎市定が書いてた気がします。
確か、官吏の考課や宮中の文書発布を司ってる筈ですが……魏で、制度としておおっぴらに執政してるんなら、建国前の荀時代から実際に官庁取り纏めてたんでしょうねえ。形式が現実に合わせて改正されるのは良くあること。
この人の代から?とか妄想すると、なんかとてつもない影響な気が致します。(^^;