(罪のない冗談です…)
※こんな団体実在しません。ここに書かれてあることは他のコンテンツと同じく一切冗談なので、くれぐれも本気になさらぬよう……(誰がするんだ)。「部」と「会」をごっちゃに使ってるのもニュアンスだから許して(汗)。
●概要
……曹操政権下、アングラ界に暗躍する謎の団体。決して歴史の表舞台に姿を顕さずその全貌は計り知れないが、国一つを軽々と指先で動かす力を持つと噂される(大袈裟)。
魏の3大ファンクラブである「曹操さまをお守りし隊」や「夏侯惇将軍を崇める会」と日々しのぎを削るナワバリ争いを繰り広げているらしいが、非力な文官が主なメンツであるにも関わらずその狂信的な熱烈さで他を圧倒しているとか。
文武百官、高官から下官、女官に至るまで厚い会員層を誇る。魏の各所に情報網が敷かれており、不用意に荀令君の悪口を言った者は、その日の内に某所にある部室に連れ込まれ、制裁リンチを受けることになっている。
月に一度会誌が発行されるが、メンバー以外には門外不出の為、掲載内容は不明。
●会則
一、荀令君を一心にお慕いし、崇め奉ること。
一、荀令君のお力になれるよう、常日頃から研鑽を怠らないこと。
一、荀令君の御身を、陰日向無くお守りすること。
一、荀令君の仰ることは正しい、荀令君のなさることも正しい。
一、取り敢えず主公へも礼儀を尽くしておく。
一、抜け駆け厳禁。
一、合い言葉は「打倒郭軍祭酒」。
●主な会員(名簿一部)
会長 (200年〜) |
陳羣 | 荀令君の娘婿という特別な立場から、全会員の指命を受けて会長職に就任する。会長自身が喪中の為、自宅でひっそりと行われた結成式でのスピーチと男泣きは、後世の会員にも語り継がれる伝説となった。 組織の基礎を固めた、筋金入りの荀フリーク。 |
名誉会員 | 荀攸 | 会員達のたっての願いを引き受け、名誉会員兼特別顧問として会に協力してくれる潁川名士の巨頭。私生活での荀令君に最も近いとされる二人である(郭嘉は無視)。鍾は、会誌の題字も手がけている。 |
名誉会員 | 鍾 | |
以下、会員 (200〜) |
華 | 実質的な副会長。公的な場では陳羣は華を尊敬して已まないのだが、会内部では立場が逆転、華の側が腰巾着と化している。 一途で完璧主義な彼が「理想の令君」像と実際の姿に齟齬を見た時、可愛さ余って憎さが炸裂。…荀死後、尚書令職を引き継ぐ。 |
(200〜) | 王朗 | 華の勧めで入会。やる気がない割に発言権が強い。ただし王朗の参加によって会の格も上がってるのでいわば相互利用関係。お義理で加入しているだけで、政治的には孔融派で鍾ら潁川閥と対立気味だったりする。 ここでは関係ないが許靖と遠距離恋愛中。 |
(200〜) | 慮 | 鄭玄門下で荀故吏。献帝の前で孔融と大喧嘩し、以後犬猿の仲になった。曹操を馬鹿にした態度をとった孔融をこれ幸いとばかりに免職処分にしたりしている。 献帝の側近格で、曹操を魏公に任命する辞令書を持って行かされたり、伏皇后が華に逮捕された時に献帝に嘆かれたりしている。荀悦と同じで、荀が献帝を曹操の害にならないようコントロールする為に置かれていたっぽいが、…荀の死と引き替えの魏公任命書には悔し泣き。後年免職処分を受けているが理由は不明。 |
(200〜) | 路粹 | かなり熱烈な令君ファンだが、密かに郭嘉とも仲良かったり(創作)。尚書郎として長いこと荀の部下やってたが、郭嘉死後は軍祭酒になり、孔融への誣告くさい弾劾文を上奏したりしている。建安文壇の担い手として曹丕と仲良しだったが、ロバを値切った罪(…)で処刑された。 |
(200) | 厳象 | 荀の推挙を受け、路粹と同時期に尚書郎に。文武両道だったので対袁術戦線に参加し、袁術死後は揚州刺史になる。200年、会が結成されて間もなく、孫策配下の李術によって殺害。会員証が郵送されてくる前に命を落とした。 |
(200〜) | 衛覬 | 荀配下のスパイ。尚書郎の職にあったが、官渡の時に劉璋の元へ使者として派遣され、交通封鎖で足止めされつつも関中の情勢を手紙で報告したりしている。扱いにくい男で関中問題のエキスパートになった後は鍾にも真っ向から反論しているが、荀にだけは頭が上がらない。後に漢と魏の尚書を行ったり来たりして、禅譲をスムーズに行うのに功あった。 |
(200〜) | 棗祗 | 潁川出身者で陳宮の乱の時も荀に協力して東郡を守り抜いた。屯田設置を初めに言い出し、方法を巡って揉めた時も荀と相談している。早死にしたらしいので、実際は200年に生きてるかは不明。 |
(200〜) | 衛臻 | 衛茲の息子。東郡太守朱越の反乱に招かれたが参加せず、周りの疑いも荀の保証で霧散した。生真面目で頭が固く、夏侯惇どころか曹丕にすら直言出来る男。 |
(200〜) | 杜襲 | 潁川出身で鍾と荀の推挙を受けて軍祭酒に。魏建国後は侍中として曹操の側近になっている。夜のお召し(!?)に王粲が超嫉妬してたり。 |
(200〜) | 趙儼 | この人も潁川。荊州に戦乱を避けてた時代は杜襲・繁欽と力を合わせて暮らしていたが、多分杜襲一人が偉そうにしていたに違いない。趙儼は思いやりと調和の人。荀に手紙を送って陽安郡の忠誠を保証し、人民から取り立てた綿・絹を返してはどうかと申し出たりしている(了解する荀も素敵)。 妙に軍事行動が多いが、荒くれ共を心服させるのが上手だからか。 辛・陳羣・杜襲・趙儼でワンセットだった時期も。 |
(200〜) | 夏侯淵 | ミーハー気質故に魏の3大ファンクラブ全部をかけ持ちしているという珍しい会員。よって抗争の仲介を頼まれることもしばしば。小さいながら自分のFCなんかもあったりして講演を頼まれることもあるが、3大アレと比べるとほんわかした集い。イベントなどがダブった際の彼の中の優先順位は、惇兄>令君>曹操>自分。 |
(200〜) | 李典 | 文官に比べると希少な武官会員。元々学者志望なだけに、士大夫の理想像を体現してるように見える荀に憧れる気持ちが強い。職種の違いから身近で親しくする機会が少なく、政治的なしがらみもないので、純粋な気持ちで仰ぎ見ている。が、あくまでも遠くから眺めたい人で、友達になりたいかと言われれば躊躇するらしい。 |
(200〜) | 張 | 官渡で曹操陣営に降伏した際、胡散臭がる曹洪に口添えしてくれた荀攸に戦後改めてお礼に行ったら、何故か勧誘チラシを貰ってしまった。 あんまり有名でないが張は元韓馥配下なので冀州時代の荀のことを見知っていたが、なんとなく見学に訪れた部室の熱狂ぶりに、まさか荀がそんなアイドル扱いを受けてるとは思いもよらず大層吃驚。呆然とするまま陳羣に無理矢理(陳羣自身はそんなつもりはない)入会させられてしまった。 会の活動を通して個人的に親しくなった夏侯淵に次第に惹かれていくのはまた別の話。 |
(201〜) | 劉曄 | 熱心な活動を行っている会のエース。が、実のところ出世や考課の成績を良くする為に、尚書台に特に影響力を持つ会に擦り寄っているだけだったり。荀本人とも仲良しだが、信奉ではなく「ま、良い人だよね」と好感を抱いてる程度。 |
(204〜) | 辛 | 潁川出身者として前々から荀を尊敬していたことから、名実共に曹操配下になってすぐに入会。しかしバリバリの郭嘉派であることから陳羣との折り合いは悪かったりする。 |
(?〜) | 杜畿 | 荀の超お気に入りその1。耿紀と喋ってたのを盗聴した荀に気に入られ、推挙される。気位が高く、また反乱起こした旧友のところに単身乗り込んで騙してくる肝の太さを持つ男。地方太守を続けてたが、文帝の時代に尚書台で出世。 ファン倶楽部なんて子供のお遊び、とか鼻で嗤ってるクセにしっかり入会。照れ隠しで「俺がアンタを尊敬してるって、本当はアンタだけが知ってりゃいーんだ」とか、余計恥ずかしくなるような台詞を言い放って自爆。 |
(?〜) | 劉 | なんと司馬徽の弟子。弟の劉偉が魏諷の乱に参加したことから連座で死刑にされそうになったが、陳羣の取りなしで一命を取り留めた。 |
(?〜) | 原 | 北海太守時代の孔融の部下だったが、色々見損なって国淵や管寧らと共に戦乱を避け遼東に疎開。後に曹操の招聘に応じたが、病弱な余り療養生活を送り続け、結局実務を担当していない。そして曹操にも稀にしか会見しない幻の部下。曹操が三郡の単于討伐(207?)から帰って来た時珍しく、しかも真っ先に迎えにやって来て驚かれた。その時同席していた(!?原の次に来たのだろうか…)荀が「立派な人ですから礼を尽くして彼を待遇するのがよろしいでしょう」と、曹操にアドバイスしている。 張範とは仲良しで、二人で曹丕のじいや役をやっていた。 |
(?〜) | 孔融 | 荀と仲悪い(特に荀側)この人が何故入ったのかは不明。自身の名ではなく食客の名義で入会し、会員証と会報だけは所持していたということが死後明らかになった。 |
(208〜) | 耿紀 | 己の逮捕を予感した孔融から会員証を譲られるが、耿紀自身は荀のことが大層嫌いだった為困惑した。が、名義人が誰か知らないので脱会も出来ず、ずるずると裏会員を続ける。孔融の後任の少府職にあり、直属の部下である筈の荀が実際は自分より大きな権限を有してコントロール下にないことを腹立たしがってるが、実は屈折した愛。 荀とは宿舎が隣同士で、ご近所ならではの対立が。郭嘉とのゴニョゴニョを盗聴して会にリークしたことに(危うく暴動騒ぎ)、無表情でマジギレした荀が逆襲、一時盗聴合戦とイヤミの言い合いが日課になっていた。 後に(218年)曹操に対するクーデターを起こし、処刑されている。 |
(208〜) | 司馬懿 | 陳羣の(悪気ない)強硬な勧誘攻撃の連続に、ついに断り切れなくなって渋々入会。以後、荀の推挙を受けた者は自動的に会員になってしまうという不文律が発生した。 嫌がってた割には、陳羣死後は己の目的の為、いいように会を使っている。不可侵とされた黄金の規則から第5条を撤去した男。 |
(208〜) | 徐庶 | 案の定本人の意思とは無関係に入会。目立った活動は行わないが、第3条はきちんと守るつもり。荀に気軽にパシらされたりしてるので、会内部で妙な嫉妬を受けている。 |
(209〜) | 田疇 | 207年の北征に曹操の味方をした元劉虞配下の隠士。 曹操が嫌がる田疇に言い寄ってるのを荀と鍾に助けて貰って以来、恩義に感じている。夏侯惇とも友達だったりする義理堅い男。 |
(?〜) | 仲長統 | 荀の超お気に入り2。挙動不審な現実主義者。変な物好きの荀の琴線に引っかかり、推挙された。ずっと尚書郎。一時曹操の部下になりつつも、出戻ってる。220年漢の滅んだ年に死亡。肉刑復活論者だったりするところも潁川閥に近い態度。 |
(?〜) | 楊俊 | 人助けが趣味。司馬家の人々とは古馴染み。魏諷の乱に連座しちゃったり、曹植派だったのが原因で曹丕の恨みを買って難癖つけて処刑されたり、とことん要領が悪かった。司馬懿や荀緯と仲良し。王象とはデキてると思う(オイ)。 |
(?〜) | 常林 | 司馬懿の同郷の先輩。厳格で怖い者知らずのサド。 |
(?〜) | 劉劭 | 地方で計吏やってて上京した時、荀のところに居候していた。元旦の朝礼を止めるか否かの論議が起こった時、廃すべきでないと主張、荀に聞き入れられる。純粋な文学青年はメロメロ。 荀派の慮にも招聘されてるが、慮の免職で実現してない。曹丕派で、文帝時代に尚書郎にもなってる。 |
(?〜) | 韋康 | 荀故吏。父の韋端は孔融の古馴染みで、弟共々家を訪ねたりしていた。孔融曰く「度量があり意志強い」。父の後を継いで涼州刺史になったが、馬超の反乱に遭い、夏侯淵の救援が間に合わず敗死した。 |
(?〜) | 韋誕 | 韋康の弟。兄と違って穏やかでおっとり型。能書家で、魏の宝器の銘文は全て彼の手によるもの。郡の上計吏として都に上がって郎中となり、出世を重ねて悠々と長生きした。 |
(?〜) | 袁徽 | 袁渙の従弟、袁覇の弟で袁敏の兄。一族は皆魏に仕えているが、自分は天下が乱れたゴタゴタを避け、交州で暮らす。 荀のペンフレンド(自称)で、許靖や士燮を褒め称える手紙を遙々許昌に書き送っているが、荀の反応は不明。許靖は陳紀や袁渙と親しいし、曹操に仕えたい意向もあるっぽいが、結局蜀に居着いてたし、彼の手紙に大した意味はない。 |
(?〜) | 孫資 | 3才で両親を亡くし、兄夫婦に育てられたブラコン。最初に曹操に招聘された時は兄の仇討ち後の逃亡生活中で応じられなかった。後に計吏として許に行き、荀に褒められて尚書郎に取り立てられたが、故郷の家族が心配で辞退している。荀のことは尊敬しつつも、オキレイさにちょっとついてけないと思っている。 魏建国後は劉放とともに秘書郎に任命、後に二人で中書省トップに。曹叡のお気に入りだったりして、みんなに「贔屓されすぎじゃ(怒)」と嫌われまくった。曹叡死後、皇族派の曹于らが権力を握って自分達を害するのを恐れ、司馬懿が動きやすくなるよう年若い曹爽を後見役に代えさせた。老齢で一旦官を辞していたが、曹爽処刑後一時復活してるし、やっぱり司馬懿派か…。 独裁皇帝の手足として甘い汁を吸い、最終的には主家を滅ぼす典型的な『君側の奸』だが、重用した方も悪いとしか言えない時限爆弾。 |
(?〜) | 賈逵 | 文武両道の地方官スペシャリスト。一応武官っぽい。荀令君が命を落とした例の呉征討の際に、出兵に反対して獄に繋がれたりしているのが不審。 あの賈充の父で、孫資の古くからの友人。…明らかに司馬懿派。 |
(220〜) | 荀 | 荀の息子として陳羣の後を継いで二代目会長に就任。新メンバーもろくに入らず、旧会員も名前だけ、という壊滅間際にあった会を復興させたファン倶楽部中興の祖である。 しかし復活後の会は司馬一族の乗っ取りに協力する者のダミー組織となっており、父に入会させられていた陳泰の脱退を招いたりもした。 |
●令君側の反応
3大ファンクラブの内、目立ちたがりの曹操は自分から詩のコンサート開いたりサイン入りグッズ販売したり、積極的に会に参与している。
夏侯惇はそんなものが存在していること自体知らない。
荀は……実はしっかり知っているが(杜畿がバラしてるし)、気付かないフリで放置している。会の運営に関わる気は全くないが、人心操作が必要な時に便利なので禁止するつもりもないのだとか(郭嘉氏・談)。
仮想敵にされてる郭嘉は、机の上に洗ってない雑巾を置かれるなどの会員によるイジメを受けているので迷惑している筈だが、全然気にしていない様子。机の前に長いこといないし(おいおい)。面白がって挑発したりからかったり、「長文どのが大勢いるみたいだよな」と、逆にご満悦(笑)。
●極秘資料、後世名簿から消された会員達
魏諷 | 例の事件の首謀者。主が漢中攻め中の不在を狙ったクーデター。鍾や楊俊が免職になった他にも数十人が連座で処刑され、彼らの記録は歴史から抹消された。 |
陳 | 魏諷と共謀して襲撃を計画していたが、土壇場で怖くなって曹丕に密告。 |
張泉 | 張繍の子。例の事件に荷担したため誅殺され、領地を没収された。 |
王粲の二人の子 | 同上。 |
劉偉 | 劉の弟。同上。 |
宋忠の子 | 同上。 |
……いや、魏諷の乱って、令君ファン倶楽部過激派の暴発に見えるんですよね、なんか。