「お役目ご苦労様です」
態とらしい程大袈裟に微笑めば、良人(おっと)は虚を突かれたように瞬きを繰り返した。
「……小喬?」
「はい」
周瑜は、喉元までせり上がりかけた言葉を呑み込むような仕草をすると、軽く首を振った。その苦笑を刷いた貌には、落日の所為ばかりでなく、はっきりと疲労の影が黒く顕れている。それについて小喬は文句を言おうとして、自らのくしゃみに遮られた。
早く驚かせてやろうと部屋を飛び出し、内院の庭で夫を待ち続けていた。その間にすっかり体を冷やしてしまったらしい。江南の地は北に比べて温暖だからとつい油断してしまうが、初冬の十月ともなれば多少の肌寒さを感じる。まして刻一刻と夕暮れの迫るこのような時刻では、纏わりつく北風は冷気を帯びていた。
「夜は一層冷える。早く中に入りなさい」
自分の羽織っていた外衣を手早く脱いで小喬の肩に掛けると、周瑜は軽く促すように肩を叩く。
丈の長い外衣は、小柄な小喬が羽織ると地を引き摺ってしまう。青い布に包み込まれている様子は水を連想させたが、実際は僅かな温もりと埃っぽい匂いが現実感を主張していた。
「驚かれました?」
侍女を呼んで灯火を付けさせると、改めて小喬は夫に向き合った。周瑜は具足を外しただけの戦袍姿である。戦時下であればそれも仕方ない。
「……幽鬼でも見たのかと思ったよ。驚いた」
「ご主君も子明どのも驚かれていましたわ」
昼間渡し場に着いた時、偶々呂蒙が付近の艇に指示を与えていて、小喬来訪の報告を受けて飛んで来ていた。彼も、拝謁した主君の孫権も、先程の周瑜と同じくあんぐりと口を開けて絶句していた。その顔を思い出して、小喬は小さく笑う。
「知らないのは私だけか、全く……。皆も人が悪いな、道理で早く帰そうとすると思った」
「ご主君からは夕刻までには郎君(あなた)が帰ると伺っていたのに。大方わたくしの目の届かない隙とばかりに、どなたか佳い人とお逢いになられていたのでしょう」
「おや、そこまで信用がなかったか」
わざと拗ねた素振りでそっぽを向けば、周瑜は額に手を当てて呆れたように苦笑する。彼の機嫌が決して悪くないのを見て取って、小喬は安堵した。
場合によっては叱り飛ばされることも覚悟していたが、考えてみなくても、八年間の結婚生活で周瑜は一度も声を荒げて怒るということがなかった。
他に妻妾を囲うこともなく、ただただ小喬と子供達を大切にしてくれる。そんな周瑜に対して、小喬は罪悪感にも似た後ろめたさを常に感じていた。
「お許しも得ず、勝手な真似を致しました」
改めて殊勝に頭を下げると、僅かに漂っていた刺々しい雰囲気も霧散する。
「謝らなくていいから、早く呉に戻りなさい。ここはいつ前線になっても怪訝しくはないのだから」
「曹操が領土を侵犯しようとしているのは知っております。郎君が大変なのはご存じですが、春から一度もお会いしていませんわ。
大変な戦に出るというのに、妻に一言の知らせもなく、潘陽から直接柴桑へと向かわれるのですもの」
「やれやれ、お前には敵わないよ」
宥めることすら放棄した周瑜の言葉に、苦笑する。普段は貞淑で従順な妻だが、時折扱い難くなると思われていることだろう。
周瑜は、主君の孫権と共にこの年の春江夏に侵攻し、先々君を殺した仇敵である黄祖をとうとう討ち滅ぼした。江夏攻めの為、一時的に首都を呉からより荊州に近い柴桑に遷していた、その帰還の前に曹操の南下の報を聞いたのである。
先頃病死した荊州牧・劉表の後を嗣いだばかりの劉jは、干戈を交えることなく曹操自ら率いる大軍の前に降伏した。江夏攻めの時ですら満足な援軍を送らなかった荊州のことである、劉表が生きていたとしても結果は同じであったかもしれない。劉jは青州牧に任ぜられ、その伯父の蔡瑁は曹操の古馴染みであったこともあり、重く取り立てられているらしい。
華北の雄たる袁紹を倒して荊州を併呑した今、曹操に対する勢力は孫家の拠る揚州の他には劉璋の益州、涼州で反旗を翻す馬超ほどしか残っていない。劉璋が半ば曹操に臣従している状態で真っ先に矛先が向くのは、揚州でしかなかった。
案の定曹操から孫権の元に恫喝の使者が訪れたその時、周瑜は柴桑からは洞庭湖を挟んだ対岸の潘陽で、水軍の訓練をしていた。元々東呉の水軍は周瑜の指揮下にあるので、戦闘に備えて最後の訓練を行っていたと考えれば説明は付く。しかし、柴桑の本陣が開戦か降伏かで揺れていた時に、孫軍の宿老たる周瑜が一人離れた場所に居たというのは奇妙だった。
どういう経緯があったのか、小喬は知らない。ただ、昼間話した呂蒙の不満の燻った表情を見れば、大体の察しはつく。
「あればかりは劉豫州の使者のおかげですね」
口惜しそうな貌で渋々認めた、三十路を過ぎても血気盛んな様が笑いを誘う。
「……そういえば先程は、劉豫州の使者と話していたのだが」
今考えていたばかりの人物が周瑜の口から上ったので、小喬は心臓が跳ね上がった。
「珍しく自室に戻るように急かしていたな。お前が来たと彼も知っていたのだろうか」
考え込む素振りで暫し黙考し、不意に周瑜は失笑した。
「どうなさいましたの?その使者が何か?」
「っ、ああ、子瑜どのの弟御なんだがなかなかに面白い御仁でね。お前がこんな所にまで出向いたと知って何と思ったのかな。……くくっ」
不可解な夫の態度に、小喬は首を傾げる。周瑜の声音には面白がる響きと感嘆、微量の嘲りが含まれているように聞こえた。このような態度は珍しい。
「その方と仲がおよろしいのですね。劉豫州といえば、先頃まで劉表の食客をしていた」
「南下する曹操に破れ、荊州人士からも締め出され、今は夏口に二万の兵と共に駐屯しているよ。さしあたっての同盟軍かな」
無関心に近い口振りで、説明する。しかし夫は義務であるかのように、戦場には関わりのない女の身である小喬の疑問に応えることを怠ったことはない。おかげで他家の夫人よりも格段に、小喬は国内外の政治情勢に詳しいと言えた。
「ただ孔明どのは荊州名士と強い繋がりがある。蔡瑁の義理の甥だしね。その彼が劉備に従っているということは、曹操に服従していると見える荊州も一枚岩ではないということだ」
ふと、口元を弛め。
「劉豫州としてはどうしても我々に開戦して欲しかったようだ。当然かな。
ご主君を焚き付けて私を柴桑に呼び戻して、その後の開口一番が傑作だったよ。戦を回避したいのならば、『小舟に二人の人間を乗せて送りつけるだけで、百万の軍勢は引き揚げるでしょう』とのことだ」
「その二人って……?」
「義姉上とお前」
さらりと言ってのけると堪えきれずに笑い出す。現実味のない子供騙しのような話に、小喬も吹き出した。
「随分と高く買われましたこと。こんな子持ちのおばさんくらいで天下が動いたらさぞ見物ですわね」
「いや、天下は動かないだろうが曹操は喜ぶだろう」
「まさか」
「こう言われれば、私としては降伏を考えていようとも開戦を決意しなくてはならない訳だ。これで東呉が破れたりしたらお前、後世の人々から傾城の美女と呼ばれるだろうな」
周瑜も笑っていたが、ふと真顔に戻る。
「……まあ、これだけで無謀な戦を望む程愚かではないが。勝ち目が全くなかったとしても、お前達を渡すつもりはないよ。死んだ者にも申し訳が立たないからな」
それだけ言って、照れたのか急に立ち上がると、窓辺に佇んで視線を転じる。
日はとうに沈んで、いつの間にか格子越しに紅い月が貌を覗かせていた。周瑜の顔に、格子の文様が複雑な陰影を描いている。表情は、ここからではよく判らなかった。そのまま沈黙が満ちる。
ふと、月を眺める夫の姿から、今の状況とは関連のない想念が浮かんだ。嫦娥が不老不死の仙薬を手に入れて月へと昇っていった時、その夫のゲイは妻を偲んで空を見上げたのだろうか。
『死んだ者』
死者。周瑜にとって、小喬は常にそれを暗示させる存在なのかもしれない。
結婚に至るまでの血腥い事情。
――そして、亡くした主君。
もう八年になるのだろうか。
大喬の嫁いだ孫策は、あれから四か月も立たない初夏、呆気なく死んだ。
袁紹と対峙中の曹操の隙をついて、本拠の許都を襲撃しようと計画していた矢先であった。かねてより恨みを抱いていた者による暗殺だったという。
あまりに突然のことで、周瑜の私邸で孫策危篤の知らせを受けた小喬は、しばらく事態を把握することが出来なかった。
最も死とは無縁に見えた、あの強烈な個性の持ち主が、死ぬということ。
徐々にことの重大さが呑み込めてきたその晩、孫策死去の報が届けられた。
愕然とした。
国全体が喪を表す白一色。
どこか怯えたような表情で行き交う人々。
孫策の長男である孫紹はまだ幼く、代わりに後を継いだ弟の孫権は十九歳でしかなかった。孫家政権は、この時まさに滅亡の瀬戸際に立っていたのである。
周瑜が帰還したのはそんな時である。
周瑜は曹操急襲が決まった時点で、その準備の為に巴丘に派遣されていた。小喬達には何の説明もなかっが、周瑜が南部の造反や劉表の侵攻に備えつつ兵を集め、その間に孫策は徐州から曹操本拠の豫州へと打って出る構えだったのだと思う。
危篤の知らせは周瑜の元にも届いていた筈だが、巴丘の全軍を率いて、ゆっくりと周瑜は呉に帰還した。
威儀を正した軍勢が大通りを練り歩いたのは孫策の死んだ翌日であったが、一糸乱れぬその姿を見て、呉に周郎あれば大丈夫であろうと安心した者も多かっただろう。兵は皆、白の喪章を付けていた。
取り乱して泣く姉に付き添って、小喬もその日は登城していたが。
颯爽と――小喬にはそう見えた――現れた周瑜は、孫策の棺の前に立ったその時ですら、僅かもその整った顔を動かさなかった。
青褪めた表情で深く臣下の礼を執る。哭礼を行おうとして出来ずに絶句した、却ってそれが内心の動揺を表していた。
その時やっと泣き止んだ大喬は、周瑜に向けての孫策の遺言を伝えた。
孫策の枕頭に侍っていたのは母である呉夫人と、妻の大喬のみ。それを、大喬は瀕死の孫策から聞いたのだという。
『弟を助けて、日頃よりの信頼に背かぬように』
今にも倒れそうな姉の愛らしい容から、厳かに告げられた言葉を聞いて。
周瑜は、孫策に対するように、淀みなく拱手した。
ふと、思う。
姉は義弟の孫権の庇護下にあって、今でも孫策のことを想いひっそりと暮らしている。
小喬も孫策には好意を持っていたが、所詮は四か月間しか知らない間柄である。孫策と大喬と、周瑜と四人で暮らした時間は本当に楽しかったが、それだけにあっという間に過ぎ去った夢のように、現実感がない。
それは大喬とて同じなのに、何故姉は一生をその四か月に捧げようというのだろうか。
幽鬼とも変わらぬ、生を放棄しているかのように見える姉を見て、哀しくなる。同じく孫権の庇護下に居る、彼らの弟孫翊の未亡人である徐氏も(彼女の夫も暗殺されたのだ!)、気丈な人柄ながら、どこか無気力に暮らしている。
……姉は順応力が高い。
小喬が家の中だけを見るのではない広い視野を持つようになったのも、姉がその環境に適応する術を身に着けているのも、自分達が乱世の中、各地を転々とする人生を送っていたからである。その意味では婚儀の翌日に周瑜の言った通り、偶然の要素が重なっての今の生活であった。
小喬は充分、申し訳ない程に幸福である。しかし、姉は曹操の元に行った方が幸せになれるのではないだろうか。
曹操は父である橋玄に対して恩を感じている。話によると、亡父は若き日の曹操に妻子を託そうということまで言ったらしい。側室にされるとしても、そう無下には扱われないだろう。
「そういえば、小喬の琴が久しぶりに聞きたいな。そこの壁に立て掛けてあると思うんだが」
「……はい」
不意にこちらに向き直った周瑜には、僅かに漂っていた屈託は既に消えている。そんな夫に、小喬はぎこちない笑みを返した。周瑜は、自分も相当の楽の名手である癖に、なにかと妻の演奏を聞きたがるのである。
今、考えていたこと(曹操の元へ行っても良いなどと)は、自分達を守ろうとしてくれている夫に対する、罪深い裏切りだろう。
周瑜はその命までを、彼女達や、東呉の民、孫家を守る為だけに使い果たそうとしている。
……小喬が叱られるのを覚悟で、前線になり得る柴桑までやって来たのは、これが夫との今生の別れになるかもしれないと覚悟したからだった。
周瑜は自信のある素振りを見せているが、曹軍は大軍である。東呉が敗北する可能性の方が高い。
そうなったら。
屋敷に帰ると、三人の子供達が小喬の帰りを待っている。重臣の奥方として何不自由ない暮らし、そして夫はこんなにも優しい。
周瑜が死んだら、わたくしも姉や徐氏のように、生きる意味を失ってしまうのだろうか。
ガタン。硬質な音が、どこか攻撃的な響きを立てた。
それを知りたいと、どこか心待ちにしている自分に気付いた狼狽で、小喬は引き寄せようとした琴を床に倒してしまったのである。
〈続〉
ちょっと用語解説。
外衣とは所謂マント。鎧の上に羽織ってるアレ、多分あったと思うんですけど。六朝期の頭から被る型のマントは『中国古代の服飾研究』で見ましたが……。
艇は小型の連絡船ですね。非戦闘員の乗った船が接舷するなら、この辺が妥当かと。
所謂、赤壁の戦直前ですね。非戦闘員が主役なので戦闘は全て伝聞。
この辺のエピソードはかなり演義に準拠してるというか。
この話に限らず、正史に近い履歴を持つ人間が演義的な行動を取る時の心理的溝を、オリジナルで埋めたいと思っています。
あと、孫権と周瑜間の緊張関係は多少匂わせてますが、小喬には察知出来ないんじゃないかと思います。外のことは解っても、内のことは見えにくい人という設定で。