荀に対するのとはまた別種の緊張に顔を強張らせた陳羣が退出するのを見届けてから、荀は鋭い目を上座に向けた。
重ねた席の上で寛いでいた曹操は、視線に気付くと天井を眺め、次いで助けを求めるような眼差しを、荀の対面の坐床に座る郭嘉に送る。
くつくつと、下を向いて笑う郭嘉に非難を浴びせたのは、しかし曹操ではない。
「……奉孝。出来ればあなたも退出してくれませんか」
「 “出来れば” なら、しなくても良いんですよね?」
言葉の揚げ足を取れば、不快そうに荀は柳眉を上げた。しかし重ねて何か言うことなく、郭嘉の存在を無視する形で再度主君に向き直る。
「主公」
「ん?なんだ、文若」
この場の鋭々した空気にはあくまでも気付かない振りで、曹操は機嫌を取るかのような笑顔を参謀に向けた。
「一つ申し上げたき議がございます」
「うむ。なんだ?」
真っ直ぐに向けられる視線は鋭くないが、気迫が籠められている。曹操は笑顔のまま腰を引いた。我関せずとばかりにニヤニヤ笑う郭嘉を、咎めるようにちらりと睨む。
だって面白いではないか。この場の雰囲気は主従の語らいと言うより、まるで夫の浮気を責める詮議の場のようである。
ある意味似たようなものではあるが、と郭嘉は興味津々で睨み合う主従を見守った。
「……劉豫州のことです」
口にして、荀は居住まいを正した。
「あれがどうした?」
「主公は、いつまであの者を生かしておくつもりですか」
きた、と曹操も身構える。
「なんだ、まだ諦めてなかったのか」
「生憎と諦めの悪い質ですので、何故主公が劉備を厚遇なさるのか納得出来ませぬ」
前々から劉備を危険視するのが荀の言い分であった。かつて、呂布に徐州を奪われた劉備が仲介を求めて許都へ奔った、その時も荀は劉備を殺すよう進言している。
曹操はその際も保護した劉備を豫州牧に据え、今も許に館を与え同じ馬車に同乗させ、大層な優遇ぶりを示している。それが荀を苛だたせていた。
「だからといって、何をした訳でもない男を殺せんだろう。なあ、奉孝?」
近頃お馴染みのパターンである。心得た郭嘉は瞬時に笑みを消して、勿体ぶった表情を拵えた。
「そうですねえ。罪もない者を殺せば、天下に悪評が広まりましょう」
無言でジロリと睨み付けられる。荀の視線には気付かない素振りで、郭嘉は曹操に相槌を打った。
「ですが、あの者は人の下には付きませぬ。悪びれもせずに恩のある呂布を売った男。いずれ主公のご恩も忘れ、害を為すでしょう」
「してもいないことで、そんなにカリカリなさっても仕方ないでしょうに」
「奉孝!」
「確かに劉備は英雄の器。それを使いこなすのが主公の度量というものでございましょう」
荀を無視して、最後まで言い切る。曹操は満面の笑みで頷いた。
「その通りだ、奉孝」
曹操のやり口は見え透いている。荀と直接口論したくない為に、郭嘉に代弁させる形で自分の意見を通そうとする。百も承知で、郭嘉も曹操の喜びそうな事を言うのだ。
「……、ですが、皇叔とまで呼ばれて。帝に取り入る様子は不穏です」
「わしにも取り入っておる。弱者の処世術に、そう目くじらを立てるな。ん?」
俯いてしまった荀を宥めるように、曹操は猫撫で声を出した。
劉備も欲しいが荀の機嫌を損ねるのも嫌らしい。郭嘉はうっすらと嗤う。
「主公。それでしたら、一度劉備の本心を試してみては如何かと」
「なんだ?何か上手い策(て)でも思い付いたか?」
この遣り取りに飽き飽きしていたらしい、曹操は郭嘉の進言に飛び付いた。
「郊外の田狩地にて、帝にも臨席頂く大掛かりな巻狩りを催すのです」
「……?それで、どう確かめるのだ」
曹操が尋ねるのと同時に、荀がいきなり立ち上がった。無礼であるが、優雅な物腰は舞の一節のように目に心地よく映る。
「私が密議を傍聴させて頂く訳には参りますまい。それでは、失礼致します」
あくまでも恭しく一礼。ちらりと郭嘉に眼差しを向けて、荀は退出した。
「……あれは完全に怒らせたかな」
その背中を見送りつつ、そわそわと曹操は諮問する。
「どうしてくれるんだ、責任取って機嫌を取っておけよ」
「って、主公の所為でしょ、罪をなすりつけないで下さいよ。俺にオンナノコ達と遊ぶ時間を削れと!!」
荀の居なくなった途端、ざっくらばんな口調になって郭嘉は言い捨てた。
「だがな、奉孝……」
「大丈夫ですよ、怒ってませんって。何処其処に根回しに行ったんだと思いますケド」
多少の希望的観測も交えて、断言した。そもそもいくら激怒したところで、我を忘れて中座する人ではない。了承と不満を同時に示す、計算された態度だろう。
「ふむ。帝の周囲がぎゃあぎゃあ言いそうな事をする、ということか」
郭嘉の言いたいことを察し、曹操は顎に手を当てて低く唸る。
「ご明察」
袖を翻して拱手。
ニヤリ、と郭嘉は不敵な笑みを浮かべた。
〈続〉
本筋には関係ないちょっと解説。
「席」は座る時の敷物。むしろ型座布団というか、一応4人座りが原則らしいですけど。結構ぺらぺらなブツなので何枚も重ねて、その上に正座します。荀が「敷物を重ねて坐ることをしなかった」とあるのは、他の人々は重ねるのが普通だったから特記されたんでしょう。
坐床は後漢から魏晋時代に造られた、低い椅子みたいなブツですが、しかし板の上で正座していたらしい……。
現代にあるような椅子や卓子(テーブル)は、宋時代からなのですねえ。時々忘れて、ナチュラルに使わせたくなりますが。(^^;
中国古代は、そもそも正座文化なので。部屋いっぱいに筵敷いてたりするので、部屋に入る時は履(くつ)を脱いでみんな裸足です。日本の方がそういう古文化が残っているのでした。
しかし階段の下に沢山並んだ履が置いてある光景って、修学旅行のお寺見学みたいで、なんか可愛い(笑)。