100のお題蛇足文。


……いえ、当初言ってた通り、後書きめいた世迷い事はナシにしようと思ってたのですが。
しかしそれはそれで、吾輩の低い文章レベルでは不親切極まりないような気もしてきたので、
別ページで「暇なお方だけ読んで下さい」な、楽屋裏を作ってみました。
故事の引用に託けた堂々たるパクリ人生を垣間見て頂ければ幸甚(オイ)。



1.はじまり

短い描写に延々と詰まって難産……の割には、同時多発で書いてた諸々の中で一番先にピリオド。不審です。これの次エピソードに当たる部分が本来書きたかったネタでしたが、長くなるのでひとまず正真正銘の「はじまり」から。
※西郭: 西部にある郭ではなく、郭の西という意味で使いましたが、語の用法的には間違ってるかも。洛陽は内城の周囲を外郭(外城)が囲んでる風に造られてると思うのですが、考古学的には外郭の城壁址は発見されてないらしいし、外郭の存在を明言してるのは北魏時代の記述だし、後漢洛陽の実態は(私的に)不明。大官の邸宅は内城の中みたいで、そのテの本読む限りでは漢代洛陽=内城部分のみの可能性が高いですが…。(-_-;)
※治觴里: これも北魏洛陽ガイドブックたる『洛陽伽藍記』の記述から。なので後漢にも存在したかは不明。大市付近の飲み屋専門街とのことですが、アルコールが出るんなら色街も兼ねてるんではと勝手に判断。当時は妓楼に通うより、大官の邸内に妓女呼んだりして宴会開く方が専らな気もしますが、庶人や下級官吏向けの歓楽街もあって然るべきかと。まあ隅から隅まで読んでないので、他にそーゆー専門的な?遊里があるのかもしれませんが。
※里の門: 最初はナチュラルに坊門とか言ってましたが、城内の半独立エリアに対する呼称が里から坊に変わったのは、北魏からっぽい。里外への夜間通行禁止令たる「夜行の禁」が解除されるのは北宋になってから。里の間には土墻で仕切ってるので、軽功を会得してる人じゃないと壁越えは出来ない。
※頭巾: イメージとしては、暴れん○将軍に出てくる悪の幕閣が手下の屋敷を訪う際に着用する紫の覆面。あ!人形劇三国志で洛陽潜入中の劉備がかぶってた系?大都市には胡散臭い人が多いのです(嘘)。後世の絵画史料を参照すれば、帷帽なんかが近いのかな…。
※個室: この辺はさっぱりなので、江戸時代の吉原くらいの勢いで(死)。
※雑談: 党人地下潜伏メンバーには汝潁人が多いから(と勝手に)。後年における曹操の法家的傾向は、若い頃に汝潁党人に親しく薫陶を受けてた故ならいいのになぁ、とドリー夢。
※任官前: AD173年時点で曹操19歳。孝廉に挙げられて官界デビューを果たすのは翌年。ちなみに袁紹は薄紅午睡設定では21歳なので、前年に義母が死んだことで喪中浪人。本当は6年の喪を終えた後の洛陽潜伏期間だった方がすっきりするのだが、この辺は萌え重視による設定ミスです(痛)。
※卞姫: 後の卞夫人。歌妓出身とのことで、曹家お抱えの歌い女だったのかもしれないが、市井の妓女とかやってた方が個人的には美味しい。袁術(や袁紹)が馴れ馴れしくしてても違和感ないし。後年洛陽に置いてけぼりにしてるので、曹操にとって洛陽の現地妻扱いなのでは。
※断袖: 歴史ホモ好きには言わずと知れた少年愛の別称。前漢の哀帝と董賢の故事ですな。
※双: この場合は所謂二つおだんご。子供の髪型だとか女の子専用だとかいやいや女性一般に…など色々な話を聞くが(使用人の女の子専用とも聞いた)、竹林七賢図なんかでは額の後退した中年のおっさんが平気で双角にしているので、実は何でもアリなのではないかと疑っている。
※短衣+袴: 短衣に大口の袴を合わせるのは、実は前漢時代の勇士的スタンダード衣服。楚の風俗らしい。とはいえ南朝(斉〜梁?)の図巻に見える侍従の格好(袴褶姿)もそんなかんじだし。一口で説明するのは嫌だったから、敢えてそんな表現で。短衣は使用人階級の衣服ですが、絵画で見る限りではおしなべて膝丈くらいには長い。
※神君: 言わずと知れた荀淑の別称。荀の生まれる前に他界した祖父。
※○龍: 八龍とかいったらバレバレなので(苦笑)。荀淑の八人の息子達。
※許攸: 袁紹の奔走の友=張・何・呉子卿(私的には呉匡)・許攸・伍徳瑜(私的には伍瓊)はそのまま党人地下潜伏グループの一翼を成していたと見て間違いないかと。とはいえ大半の人の年齢が今イチ不明なので、グループ内での強弱関係はよくわからないですが……。取り敢えずこの中では何が最高。勝手に袁紹・張・曹操が最若年で、許攸がちょっと上、更に呉匡・伍瓊が年長みたいなイメージ(根拠なし)。
※引き籠もり: この辺のオリジナル設定はウソ人物設定「荀爽」の項を参照のこと。
※臭荀: 当サイトのオリジナル呼称つうか蔑称。30「言葉」参照。
……補足多すぎ……。


3.強引

「文遠くん危機一髪」後日談。


10.うたがい

『三国志』巻七「呂布伝」部分(ちくま文庫2巻P.014-015)私的解釈&アレンジ。


12.強いられて

83「油断」と連動。(高順は)何もしてないのに裏行きの憂き目に。
※返事がない。ただの屍のようだ: 実は元ネタ知らない。DQ?


15.旅

※衛の懿公: 『春秋左氏伝』典拠。鶴を好む余り、人民に対する以上に高く遇した結果、狄が衛へ攻め込んだ際に兵士が「鶴に戦わせろよ」と戦闘をボイコット。懿公は鶴と共に切り刻まれる。自業自得なのだが、鄭問『東周英雄伝』所収の漫画は涙なくして読めない。


17.運命

※『論語集解』: 正始3年7月〜10年までの間に完成。孔安国・包咸・周氏・馬融・鄭玄・陳羣・周生烈などの説を採用。
※編者一同の容姿
  孫: ?
  鄭沖: 『晋書』鄭沖伝「有姿望 ,動必循禮」
  荀: 『晋書』荀伝「宣帝輔政 ,見奇之 ,曰『荀令君之子也』」
  曹羲: ?
  何晏: 『世説新語』容止篇「何平叔美姿儀 ,面至白」


19.追う

……落描きを短文に直しただけのブツ。枯れ木も山の賑わい。


22.悪名

はじまりより先に書き始めてた筈が、何ヶ月かかったんだという中断の果てになんとかFin。
と荀攸に李儒を語らせようとする意図が、何時の間にか「ごはんは大事ですよ」テーマになっていたという(死)。現場組と後方支援とでは、理屈は兎も角感情の温度差はありそうな気がする。
ちなみに文遠くんは度重なる荀令君のイジメによって軍師ノイローゼの真っ最中です。

官渡城とかの描写は、ほぼ『真 三国志』一巻カラーページに拠りました。200年9月初旬くらいのイメージで。


26.聞こえる

三国志には珍しく一人称。
※太子四友: みんな知ってるだろうけど、司馬懿・陳羣・呉質・朱鑠の4人。『晋書』宣帝本紀が出典。ちなみに呉の太子孫登の四友は諸葛恪・張休・顧譚・陳表。劉禅には四友はいなかったのだろうか。


28.時

各人の酒癖は勿論創作(汗)。当時の酒はアルコール度数が低いので、余程呑まないと泥酔しない筈…。


30.言葉

より年上で、潁川出身でなくて(北海学閥?)、ばりばりの清流派である張紘は、令君を軽蔑してたのではないかと。
※厳象: ファン倶楽部頁(笑)参照。字は文則、京兆の人。正式な伝はないが、「荀伝」注に引用する『三輔決録注』にプロフィール記載(ちくま文庫2巻p.244-245)。孫権にとっては、中央に推挙してくれた(一応)恩人。
※李術: 孫策によって廬江太守に任じられ、曹操の派遣した揚州刺史厳象を殺害したが、孫策死後は反旗を翻して曹操側に接近、孫権に討伐された。征伐の事情については「呉主伝」注引用の『江表伝』に詳しい(ちくま文庫6巻p.074-075)。
※孫策暗殺: 譫言頁にて郭嘉主犯とする私的陰謀史観を開陳中。
※書信: 「張昭伝」に、北方の士大夫から貰う手紙の取り扱いに困ったエピソードが載っている。
※箕子: 『史記』「周本紀」出典。殷の紂王の叔父に当たる賢人。周武王に殷の滅びた所以を問われたが、殷の悪を述べるに忍びず、国の存亡についての一般論で誤魔化した。朝鮮に渡って国を建てた伝説があるが、半島の人は否認している。


35.視線

※銅鏡: 現在博物館とかで見る青銅鏡は青錆色だが、制作当時は金ピカ色だった。裏面(模様が描いてる方)の取っ手に紐を通して持つ。実際手に触れる機会があった時に、表が凸面であることに気付いた。ホテルの髭剃り用鏡がピンぼけになったが如き映り方をするのではないかと想像される。
※喫茶: 当時はメジャーでない風習。漢代頃から薬用として飲まれ始め徐々に浸透、六朝期には嗜好品として定着した。原産地が益州から荊州で、喫茶に関しては呉が先進国だったらしいが(案の定蜀は不明)、魏でも張輯(220-264)が『広雅』で喫茶について言及しており、それなりに受容されつつあったことが分かる。
※茶の効能: 『博物志』では「少睡」、『述異記』では「不眠、能誦、无忘」、『神農茶経』では「有力、悦志」、『食論』では「久思、益意思」とある(原本に当たってないけど)。醒酒については『広雅』『秦子』に記述がある(これも伝聞)。


37.たべもの

※「學而時習之〜」: 『論語』学而篇冒頭。士大夫にとっては、小学1年こくご教科書で習う「あいうええんそく」的な文章と思われる。管理人も初めて教科書で接した漢文がこれだった。
   
原文 「学而時之習、不亦説乎。有朋自遠方来、不亦楽乎。人不知而不慍、不亦君子乎?」
  書き下し「学びて時にこれを習う、またよろこばしからずや。朋あり遠方より来たる、また楽しからずや。
        人知らずしてうらみず、また君子ならずや」

「僕の立派さを解って貰えなくても構わないもーん」という孔丘のやせ我慢全開の一文だが、やっぱり自分の気持ちを解ってもらいたいのが恋愛ならず乎?


38.夢の中

「銀河鉄道の夜」のパスティーシュ。ジョバンニ→呂蒙でカムパネルラ→周瑜的キャスティング。マザコンで、嫁いだ姉がいて、貧乏暮らしから後に偉人になる(予定)呂蒙はジョバンニが適役だ!と管理人暴走。
本家「銀河鉄道」はイタリアが舞台だが、宮沢賢治は作中のケンタウルス祭に七夕と盂蘭盆会の両方の意味を込めているらしい。


40.ささやき

何も起こってないのに、自分的には表に置くのはいっぱいいっぱいな気分。
※纓: 冠に付いてて、顎で結ぶようになってる紐。大体どんなのかはイメージ出来るかと。


41.味気なく…

枯れ木も山の賑わい。ギャグパートの郭嘉は、年上と見れば突っかかるキャラ。


43.誇り

小姑=陳羣で、むっつりスケベ=司馬懿。郭奕の生母は、ウチの設定では 荀似の女性。
は魏公就任計画を諫言する為にに来訪していたので、二度と遭うことなくこの年の内に死亡。


44.老いた人

※「隴を得て蜀を望む」:出典は『後漢書』「岑彭伝」。欲望には限りがないことの喩えだが、元ネタの光武帝は隴も蜀も得たのだから、曹操の判断はどうなんだろう。司馬懿だけでなく、劉曄も蜀に攻め込むよう進言している。
※宴:「武帝本紀」注に引用の『魏書』に、大饗宴を催した記事が見える。 


45.血筋

※「行雲有反期〜」: 曹植作「浮萍篇」(うきくさの歌)の一節。捨てられた妻の心情に託して、兄に対する敬慕を詠ったという。黄初年間(AD220-226)の制作と推定される。「端無くも罪尤を獲たり」も同詩で、全文はネット上にも転がってる筈。
※AD223: 曹植は正月〜七月まで、他のゥ王と共に洛陽に滞在している。この際に詩二編を献上。ホントは違うけど、作中では同時に「浮萍篇」も献上したことにしている。この年六月に曹彰が急死しているが、曹丕による暗殺との噂が…。 


46.めぐりあい

※衣車: 上から衣を垂らして覆うことで、内が見えないようになっている馬車。古は女性専用車両だったが、漢代以降は男性も使っている。
※四兄: のこと。ウチのサイトは兄説採用。
※陳元悌: 揚州刺史の陳温。徐栄にコテンパンに負けて兵力不足の曹操が揚州で募兵した際、四千余人の兵を与えてくれたが、龍亢まで来た時士卒の大多数が反乱を起こして逃亡。結局千人ちょっとしか残っていない。
※周大明: 丹陽太守の周マ。上に同じく兵を与えてくれた人。後に孫策の会稽攻略の際に敗死。次弟の周昂・三弟の周は共に袁紹側に立って袁術と戦っているが、やっぱり最終的には袁術側の孫家に蹴散らされている。
※王公節: 河内太守の王匡。反董卓連合の一員だったが、執金吾の胡母班を殺したことで遺族の恨みを買い、依頼された曹操が仇討ちに協力して殺害している。


48.恩

……恩というより怨恨関係にしか見えないが、一応仲達ちゃん官界デビューの巻。笑顔で恐喝する令君は208年初頭、ちょっと精神が不安定気味です。
※路粹: 字は文蔚。ぶっちゃけファン倶楽部の人間なら誰でも良かったのですが(死)、結構古くから荀の下にいることと、彼自身が手段を選ばない性格なのが決め手。
※久しぶり: 201年、上計吏として許都へ上京した司馬懿を、職務上で顔を合わせた令君が気に入る。で、ついポロリと曹操の前で賞賛→人材オタク発奮!の構図。潁川人以外で荀の推挙を受けてる人って、計吏の出身が多い。
※仮病: 中風で動けないと言ってた……ので普通に歩いてやってきた時点でアウトです。というか吃驚しすぎて演技忘却。
※奥方: ご存じ張春華ちゃんは、司馬懿が元気に虫干し書物をにわか雨から守ってる現場を目撃した下女を、口封じに自らずんばらりんと殺害。これ以後永遠に、司馬懿は妻に頭が上がらなくなるという。


49.振り返る

突発的興亡萌え(寧ろ鄭欽萌え)のままに書き散らしたは良いですが、口調とか全然違うし。あまつさえ荀の人格が薄紅モードなので、パロディと言うより夢の競演!ともいうべきブツに……(死)。
※鄭欽: 三好徹『興亡三国志』に出てくるオリキャラ。字は士元、陳宮の義弟。究極の傍観者にしてラスボス。主人公曹操のアンチテーゼとして陳宮や荀にただならぬ感情を抱いていたように見える。
※三好キャラ一同の印象
  曹操: 陳宮ラブで荀ラブだが、相手からの感情を「自分の意に添うか否か」で判断している節がある。
  陳宮: 曹操を強く愛するが故に敢えて裏切るが、何とも思っていなかった呂布に段々情が湧いてくる究極のヒロイン。
  荀: 曹操の前で鄭欽と仲良しなのを度々主張するが、郭嘉と個人的に色々対話してることは一度しかバラさず隠匿。
  郭嘉: 珍しく攻撃的な鄭欽に「策士策に溺れる」と馬鹿にされても怒らず、独身の鄭欽に縁談を持ってこようとする。
※薔薇: 薔薇は元々中国原産。品種のイメージ的には赤胆紅心(濃赤〜鮮赤、作出年は宋代)とか紫燕飛舞(赤紫)ですが、両者とも花径5〜6cm。これ系のチャイナローズの原種みたいな設定で(実在したかは不明)。
※六月: 三好『沖田総司 六月は深紅の薔薇』に敬意を表して。ノーマルカプで萌え要素は少ないが、良質の青春小説。
※小盒: 小さい函、というか。今だと朱肉入ってるみたいな?(ごっつアバウト…)化粧道具は大盒(お道具箱)の中にお揃いの小盒を沢山入れて、セットで仕舞っておく。


51.めざめ

江陵・夷陵辺りの対曹仁南郡攻防戦、終了後。この後は周瑜、孫権の命でずっと江陵に駐屯しています。
魏(便宜上)の荊州支配地が北部なら、呉は長江沿岸部を東西に長く伸びるような形で統治下に置いてる状態。劉備陣営は更に南、根拠地は江陵に近い公安ですが。
そもそも05年2月に書き始めた段階では「吹き抜ける風」を想定してたんですが、最終的に無理矢理「めざめ」の題にこじつけたのは、元ちとせの心神雷火「わたしの中の野生、確かに目覚める旅立ちの時」がこの時期の私的周瑜テーマだったから。
ちなみに甘寧は好意なら持ってるけど、別に周瑜に対して恋愛感情抱いてません(ここで説明しないと判らないって…)。


52.燃えあがる

53「裏切り」より時系列は前。劉封を出せば過呼吸発作を起こさせずにはおれない(勿論オリ設定)。


53.裏切り

本当は交戦した後、敗北した劉封が追い出されて成都に帰還してるのだが。


57.繰り返し

※赤衣: 秦の規定では罪人の衣服。
※梟: フクロウは、中国では親殺しの鳥として忌み嫌われている。


59.別れ

曹郭と見せかけて曹→陳で郭→荀みたいな、詐欺感をぷんぷん感じる出来に……(汗)。
二つの奇妙な果実は、蒼天の主従が念頭にあるかも。白門楼という語感から、こういった風景が目に浮かびます。


62.願い

「太史慈伝」の曹操が当帰を贈ったエピソードを改変(ちくま文庫6巻p.276)。子義ちゃん意味わかったのか?と疑問に思ったので(酷)。


64.変わり果てて

※年: えらい年寄りだと互いに言い募ってますが、208年で荀ケ46歳、曹操が8つ上で54歳。決して老人ではないですが高校生カップル(?)ごっこはどうよ、と場合によっては問い質される年齢。
※寝たフリ斬殺: 『世説新語』假譎篇が出典の、そこそこ有名なエピソード。普通にやりかねないよねとは思う。
※荊州: 玄武池で訓練し始めるのが208年頭。出兵は7月。献策してるのは荀ケ伝に見える通りだが、恐らく年頭の出兵案が具体的になってる時期の話かと。
機動力重視の別働隊は、個人的には奇襲による各個撃破と示威行動が目的?かと思ってるのですが。実際に機能したように江陵奪取の意図もありますか?兵糧攻め的な。どうも長期戦を避けて短期決戦に持ち込む為の布陣という気がして、この時点での荀ケは荊州が戦わず降伏する可能性をあんまり念頭に置いてない気もしたり。しかし現実には荊州着く前に降伏決定してますよね…。その前々から説得工作はしてるみたいですが、劉表の死と、荊州豪族と劉備の仲悪さは、敵側からすれば意外だったかも。郭嘉はこーゆー読み得意ですが死んでるし(惜)。


65.ひたすら

簡単に要約すれば、呂布は貂蝉の言うことは何でも鵜呑みにして、陳宮のすることは何でも許すんだ、という話。
呂布は飼い犬とかを物凄く可愛がるイメージ。しかし愛犬以外なら食卓に出されたら食う(…)。


66.思い出

雪の結晶が六角形なのは五行的には矛盾じゃないかと思ったのは管理人自身。柳城辺りで回想した光景かもしれない。


70.いさかい

この辺りまで来て、いよいよ「二人芝居」でなくなった(死)。初書きの人も何人かいるが、賈を出し忘れたのに気付いたのはアップ後。流石文和どの(←責任転嫁)。


72.色

※ヨカナーン: ワイルド作『サロメ』の一節。岩波文庫版福田恆存の日本語訳を引用した。森鴎外訳よりもこっちの方が格好良い。


73.油断

「呂布伝」における萌反乱事件(ちくま文庫2巻p.20-21)の私的解釈。ってゆーか呂陳じゃなくて高陳の人みたいになってきた…。


74.吹き抜ける風

陳宮の本音。ますます張が哀れになってきた……(-_-;;)


76.説得

徒然sssを数合わせに再録。実は某ネット孔融小説に触発されたブツ(ごめんなさい)。禰衡が許都でぶいぶい言ってた197年は、許が降伏していきなり曹操の親衛隊長に抜擢されちゃったりして、荀令君の嫉妬を買っていた時期。……嘘です。


77.報告

これも「文遠くん危機一髪」の後日談。満寵だけは怖いらしい…。


78.感謝

※蓮の咲く音: 管理人は聴いたことがないが、マジでぽんっと弾けるような音がするらしい。
よく考えれば、小学校の国語で習った名木田恵子「赤い実はじけた」が元ネタのような気がする。


80.嘆き

水没から完全瓦解の間。十二月に水際で暮らすのは寒いと思う。
どっちかというと、元気な後輩口調だった文遠くんが思慮深そうに見せかけた天然ボケに至るまでの過渡期、が主眼。


81.かのひとを待つ

※窮鳥入懐: 猟師もこれを撃たず。追いつめられて逃げ場を失った者が助けを求めてくれば、そう邪険にはしないという喩え。
※月: 漢詩の世界では故郷を偲ぶ際のアイテムなのも、策=月に関係あるだろうか。占い師の一言が元ネタとはいえ。


87.来客

※風呂: 昔の中国人は冷水に入浴。そして薄い着物を一枚着て(だから「浴衣」)。江南人は結構入浴するが、乾燥地域の中原人は沐浴日にすら入らない人が多い。
※侍巾櫛: 良い奥さんに使う慣用句。


91.たわむれ

禁酒令は兵糧の確保の為にも必須の筈なので、簡雍が道具を持ってた人を救った後も、実際作っちゃった人は処罰されていたと思われ。旱魃のあった一年だけの布令なんだろうけど。


96.意味

オリジナル設定爆発。何故裏に回したのか、冷静になればよく解らない…。後日にちゅうくらい書き足すかもしれない。
※高祖と周昌の例: 出典は『史記』張丞相列伝。上奏しようと参内したら、劉邦が戚夫人とえっちしてる現場に案内された話。びっくりして逃げ出したら、何故か追いかけてくる劉邦。周昌を押し倒し、首に跨って「わしはどのような君主か」とか問いかける劉邦に、周昌は「陛下は桀・紂のような(悪逆の)君主です」と本当のことを言ったが、笑って許されたという。
※魏孔: 魏延×孔明。ウチのサイトでは推奨していない筈が……。


97.亡きひと

結局名前を出さなかったので、孔明×周瑜を書いたことがあると、時々自分でも忘れそうになる。


98.会いたい

譫言で散々補足したので、ここではパス。


99.もろともに

毒ニンジンは、紀元前から古代ギリシャ辺りで盛んに自殺用として使用されている神経毒。